鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

331 深冬離俗

2024-01-11 13:07:00 | 日記

暮正月の行事を全て放下して何もせずに居られるこの23週間は、冬陽の庵で一年の残夢を温めるには最適の時期だ。


年末には長年探していた幻の詩集が見つかり、年明けに届いた。

ーーー椿応古詩開小寒ーーー

先週から続いて漢詩の勉強をしているので、この希少な初版本の入手祝も漢句でやってみた。



(花守日記 初版 横瀬夜雨 古瀬戸花入 江戸時代)

「花守日記」は金字絹貼り装丁の美しい本で、新体詩と散文詩を交えた夜雨渾身の作だ。

新体詩は明治後期から大正にかけての30年弱程で廃れ、その後は口語自由律詩に取って代わられた。

格調高い文語韻律が大正昭和の大衆化に馴染まなかったのだが、今から見ればこの横瀬夜雨、伊良子清白、薄田泣菫、蒲原有明らの時代は日本新体詩の黄金期だった。

彼らの詩集は文語を読める諸賢には文庫本でも出ているので是非お薦めしたい。

短詩形では俳句短歌があるとは言え、日本語の韻律詩はこの新体詩時代しか無いのだ。


画室の置床の飾りはお馴染みの虚子の俳書だ。



(直筆句軸 高浜虚子 丹波小壺 明治時代)

句は「東山静に羽子の舞ひ落ちぬ」

京都も鎌倉も春着の親子達が羽子板遊びをする景など、とんと見られなくなった。

せめて虚子句中の夢幻世界で、日本人にも美しい暮しがあった事を思い出そう。

また鏑木清方記念館では毎年1月に清方の描いた羽子板絵を展示しているので、現世の俗な正月に飽きたら覗いて見ると良い。

近年の隠者は世間の暮正月から我が旧正月までの1ヶ月を幻冬(普通は玄冬)と呼び、出来る限り離俗幽陰し詩書画の研究に没入する事にしている。

お陰で冬の深さにとっぷりと浸れるようになった。


話題は変わるが、今週のサッカー界では英雄達の訃報が相次いだ。



西ドイツの皇帝フランツ・ベッケンバウアーが遂に亡くなった。

子供の頃の私の部屋には彼の大きなポスターが飾ってあり、その知的で優雅なプレーには毎週憧れた物だ。

ペレ、マラドーナ、ザガロら南米のスター達も次々と世を去り、20世紀はどんどん過去の物となって行く。

ギリシャ神話では神々の時代、英雄の時代、人間の時代と続いて行くが、スポーツや芸術文化の世界も今や神話無き大衆の時代なのだろう。

現代の方が選手達の技術や身体能力は上だとは思うが、なかなか神話とまではなり難い。

英雄無き後、昨今のドイツやブラジルの凋落振りにはますます淋しさを感じる。


今年はもう鶯の笹鳴きが聴こえ、我が荒庭の寒椿も暮れの内から咲き出している。

また異常気性が進んでいるのだろう。

その中で我々老境の者も新たな季感とその過ごし方を身に付けなくてはなるまい。


©️甲士三郎



最新の画像もっと見る