鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

50 武神達の晩夏

2018-08-16 14:04:56 | 日記
---戦なき武神の山の稲光---
夏の鎌倉は海辺の賑いに比べ、山側の神社仏閣は閑散としている。
その中心にある鶴岡八幡は、源氏の氏神にして言うまでもなく武神である。
しかし武神のくせに敗戦後の進駐軍に遠慮して、最も重要な武運長久のお札を売っていないので、我々鬼門守護職は氏子をやめてしまった。

探神院の目の前には大塔宮護良親王の首塚がある。
征夷大将軍にして天台座主の悲劇の皇子で、やはり武神として祀られていて山本五十六はじめ横須賀海軍の将兵達の信仰が厚かったようだ。
しかしこの大塔宮にも武運長久の護符は無い。

(帝国海軍恩賜の短剣)
探神院に一番縁の深い歌人将軍実朝公だが、祀る社も無く寿福寺に粗末な石の供養塔
があるだけで、ゆかりの大銀杏も愚かな宮司と造園業者が大枝を丸刈りにした数年後に案の定倒れてしまった。
国家太平なのは御慶にたえないが、武神達はこんな扱いでいささか忸怩たる思いではないだろうか。
まあ武神や軍が暇なのは平和で良い事だと思うしかない。

---敗残の思ひの影を長々と 引き摺り歩く亡父の晩夏---
直参旗本だった我が祖先は維新を生き延び父は第二次大戦を生き残ったのだが、武門の晩生は得てしてこんな物だろう。
今の鎌倉はすっかり食べ歩きの町になって武神の護符の需要など皆無だ。
八幡神に縁結びや商売繁盛を願っても御利益は薄いと思うのだが………正月の初詣だけで数十億円の売上があるらしい。
隠者はせめて敗戦の日くらい父祖達の時代を想い、軍書でも読んで過ごそう。

---父に似る西日の中の影男---

©︎甲士三郎

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