オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

人は独りで生死を経験するものだ

2022-12-16 11:18:23 | 地球と生きる

 

 無礼な奴には、面倒だから、もっと無礼に返し、乱暴な奴にはもっと乱暴に、陰湿ならばもっと陰湿にお返ししてあげて、単純に放り投げて捨ててやることは、昔から、多い。

 オウム返しの術。

 エエ歳こいて、ナニかにオツムが染め上げられてしまってる色付け阿呆には、それしか対処法は無い。

 そういう扱いを受けてる自分に気が付かないならば、脳味噌の量が足りないのだから、話なんざする必要もない。

 怒らせて、イライラさせて、ムカムカさせて、ふふふと笑って、お詫びの品をいただいて、ハイ、終わり。

 二度と話す機会すらないだろうよ。

 どうせ酒や薬を飲まなければ、あの世と交信しなければ、キチンと自己主張の出来ない半端者さ。

 銀座には多い自営の古狸連中は、そうやって無意味な時間を終わりにする。

 その日常で、ホンモノの信用をたくさん得て生きてる者らには、そんなお遊びなんて、幾らでも出来る、自信の裏付けがある。

 

 医者や病院の言う通りに素直に対処して、モルモットのように医療漬けになって苦痛の中で悶え死ぬ。

 現代の医療行為とは、そんな守銭奴な煽動ばかりになり果てているが、先日直腸癌で93年生きて亡くなった爺様は、手術もせずに、それで眠るように幸せに逝った。

 この春に大腸癌からリンパ節や肺などへの転移を言われて、ステージ4だった古女房も、その後に抗がん剤治療は受けずに、楽な免疫療法と登山と源泉漬けで、半年で快癒してしまった。

 いずれも俺が主導して、全体を見ての望む医療が適わない病院や医者は熨斗をつけてお断りして、一緒に望む医療をして下さる方々だけで乗り越えてしまっている。

 主は患者と身内、従が医者や病院、この当たり前の話がまかり通らない現代社会の方が、狂い果てている訳だ。

 なんでも医者の言う通り、なんでも病院の言う通り、なんでもメディアの言う通り、命までも政府・国家の言う通りでは、人として、生まれた意味もナニも無いがな。

 これからも、社会のあらゆる場所で自己主張して、がんがん我儘に生きてやろうと思っている。 

 それには、常に弛まぬ勉強と積み重ねた経験が必要なのも当たり前のことだ。

 専門医を言い負かすだけの知識を身に着け、もっと専門外の関係する物事もすべて考慮して、独断で即決する。

 人間が生きる、これはどういうことなのか? 生きる意味は? いろんなことがあるが、即断即決できるように常日頃からオツムを鍛えておかなければ、モルモットで終わってしまうだろう。

 そんな時代を、我々は生きて居る。

 

 旧習や伝統、霊魂や精神の世界にどっぷり浸かって生きて居る経験不足のヒヨッコたちであれば、怖れや引け目や鳥肌が立つようなことに夢中になって、ドキドキはらはら自慰に浸るのだろうが、救いを群れに恃み、宗教に逃げ込む猿の群れには、掛ける声すらナニも無い。

 常に自分を主座に置かず、従者として生きる宿命を、勝手に自分に押し付けて喜んでいる餓鬼ども。

 大笑いしてやるだけだ。

 店の神棚にも自分自身を神として据えている俺なんざ、残念ながらに現世には怖いモノなどナニも無く、故に洗脳や煽動がすべて猿芝居に見えてしまえるようになると、仕掛ける鬼や悪魔の哀れな足元しか見えてはいない。

 これは俺だけでなく、身近な自営のベテラン連中には共通した話で、衆を頼まず、常に自分から仕掛けて生きて居る同世代の愉快な奴らには、みな本音の部分では一致した価値観だ。

 遠慮なく生き、誰よりも深く際限なく人を愛し、終わりの無い情欲にも溺れ尽くし、それでいても心の平静は、凍り付く地獄の沙汰でも笑い飛ばして保ったまんま、朝日の太陽の熱に変えてしまえるツワモノだろう。

