鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

51 幻視への音楽

2018-08-23 13:50:41 | 日記
キリスト教の祭壇画では天使達が楽器を奏でて神を讃えている。
東洋でも来迎図の奏楽天ほか妙音天、弁財天達が楽器を持っている。
神聖な所に音楽は欠かせない。
または「僕の地獄に音楽は絶えない」(アクエリオン)とも言える。

季節や場所に応じて用意してある各ジャンルのBGMリストの中で、私が散歩でよく聴くのは月並だがやはりバッハになる。
中でも宗教曲は音の結界を張って俗世から脱するには最適だ。
日本では雅楽や密教の声明(しょうみょう)に宗教音楽の萌芽はあったが、残念ながらその後の発展が無かったので、神聖さを求めるなら洋楽しか無い。

定番のクラヴィア平均律を聴きながら森の小径をふらつけば、だんだん離俗の気分になってくるだろう。
ここで大事なのは古人の言う「止観、観想」で、見るのを止めて想う事だ。
森の隅々まで寂光を行き渡らせ枝葉の色形を整えて、空気に清澄さを吹き込んだような景を想い描くと良い。
そのうち幻視の森に入り込めたら、プレリュードからファンタジアに。
もしも詩神の天啓でも降りてきた時には、鳥や蝶達と壮麗なコンチェルトで祝福しよう。
このようにして妙(たえ)なる音楽は、ありふれた木立を聖なる森に変容させる。
---楽の音と共に進みて現(うつつ)無き 常世の森へ小径を開け---

洗練された音楽が教会や宮廷にしか無かった時代には、そこは人々が夢想に浸れる唯一の場所だったろう。
誰もが音楽と共に歩ける現代は、とても幸福な時代だ。

©︎甲士三郎

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