鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

97 幻視夢吟

2019-07-11 14:54:08 | 日記
芭蕉は「虚(夢幻)に居て実(現実)を行へ」と説いている。
あるいは芭蕉最期の句の「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」のように、鍛えられた詩魂は虚実皮膜を自在に往来できるので、屋内に居ながらでも時空を旅出来る。
前回は茶卓に聖域を築き、離俗の幻視夢幻界に入れるようになった。
次の段階では近所を歩きながらでも、路傍の花や鳥の声を契機に即夢幻界に移転出来るようになれば、世界は一段の深さと光輝に満ちた愉悦を見せてくれる。
現実界の事象に観応しそれを理想化したイメージを夢幻界に観想できれば、詩画ほか諸芸術では造物主にも等しい全能感を得られる。
今日はその辺に挑戦してみよう。

取り敢えず夢幻界までぶらぶら歩いて行こう。
---百合香る園に石化の像の如 時を止(とど)めて詩句を案じむ---

少しダークファンタジー色が強い気もするが、冒険物語の導入部には不吉な雰囲気が必要なのだ。
これは歌よりも写真に苦労した。
丁度陽が差してしまって陰影がきつ過ぎ、曇るまで30分ほど蚊に喰われながら待って、幻視した仄暗く重厚な感じで撮っている。
「時を止めて」は原稿の締切時間が迫る著者の願望だ。

---庭荒れて真昼の闇が紫陽花の 根元根元に蹲りをり---
これも前歌と似たようなイメージで大株の紫陽花を幻視している。
紫陽花は日陰でも良く育つし太陽や青空は似合わない花なので、建物の北側や樹下に植えている所が多い。

---廃屋の花精は庭を溢れ出し 古びし街を埋め尽くし咲く---

空家の門前も草むして、石段は散歩途中の休憩に丁度良い風情になった。
鎌倉は「古びし」と言うより古き良き邸宅が壊され、どんどん新しい建物に変わって行くのが残念であり情け無い。

行きつけのカフェでヴァーチャルの御神体に令茶をお供え。

私は句歌の仕上げをカフェでバッハあたりを聴きながらやるのが好みで、気分が一新されて良い結果が出やすい。
---カフェまでの道順変へて戻り梅雨---

まあこんな風に現実と幻視がうまく溶け合って、夢幻の詩世界が具現する訳だ。
世のクリエイターとか作家達は皆、多少なりとも己れの夢幻界を持っているはずだ。
作家でなくとも例えば己れの理想の部屋 家 庭作りのイメージから出発して、果ては理想の町作りや楽園建立のビジョンに行き着くのは誰にでも可能だろう。
若い人は領地経営のシュミレーションゲームと似た物と思えば分かり易いか。
違いはゲームでは魔法を使い、こちらでは観想法を使うところだ。

©️甲士三郎

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