 長く永く続いた弱い人間の世界に、大きな大転換がやってきている。

 どろどろに破壊され尽くした泥沼に、大輪の花を艶やかに咲かせる蓮の花のように、これぞみなが神々となって自ら強く生きている生き様ではある。

 先祖やあの世の話など、いまだに惚けて抜かしている坊主や神主がおるならば、木っ端みじんとしてやろう。

 真っ暗な冷え込んだ時分に、凍てつく雪山に登り始めるようなことばかり何十年も続けていると、その辺の修行僧だの山伏だのと言われたって、ヒヨッコ赤子の類にしか思えない。

 所詮は自己保身と自己弁護に終始している大人社会なんざ、屁みたいなもんさ。

 馬鹿たれが。

 

 初七日も過ぎてはいないが、すでに婆様と部屋の片づけを進めている。

 祭壇も、そろそろ片づけてしまうべよ。

 遺影の着ている服が安っぽいからと婆様は文句を言ってはいるが、じきに興味も無くなるだろう。

 それでエエんやで。

 とりあえず遠方にいる息子に修正を頼んでるが、いっときの感動で終わる話さ。

 人は独りで生まれ、独りで死ぬ、こんな有難い話はほかにない。

 

 それよりも、仕事仕事、オスは狩りにさ、出掛けるべ~。

 


唐変木に、まっさらな雪が積もる

2022-12-14 10:37:52 | 銀座の周旋屋

 

 年末だと言って騒々しく自分たちで忙しくして行ってる間抜けな社会にいると、笑うことばかりになってるが、ご挨拶だと言っては黒塗りのハイヤーや部下に運転させた車でやってくるハゲ・デブ親父の連中には、毎年辟易しているのが恒例となっている。

 この日曜日に、93歳の爺様が眠るように他界して、昨日近親者だけでとっとと葬儀と火葬を済ませ、しっかりと焼いてくれ!! という掛け声の通り、遺骨も綺麗なもんで、婆様も笑って送っておった。

 あとは週末に、高い雪山に登り、天に放ってやる。

 毎年、こうやって多くの孤独死の高齢者を送って来てるが、今回は認知から復帰させたオヤジだから、手抜きをさせてもらう。

 俺がやることは、過去の旧習や習慣にはいっさい捉われない神の珍道中になるから、常に笑いが絶えない。

 今朝も、良い天気だ。

 さっそくに年末のご挨拶に!という電話が色々と入ってるが、すべてお断りして、今後もいっさいお断り、そういう流れで受け答えすることにしている。

 そんな怠け猿な連中を相手にするよりも、最期まで我儘だった爺様を、ずっと真摯に見守ってお世話していただいた方たちに、とことこ歩いてお礼とご報告をしてくる方が先だ。

 なんか支払いが残っておればすぐに対応して、キチンとすることが第一。

 もう、すべて俺の代になった訳だから、好きにやらせてもらうわい。

 見栄張り・借金まみれの親族とも、断捨離・絶縁するし、礼儀をわきまえない親族とも、絶縁する。

 面倒くさい馬鹿どもとは、金輪際関わらない。

 お利口に生きて居る他人の方が、とても大事、これは変わらないし、愚かな親族らの生態を笑い飛ばしてやるだけだ。

 全責任を背負って堂々と生きてる者のいない家は、滅びるしかない。

 自営の周旋屋として、やりたい放題やってやるさ。

 ・・・ということで、朝一からすでに契約の予定が続いて入って来た。

 今年は、古女房の癌ステージ4からの復活快癒に付き添い、爺様の介護と見送りも済ませた。

 すでに来年に向けての動きを始めているが、さ~て、社会には関係なしにまたまたデカいのを頑張るぜよ。

 


サンタもいないクリスマス・・・

2022-12-12 11:32:22 | 散文

  

 

 ・・・あたしが見てると、カスミ草が笑うの・・・

 ・・・冬の空は、ギザギザになってるから、夜がくるのが怖いの・・・

 

 その娘は、精神分裂病だと診断を受け、家族と離れて郊外の病院の、閉鎖病棟に入れられて、療養していた。

 そうして両親は、医者にすべてをまかせ、お金を払う時だけ、たまに会いにくるだけだと、そう言っていた。

 

