オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

身体障害で介護と看護の、独り言

2022-08-19 11:30:27 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 木曜日は、直腸癌の93歳になる爺様の便通が悪いと聞き、ここのところ歩いてないというので軽く散歩と婆様の買い物に付き合ってやって、忙しい仕事に戻っていたが、夕方、いよいよ調子が悪いと言うので薬の処方を聞いてみると、便通が悪くなりそうなときには早めに飲むべき薬を飲んでないことが解り、急ぎ飲ませて様子を見て居った。

 婆様は呑気に構えていたが、その後に爺様が苦しいと言い出して横になってると、電話を寄越した訳だ。

 肛門出口近くの直腸癌は通路を塞ぐくらいに膨らんでいるから、命が先か、癌が先か、手術をして俺とおなじオストメイトになることは高齢だから無理だと拒み、消化の良いものを食し、腸を動かす軽い運動を続けることで5年の歳月が流れている。

 もう、充分に生きた年齢ではある。

 治療らしい医療行為はナニもせずに、人間らしく生き、あとは自然に任せる緩和ケアを選択している。

 深夜にバイクから車に乗り換えて、二人の元へと顔を出すと、爺様はベッドに横になったまま、病院に行ったほうが良いと、婆様を怒るばかり。

 酷い腸の閉塞状態と疲れから、婆様にあたり散らしておった。

 もともと我儘で日常のことはナニも出来ない癖に、偉そうに威張り腐って生きて来た爺様は、癇癪を起しているようでもあった。

 ・・・緊急でかかりつけの大病院に行くのは良いが、このコロナ下では、入院したら1週間は面会のできない孤立した状態になるが? 手術などはしないと言ってあるから、対応だって俺のやってることくらいしか無い、それでも病院に行きたいのか??

 腸閉塞から破裂して、腹膜炎を起こした挙句にオストメイトになった俺の話は、落ち着かせる効果はあった。

 それからマグネシウムを飲ませ、明け方までベッドとトイレの往復を繰り返し、何度もオムツを取り換えて、背中と尻を温めてやりながら、5時頃に便通が戻って熟睡し始め、婆様も休ませていたが二人で鼾をかき始めたのを確認して、一度戻り、車からバイクに乗り換えて、店を開けたのが朝の6時半。

 一晩中、爺さんの小出しに出てくる便の処理を手伝ってやって、肛門にゆっくり指を入れて道を作ってやり、真夜中の糞まみれゴッコだった。

 子供らの便秘も、そうやって治してやったもんだ。

 頭デッカチな、頭脳優秀で知識豊富で能書きだけは偉そうな奴らには、こういう現場の、気を利かせた細々した身辺の動きなど出来るものでもない。

 身体にナニが起きているのかを考えて、最善の方法を行う、糞まみれ、便まみれですら、生きている証ではある。

 一睡もできなかったが、仕事はイロイロと始まっていた。

 猛暑の午前中に大量に使ったオムツ類の買い物もしてトボトボ歩いて届け、様子を見ることにした。

 癌の外科的手術を拒否した以上は、本人と周りの人間の力でなんとかしなければいけない。

 去年、田舎の実家を売り払って、大量の荷物も片づけ処分して、二人を近くに引っ越しさせておいて良かった。

 婆さんはずっとのあいだ・・・助かったよ、あんたのおかげよ!・・・を繰り返しているが、誰が良いとか悪いとか、そんな話にすること自体がナンセンス、みんなで癌と戦ってるだけのことさ。

 ステージ4を宣告された癌転移患者も近親にいるというのに、これはこれで自分たちではナニも出来ない訳で、ずっと見守って付き添ってやらなければいけない。

 なんとか今回は、乗り越えたようだが、ナニも終わってはいない。

 良かったという話にはなりようがない。

 その繰り返す日常を受け入れて、常に対応を考えて即断即決するだけの話だ。

 誰かに頼る、誰かにやってもらう、そんな話ではない。

 出来ることがなくなった時、終わりになる。

 

 俺には三つ下に、静岡で結婚して孫までいる妹がおった筈だが、去年車で2時間くらいの場所に両親を引っ越しさせてやっても、一度も顔すら見せてない。

 怪しい宗教か、怪しい化粧品の販売に手を染めているらしいから、電話で老いた両親に商品を売りつけてくるだけのようだったが、俺のことが怖いから、この頃は自分の親のことすら忘れてしまってるようだ。

 思春期の頃から宗教に染まり易く、親が毅然と対応しなかったために、俺が殴り飛ばしてやめさせたり、そんなこともあったが、ずるい心持と、怠惰な淫乱心、ナニかに救いを求めるその安易な行動や思考自体が、嘘だと気が付かないまんま、ナニを言っても聞けない猿以下の老豚に成り下がっている。

 テメ~の親の面倒すら見れない癖に、他人に偉そうにアドバイスをしている腐った大人社会、そんな奴の子や孫は、どんな立派な大人になってゆくんだろうか?

