我家でもお座なりながら盆の精霊会(しょうろうえ)をやるが、先祖崇拝の慣いは無く持仏に供物灯明を献ずるだけで墓参もしない。
日本の庶民が墓を作り祖霊を拝むようになったのは幕末以降で、釈迦にも頼朝公にも供養塔はあるが墓は無かった。
そんな訳で我が家のお盆は天地の精霊を祀る会となっている。
(金銅観音像 元〜明時代)
盆の儀式は例年地味にやっているが、今年は疫病禍なので特に秘めやかになった。
供物の菓子は私が唯一食べられる糖質ゼロのチョコクッキーだ。
実は暑さで和菓子を買いに行くのを忘れて、家にあった物で済ませた。
供物は有り合わせでも、精霊達と灯明を囲んでしみじみと過ごす宵は味わい深い。
鎌倉もさすがに今週は猛暑なので、散歩も涼しい朝方か夜にしている。
永福寺跡の中世と変わらぬ池越しに盆の谷戸の灯を眺めれば、昔の人々の精霊への強い思いも身近に感じられよう。
死者も生者も過去も未来も、幕営の鬼門にあるこの別天地の中にあるのだ。
今年は日本各地の美しい精霊会の風習も軒並み中止になっているが、イベントの無い地味な自然風景にこそ古人達の精神性は見つけ易い。
戻って来て我が探神院の石段。
探神院の門中は如何にも夢幻界の入口にふさわしく、この夜の灯火もぼんやり潤んでいる。
我が荒庭にも虫の音が聴こえて秋の気配が漂う。
盆過ぎの暑さは残暑と言うべきなのだが来週も猛暑極暑が続くらしい。
秋風の中で花や風物を楽しめる時を願って、雨乞ならぬ秋乞の秘儀を当院で新規発願すべきかも知れない。
©️甲士三郎