 俺が彼女を知ったのは20歳の頃、大学を中退していろんなアルバイトをしながら、自費で雑誌を作り、怪しいスポンサー探しから本屋に置かせてもらう交渉まで、独りでバイクに乗って走り回ってやってた頃だ。

 詩・小説・戯作に評論、宗教・哲学から編集後記まで、すべて独りで名前を使い分け、せっせと書いておった時代、俺の書くものが・・・言葉よりも良い匂いで身体に入ってくる!・・・と手紙をもらい、それからの付き合いだった。

 

 病院に会いに行くようになり、精神科医にもなんども会ったが、難しい商売だと想ったもんだった。

 すべてを他人である医者にまかせることが出来るのは、身内のまわりの者らであって、本人はひたすらに硬く心を閉ざすし、数値や目に見えるモノでもなかった。

 治すことなどせずに、治療と称してずっとそこに置いておけば、儲かる商売でもあった。

 世の中・社会からは隔離された、別の世界があった。

 

 そんなことを知ってから、いろいろ考えて会って話してるうちに、彼女が17歳になったとき、俺の6畳一間のボロアパートに引き取ることにした。

 今でいう同棲、風呂は銭湯だったし、洗濯機は二層式、俺の財産は大型バイクくらいだったか・・・。

 

 彼女の両親や兄弟は、当たり前だが最初は反対をしていた。

 すでに一緒に暮らし始めてた部屋を見に来ることもあったが、俺はいつもニコニコ笑いながら、迎えてた。

 大量の本と、大量の紙屑と、大量の売れ残った雑誌のなかに、コタツとベッドだけ。

 一緒にニコニコしていた彼女を見て、呆れて帰るのが常だった。

 ただ、なす術がないから、好きにさせて様子を見ようということになった。

 

 彼女のために、童話を書くこともあった。

 

 ひとりではなくって、ふたりで食べていかなければいけなくなったから、時間が空けばいろんなアルバイトを掛け持ちし、食い扶持を作ってた。

 ・・・死にたい・・・

 急に、夜中に言い出すこともあったから、それはそれは俺も若気のいたりで、振り回されてしまうことも多かったが、携帯もなかった時代、バイトをしながら気が気ではなかったことも多かった。

 

 自費出版なんて、理想はあったが、金のかかる道楽・趣味みたいなもんで、とてもそれで喰えてゆけるもんじゃ~なかった。

 そうしてクタクタになって帰ってきた夜に、彼女の可愛い寝息を聴きながら、モノを書いていた。

 ・・・俺も、好きなことをやってんだ・・・

 そう、想っていた。

 

 あんまり出掛けず、俺の書いたものばかり読んでた彼女を、バイクの後ろに乗せてあちこち連れだしたり、だんだん彼女も安定してきて、2年後くらいに通信制の高校を無事に卒業した。

 

 とうぜん、俺が初めての男だったし、だんだんに女としての悦びも色気も持つようになっていたが、子供が欲しいと、ことあるごとに呟くようになった。

 女としての、幸せを願うようになってた。

 

 そんなに忙しい毎日だったのに、俺には他にも色々と女がいたし、それを彼女も知っていた。

 

 そうして外に働きに出るようになり、いつもと変わらない笑顔だったがすれ違いの生活がはじまり、ひとりで社会にも上手く溶け込んでゆけるようになった頃、俺の働いてた会社の社員旅行があった。

 2泊3日で、佐渡へ出かけて行った。

 もどってくると、6畳一間の部屋が、すっからかんになってた。

 きれいに整理はされてたが、俺のモノしか、残ってなかった。

 コタツのうえに、一通の手紙があった。

 

 ・・・いろいろとありがとうございました、本当に感謝しています・・・あなたと一緒になりたかった・・・でもそれはお互いにいけないことなんだ・・・いま、こんなわたしでも、一緒になりたいと言ってくれる人が出来ました・・・その人のところに行きます・・・さようなら・・・身体だけは大事にしてね・・・ほんとうに、ありがとう・・・

 

 そんなようなことが、丁寧に、優しく、したためてあった。

 寂しさや、哀しさはなかった・・・ただ、やたらに溜め息だけが出てた。

 そして・・・なんて味気ないんだろう・・・俺の持ってるモノが、俺の生きて抱えてるもののすべてが。

 女は、いろとりどり、男はモノクロ、そんな感じだった。

 花がない花壇、殺風景な生活臭。

 

