鎌倉の隠者

日本画家、詩人、鎌倉の鬼門守護職、甲士三郎の隠者生活

103 芙蓉の小径

2019-08-22 15:33:01 | 日記
---美しく歩む姿を保つべし 朝顔の露地芙蓉の小径---


近頃は風景画でも花鳥画でも季節感の強い絵は需要がない。
画商さんには一年中掛け替えなくて良い画題を描いてくれと頼まれる。
季節毎月毎に床の間の絵を掛け替えて楽しんだ時代は日本の生活文化の頂点で、どうも前世紀の生活の洋風化と大衆化により、文化程度は低下してきたのではないかとも思う。
床飾りを月々新たに工夫する事は楽しいし、個人的儀式として日常に美と荘厳さを与えてくれるのに。

伝統的画題の中で一年中飾れる四季花鳥図は、四季の花が同時に咲き揃っている浄土の景で私も好きな画題だが、描くには屏風か結構大きな画面が要るのでこれ又売れにくい。
他には桜 紅葉図とか春秋の2枚並びで四季を象徴する様式もあり、また大名様式とも呼ばれた観音 牡丹 芙蓉図などの三幅対は、春の牡丹と秋の芙蓉で仏教世界の四時を象徴している。

そんな訳で芙蓉は古来から秋を代表する重要な花だった。
晩夏から初秋の散歩道に咲く種々の芙蓉は、我が晩生の場面場面を美しく引き立ててくれる。
私にとって芙蓉の中でも殊に酔芙蓉は、牡丹と共に何枚も本画に描いて来た大切な花だ。
普通の一重の芙蓉より豪華で、紅の濃さの自由が効いて描き易いのだ。


(朝方の酔芙蓉 赤いのは昨日の終い花)
酔芙蓉は朝方はほのかに薄紅が兆す程度なのに、昼下がりには濃い紅色になり夕べには閉じてしまう妖艶な一日花だ。

---酔芙蓉何もせずとも時は過ぎ---

(昼過ぎの酔芙蓉)
朝昼二度は見に行かないと紅色の変化を味わえないが、何度か足を運ぶ価値はある。
もちろん自家の庭に咲いていれば言う事無しだ。
地植えだとかなり大きな株に育つので、むしろ鉢植が良いかもしれない。


(この露地の先が上の写真の芙蓉垣)
次々と壊されて行く古き良き時代の家や庭を惜しみつつ、来年にはもう無いかもしれない芙蓉の垣の美しさを永く記憶に留めたい。

©️甲士三郎