 身内から無視放棄されて、孤独のうちに死んで逝った老人たちの凄惨な最期を、たくさん見送るような仕事もこなしてくると、苦笑しかないよ。

 

 婆様の血筋は母親が105歳まで生きて、兄弟もみな元気に過ごしていたのだが、ここに来てガタガタと良からぬ病に倒れている話を聞き、ワクチンは? みな3回うっている、そういうことだった。

 俺は一応アドバイスはするが、あとは本人しだいなのが限界で、周囲の動きを注視して動き出す日本人は、みな同じ動きになってしまうのも、仕方の無いことだ。

 自然免疫に異常を来すと、どんな悪病に襲われるかも解らない。

 今まで長年に渡って生きて身に着けた免疫を、アッという間にご破算にしてしまってる。

 夏の夜の怪談よりも恐ろしいことが、みなさんの目の前の現実で起きている。

 

 自分たちではナニも出来ない高齢者たちの日常のことを、最善の方法を考えて色々と動いてやるようになると、そこでまたたくさんのアクシデントは生まれて来る。

 新聞・テレビ・政府を心底信じ切って生きて来た世代だから、価値観の違いは如何ともし難い障壁になっても、それぞれのことを理解してやって、病院や薬や食事や運動についても多方面から知恵を授けて一緒に動いてやってる。

 今の高齢者たちは能書きや態度は偉そうであっても、日常の自分のことがまるで効率よく出来ないようになってしまってる世代だから、悪い連中が寄ってくれば良いように騙されてしまうのも解るが、俺の近い身内である以上は他人様に面倒をかける訳にも行かず、手を出したが最後、本当の最期まで面倒を見ると覚悟は決めている。

 縦割り社会の推進世代、一芸は秀でていても、全方向の人間としての知恵や知識や経験は、皆無。

 ま~、あちこちに子供がいれば、そんな身内の高齢者の数も倍々倍々になってるがね。

 そこで関わる側の者が姑息な自分の欲を振り回せば、余計に話はこんがらがって、ややこしくなる。

 幸いなことに、俺は自営で無借金経営、去年・一昨年と自作のバブルも作っているから出来ることではある。

 高齢者本人にとって、この現代社会で、今、それぞれの資力・収入で無理をせず、ナニが一番に良いのか、その道筋を考えてやることは大変な労力を要する。

 それぞれの財産管理をするには、それ目当てではない資力を持っていなければ、ボケた高齢者でも信用しないのさ。

 仕事が出来る年齢ではなく、稼ぎを増やす年齢でもなく、年金と貯えだけで生活設計を立てなければならない。

 業としてのファイナンシャルプランナーではなく、他人の負担にならないようにとプランニングしてやってる。

 自分たちではナニも出来ない癖に、子供とは違って、長い平和の下で自分たちの優雅な生活のリズムを確立してしまっている訳だから、そのリズムを変えないように、ただ出来ないことは出来ないと、淡々と対応するしかない。

 急に体調が悪くなったりすれば飛んで行き、薬の処方の仕方や日常の生活の改善まで、いろんな話をしてやって、散歩や買い物に付き合ってやることも日常のことになっている。

 昭和の初期に生まれた世代は、現代人から見れば夢の中を生きて来たような幸せな世代だったろう。

 ・・・戦時中は大変だった・・・が口癖の世代だが、いよいよ俺が言ってきた通り、一番に呑気で幸せな世代になってしまってるだろう。

 年金だってしっかり出ている世代だ。

 癌や心臓やといろんな持病も持っているが、もう十分に生きたろう? という思いもある。

 死なせない現代社会の矛盾も、年中あちこちで感じてはいる。

 それでもテレビや新聞には食い入るように目を向けている毎日だ。

 宗教ではないが、おなじような状況に陥って生きている高齢者は、社会のあちこちに溢れ返っている。

 それに巣食って票やゼニカネを吸い取って行く組織も、あちこちに溢れ返っている。

 なんだろうな~、馬鹿ゲタ話だな~、俺の世代はそう思いながらも、コツコツと今やるべきことだけをこなしてる。

 

 これで身体にメンドクサイ障害を負っている身なんだぜ。

 仮眠をとって、夜に風呂場で腹のパウチの交換作業をやりながら、俺はこれが自分でできなくなったら、終わりにしよう、奥山か、海の沖に泳ぎ出て、それで完結という話でよいな~と、つくづく笑っていたよ。

 結局は自分の尻もふけない大人社会で、ぶ~ぶ~終わりになんかしたくはないぜ。

 


アホウ臭い阿呆くさいと、大笑い

2022-08-17 10:07:07 | 銀座の周旋屋

 