 数年後、俺の付き合ってた年上の女性が、美大を出て彫金をやってた女性が、実家の揉め事と創作の行き詰まりを抱えたまんま自殺してしまい、またまた溜め息ばかりの日々に呆然とバイトを続けていたところ・・・追悼詩や追悼の作品を書けば良いモノを書けるぞ!・・・今でも教科書に載っている著名な詩人や小説家の先生たちには煽られて、なんだかかんだかすべてがメンドクサクなり、思考停止の雑草のように暮らしてた。

 

 そんな怠惰に身をまかせていたとき、一通のハガキが届いた。

 可愛らしい、写真のクリスマス・カードだった。

 去っていった彼女が、初めて見る旦那と、二人の笑顔に挟まれた赤ん坊と、写っていた。

 ほんとうに幸せで嬉しいときにしかしない、笑顔があった。

 

 ラスト・クリスマス・・・そんな唄があった。

 

 そうして俺は?・・・

 なんにもない、からっけつ。

 可笑しいくらいになんにもない、すっからかん。

 部屋に積みあがった売れ残りの雑誌類は埃にまみれ、まだ陽が高いうちからノコノコと銭湯にでかけた。

 彼女の写真を見て、安堵とともに、余白のような今の自分の裸体を湯船に沈めて、笑うしかなかった。

 

 そんなある日、銭湯からボロアパートの1階の一番奥の部屋に戻ってくると、小さな猫が一匹。

 壁ぎわに添うよう、震えながらも丸まって、小さな顔で俺を見ると歯をむいて・・・シャ~!・・・。

 なんか、変だった。

 

 ヤカンの蓋を裏返して、残ってた牛乳を入れてやり、しばらくしてドアを開けると、まだそこにいた。

 ジッと怯えながら睨んでたが、牛乳を置いて、そっと抱き抱えてやろうとすると・・・シャ~!・・・。

 ・・・おまえ、どうしたんだ?・・・

 

 つぎの朝、ボサボサの頭を掻きながら気になってドアを少し開けてみると、まだそこにうずくまってた。

 声をかけると・・・ミャ~・・・と泣いた。

 そっと優しく手を出すと、こんどは身をまかせるように抱かせてくれた。

 

 身体じゅうが柔らかな、優しい毛並みだった。

 ただ、一か所、背中のところが血で汚れていた。

 嫌がる仕草をそっとおさえてよくよく見ると、細い錆びた金属片のようなものが刺さっていた。

 ・・・あ~、それでか・・・

 

 年末に田舎にかえるために残しておいたなけなしの金を持って、近所の獣医のところに抱いて行くと・・・釣り針でしょう、いたずらだろうな~・・・

 周囲の肉が膿んでいて、腐ってしまうと命の保証はできないと言われた。

 ・・・お願いします・・・

 ・・・この子の名前は?

 ・・・え~? じゃ~、チロ! で

 

 俺は厚手の皮の手袋をはめさせられて、訳もわからず・・・肉を削ぐからしっかり押さえて!!・・・

 ・・・麻酔は?

 ・・・ちいさ過ぎて麻酔は無理だよ、相当に暴れるだろうからちゃんと押さえて!!

 汗だくになっていた。

 必死になってひたすら押さえていた。

 とうとう訳もわからずに叫んでいた・・・がんばれ!! 生きるんだ!!!

 

 どのくらいの時間だったろうか・・・子猫のチロも、俺も、クタクタになっていた。

 ・・・無事に終わったよ・・・医者の声に、座り込んでしまった。

 チロは包帯でグルグル巻きにされて、首にはエリマキを付けられていた。

 それでも可愛い目をして、俺をみつめ返していた。

 財布は小銭だけになり、チロを風呂敷に包んで、抱えてアパートに連れ帰った。

 

 ベッドの布団の上に横にしてやり、皿に牛乳を入れてやると、顔だけ動かしてピチャピチャ飲んだ。

 その音が、生きている音だと想った。

 そうして俺もコタツに入って横になったら、すぐに眠りに落ちてしまった。

 

 夢を見た。

 この部屋を出ていった彼女が、可愛らしい赤ん坊を抱いて笑っていた。

 それを笑い返して見てる俺は、エリマキ猫を抱いていた。

 

 とんでもない正月・元旦だった。

 6畳一間で、エリマキ・チロとずっと一緒、腹をすかしてぐ~ぐ~言ってた。

 獣医がそうじゃ~ないかと、心配して、食い物や餌をたくさん置いていってくれた。

 

 その子猫のチロは、元気になって田舎に新幹線で連れて帰り、10年いじょうも幸せに生きた。

 逆にその田舎の爺さん婆さんは、去年に銀座の傍に引き取って、爺さんは先日に眠るようにそこで天に還った。

 俺は? ずっと波乱錯乱常時戦場、なんどもなんどもおなじような人間界の痴話に関わってばかり、天と地が何度もひっくり返って、そうしてこうやって身体もボロボロになっても、ま~だ生きて笑って銀座で周旋屋を続けている。

 

 生き物の命の長さは決まっているんだろうに・・・どうして俺には平穏というものが無いんだろうか・・・と、そんなことを想っていると、ほら、またクリスマスだ。

 人間の世界の万事関わり事には、もう、ほとほと、飽いたでよ。 

 

癌も水虫も自分の免疫で治るもの

2022-12-09 11:38:01 | 癌のステージ4なんて糞喰らえ

   

 

 この春に古女房が、大腸癌が腸を突き破ってリンパ節やら他にも転移している状況で貧血を起こしてそれが詳しく解り、癌ステージ4で肺にも転移していると診断されて、有名な大学病院から俺の主治医のいる癌治療最先端を行く大病院に転院させて、即座に手術、それから簡単な後遺症もナニも無い免疫療法に移り仕事復帰、術後半月から骸骨のように痩せた身体で毎週まいしゅう1500m以上の山々に向かってのんびり登り歩き、美味しい酸素を身体を動かしながら吸い込み、帰路は放射能のたんまり混ざってる源泉に浸かり、地産地消の食い物を食べ、これを5か月続けて肺の手術日程を組んでからのPET CT検査で、どうも肺の方は変化が無いから悪性腫瘍では無いだろうとの判断で急遽手術を取りやめて、その後の最初の再検査に昨日は行って来た。

 手術が取りやめになって、3か月が経っている。

 俺が止めろと言っていたコロナワクチンを、仕事の都合だからと安易に2回うっていたが、もう嫌だと言っている。

 体重は元通りになり、相変わらず2000m超える山々に登って、仕事もハードな日常に戻っている。

 結果はすべて順調、転移もない、健康そのものだった。

 半日がかりの色んな検査の後に、俺のWOCの診察にも初めて立ち会わせて、オストメイトの姿を生で見せてやったが、日常の元気な姿からは想像できなかった腸の端くれが出て手術の傷痕だらけになってる腹を見て、驚いていたもんだ。

 身体障害者の本当の姿を知ったようでもある。

 俺自身は、いたって平然で、いつものように笑って悪態をついていた。

 午前中は動けなくなってる寝たきりの爺様を訪問入浴に入れてやって、気持ち良さそうに身体を洗ってもらってる姿に笑ったもんだったが、午後も笑いの絶えないことだった。

 これで良し。

 

 今朝は婆様が歯医者に行くと言うので、ヘルパーさんが来るのに合わせて留守番に行っていたが、痰すら上手く吐き出せなくなってるので、痰とりの仕方を教わりながらやってやったが、その後に息苦しくなったというので看護師に来てもらって、痰の吸入器を置いていってもらった。

 俺が出来るように簡単なレクチャーは受けておいた。

 なんでも自分でやりたい性分の俺が傍にいると、爺様も逆らえずに嫌な顔もするが、笑っている。

 優しい看護師さんでなくて悪かったな・・・そういうことだ。

 仕事も色々と年末もあって積み重なって来ておって、寝る間も無いとはいつものこと。

 ま~、これで皆が落ち着いてくれれば、それでエエがな。

 

 俺自身も、腹のストマの箇所が腸が動いて飛び出して来ておって、手術をして腸を押さえるネットのようなものを埋め込む必要もあると言われたが、物わかりの良い主治医は笑いながら、なんでも上手に対応しておられるから、急いで余計なことなどしなくても良いでしょうと、さすがの診断だった。 

 医者任せ病院任せにはしない方が、医者もやりやすいし、責任も自分で色々と考えて動いている以上、自己責任を理解している訳だから、楽だろうとは思う。

 俺の命は、俺の好きなようにするが、責任も自分、これ大事なことだよ。

 ヘマした時のフォローだけしてもらえれば、それで良い。

 あくまでも主役は俺で、医療行為は脇役、誰やらに憧れたり、ファンになったりも無い人生の主役は、いつも自分自身だし、店の神棚にもいつも俺が入っている。

 大笑いだろう。

 


後悔しない生き方は、まずは自営

2022-12-07 10:52:41 | 新型肺炎コロナ・ワクチン

 

 中国は習政権が確固たるものとなっても、長老たちが米英と組んで邪魔をするような態度に出ていたが、江沢民が逝去したことで、すべてはスムーズに進むようになった。

 ゼロ・コロナ対策は緩和されるが、残念ながらアメリカへの輸出貿易縮小はそのまんま、中国国内と親しい国へと全ては流れて行く。

 

 爺様が寝たきりになって、食べたり薬を飲んだりも出来なくなって、飲み物だけを少しづつ、こうなってくると時間の問題だろうが、関係なしに看護師とヘルパーさんの訪問を一日2回に増やし、週一回の訪問入浴も頼んだが、もう、いつ逝ってもおかしくない状況ではある。

 明日は午前中に訪問入浴をやってもらうが、機嫌が悪けりゃ~止めにする。

 今朝もヘルパーさんや婆さんに不機嫌な態度だったようだが、身体をキレイにしてもらって寝ていたが、朝から遠方の仕事に出掛けて来た帰りに顔を出して、髭を剃ってやろうか? と問えば、素直に頷いていた。

 婆さんがクタクタになるから、その負担をなるべく軽減してやるだけだ。

 あっという間に衰えがやってきてる。

 オムツの交換は身内の者では嫌な感じで、ヘルパーや看護師の方が手際が良くて上手だから、頼むことにした。

 笑うこともなくなって、入れ歯をとって口を開けて寝ている顔はミイラのようでもあるが、食い物を摂らなくなったせいで一気に痩せてしまった。

 老衰を目の当たりに見ているようだ。

 やれることは最期まで出来ることをやってやる、それを医者やケアマネージャーさんにも伝えてある。

 施設や病院ではなく、家で終わりを迎えることを、爺様とは約束してある。

 去年にこのコロナ下でも田舎の家を売っ払って、銀座から徒歩圏の近くに引っ越しさせておいたおかげで、こうやって最期まで面倒を見てやれてる。

 良かっただろう。

 後悔しない生を、俺は今でも現在進行形で生きて居る。

 明日は、春にいきなり癌ステージ4を言われた古女房の、元気になって最初の再検査に付き添って来る。

 毎日まいにちあちこちから、色んな連絡をもらっていて、皆さんそれなりにガタガタになっているが、俺はいたって元気いっぱい、日ごろの鍛え方が違うんだろう。

 

 さて、資産や財産はモノであれば維持費や補修費がかかり、徴税対象になり、経年劣化によってじきに負債になる。

 俺はそういうモノには興味が無く、儲かり過ぎた時には銀座の駐車場の目立つところに高級外車や派手な車を5台くらい並べてディーラーみたいな感じで遊んでいたこともあるが、値崩れする前にすべて売ってしまっていた。

 通貨や紙幣もおなじことで、蓄えていたって何の意味も無い。

 人類が紀元前から価値を見ていたモノしか、興味が無い。

 そうしてこの身体ひとつあれば、どこでも楽しく生きて行ける、そんだけのことさ。

 この歳ですでにモノには興味が失せてしまってる。

 酒にも興味はなく、食にも興味はなく、衣服や住居にしたって、興味が失せている。

 ナニも無い身軽が良い。

 ただ、老いた身内の人間や面倒を見る他人の数はどんどん増えて行っているから、自営の商売を続けているだけ。

 借金や負債にも縁が無く、貸し借りにしたってナニも無い。

 見栄もなく、虚勢も張らず、プライドたって別に無い。

 まわりを見回しても、別に人間には興味が行かず、地球や宇宙だけが残った楽しみ、そんな感じ。

 

 社会がどんな状況になろうとも、群れに混ざり誤魔化すことはせず、自分として毅然と生きる、これを64年続けていると、多くのお利口な人たちがやってくるようになり、楽しい毎日になっている。

 それぞれが毅然として、笑っている。

 互いにそれを認め合い、違う部分も頷き合える、これが出来て初めて社会は豊かになるが、多くの大人社会はみな洗脳と煽動の奴隷として、死ぬまで隠れて卑怯な歪んだ笑いで生きて行く。

 

 コンピューターが高度な技術を披露するようになっても、それを操っている人類が劣化の一図であれば、それもなんの意味も無いわけで、その最たるものが投資や運用と踊っていた金融経済の斜陽だろう。

 単細胞、単純な人間ばかりになってしまえば、必ずや諍いや争いや喧嘩は酷くなり、社会は崩壊へと進み、振り出しに戻るがごとくに退屈な歴史を繰り返すだけだ。

 人類の、愚かな一面と、それ以上にはなれない哀れな獣。

 

 世の中の猿の群れが相変わらずに騒いでいる感染症という、目に見えない謎の世界はあるが、それが存在すると仮定しても、身を守る為に自然なものではない人工のワクチンをあらかじめ体内に投与することは余計なお世話で、健康な人体に人工の怪しい物質をワザワザ注射器で入れてしまうなんて、愚の骨頂だろう。

 こういった予防医学は、過去200年くらい前から世界中で盛んに研究され、ワクチン開発も進めて来た。

 それと歩調を合わせるように、癌や難病・奇病というものが、たくさん病名を付けられて登場している。

 まず、流行する、そういった煽動をメディアを使って大々的に広報し、恐怖を煽る。

 人々は思考の停止したパニックになり、そこで脳味噌の色付けは終わってしまってる。

 流行する? 感染症という医学的な言葉には、謎は多い。

 感染するのではなく、各自の体内の免疫や抗体が弱くなるからこそ、もともと地球上にあったウイルスに過度に反応してしまうのではないのか?

 ウイルスが新しいのではなく、人体に人工の怪しいモノを入れることで、免疫や抗体が弱り、異常を来たし、いろんな反応が重症化という形で現れているだけだろう、俺はそう想っている。

 本来、地球上に生きる生き物は、生まれ持っている免疫や抗体を使って生き、地球上のウイルスや病原菌と闘いながらそれを強くして行き、健康を手にするものだ。

 生涯を海や山での遊びで生きて居る俺なんか、誰よりも強い免疫や抗体を得ていると自負している。

 だからワクチンなど、一度もうったことがない。

 逆にワクチンをうったとしても、それすらやっつけてしまう免疫や抗体を、すでに身につけているだろう。

 そういう日常など送らずに、神経質に籠ってしまっている日常生活で、人工の予防医学を信じて色んなワクチンや薬剤を体内に投与してもらって生きて居る猿ばかりの現代社会では、人体が単純な機械でもあるかのような扱いで、流行れば事前にワクチンで対応するという、あまりにも猿な思考だけで集団接種会場は大混乱、お笑いだろう。

 お受験・お勉強ばかりで数値の評価だけで生きて居る単細胞エリート諸君には悪いが、人間の世界とは、そんな数値で解剖できるような軟な世界ではない。

 それが解るころには、驚くほど多くの被害者が、世界中でのたうち回っている、生き地獄にも見えることだろう。

 俺から見れば、なんということもない、自然淘汰という奴さ。

 人口が増えすぎて、人間が植物になってしまえば、ひとつの悪弊で根絶やしにされる、これは必定。

 

 組織や、グループや、チェーン店や、コネやお友達ゴッコで自営をやってるようじゃ~、金魚の糞だ。

 その時点で、もはや話すことなどナニも無い。

 厳しく生きる大人がいなくなってる現代だからこそ、冷酷に、厳しく生きて見せるオスも必要なんだよ。