 新型コロナの馬鹿ゲタ騒動が始まって、夏以外の季節は温水プールで泳ぐことすら出来なくなっていて、山に登るだけで体調はイロイロと悪くなっていた。

 ここに来て、やっとプールも規制解除になって、泳いだり柔軟しながら歩いたりが出来るようになって、仕事の疲れが取れるようになり、気持ちの悪い凝りからも解放された。

 そうして海で泳ぐ、これが一番に健康には良い。

 ガキの頃からの夏の過ごし方は、海や川で存分に泳ぐこと。

 ゴーグルなんて面倒なモノなど持たず、裸眼で素潜りしたり自在に魚のように泳いで遊んでおった。

 泳法も横泳ぎや背面バラフライや、立ち泳ぎだって学校で習う泳ぎなど幼稚な泳ぎはいっさいしない。

 水に入れば勝手に身体が自在に動き、穏やかな波であれば仰向けに浮いたまんまで、心地よく居眠りすらしてしまう。

 この季節は山よりも海に身体が向いているから、使う筋肉もぜんぜん違ってくる。

 今年も普通に、ナニゴトもなく、悠々と沖へと泳ぐことが出来ている。

 これで障害者手帳を持っている障害者だが、健常者の方が臆病なタコだろう。

 それでもときどき山にも登っておかなければ、秋からの装備が重くなる本格的な山の季節に、対応できなくなる。

 関節を緩めるのが泳ぐことで、関節に負荷をかけるのが山を歩くこと、両方やっておけばまだまだ大丈夫。

 毎年の夏は、凝りからの解放になっているのは、そういうことなんだろう。

 それにしても、この下らないコロナ騒動、人間の健康を損なう日々が狙いだとも言える。

 ワクチンだって何度もうっている者ほど、何度もコロナにかかったり、おかしな病に倒れている。

 俺の多くの関わり合いの中では、それが真実だ。

 メディアを使ってワザと解り難くしてるだけの煽動報道とは、ぜんぜん違っている。

 地球や宇宙から自然に多くの栄養をもらい、病に罹ったら自分で免疫を作る、これが生物の進化だが、それを人工的にワクチンでやること自体、キチガイ単細胞のやることだ。

 傷を治すとき、痛くないように急いで治す弱っち~現代人らしい。

 俺は、昔から時間をかけて痛みにも耐えて、じっくり自分の肉体の治癒能力を信じて治すのが常だ。

 早く、痛くなく、その為に強い薬や強い影響を人体に与えて、おかしな無理をさせていることにはいっさい無関心。

 俺はインフルエンザでもワクチンは怪しいと思い、うってない。

 どんどん人工的な身体に飼育されて、豚舎の豚のように美味しく喰われるように管理されている。

 一度自然な免疫を壊してしまうと、人工的な治療だけの輪廻に嵌ってしまうことには気が付かない。

 そういうことだろうが、あんたらは手遅れになってしまってるだろう。

 まず資本主義社会では組織という小さな括りで縛り上げ、組織のルールで管理し奴隷と育て、あとはそこにいたければ言うことを聞けと、投票やワクチン接種から趣味嗜好まで命令し従わせる、余暇ですら決められて管理されている。

 なにが自由だ? なにが幸せだ? 

 大笑いだろう。

 

 われわれ土着の日本人は、遠い過去には太陽を中心とした大自然を神とも捉え、高い山の頂には奥社の小さな祠を建て、神が降り立ち、死者が天に帰る場所として、神聖な目印を置いて暮らしていた。

 これを高天が原と呼ぶこともあった。

 頂に祠を建て、麓には社を建ててその地域に棲む人々の生活に密接に寄り添っていた。

 大自然の猛威や、地震や噴火や津波といった大災害が常に起きる島国では、自然にそんな原始信仰が生まれていた。

 金儲けとして存在していたわけではなく、誰ともなく寄進を繰り返して、その維持は成り立っていた。

 海を生業とする民や、山を生業とする民や、狭い平地で農耕をして暮らす民やが、みなそれぞれに寄り添い信仰する神が、あちこちにあった。

 これを八百万の神とも呼ぶ。

 その根源は、人ではなく、先祖の霊でもなく、地球や宇宙という太陽を中心としたモノに、神を見ていた。

 そうしてその神々に手を合わせ、祈願・御礼として寄進するものらがその神の居場所を維持して来た。

 神社や寺の維持費というものは、信者の数や信者の富に比例していた。

 苦行を続ける生きている人間が神になることはあったが、死者が霊として残り、神と呼ばれるようになったのは、金儲けとしての信仰が始まった頃からだ。

 豪華絢爛な菩提所は、富と権力の証として、建てられるようになった。

 決してそこに何者かの神が、存在する訳ではなかった。

 単なるモノとして、生きている者の詭弁としてだけ存在するようになった。

 つまらない話だ。

 遠い昔から、険しい山の頂きであればあるほど、尊い神が降り立つとも考えられていた。

 その頂からの景色は、この世のモノとも思えないほどの絶景がなければ、頂の格が落ちた。

 その頂を足下にするためには苦行をモノともせずに、黙々と道なき山を登る者らが修験者や山伏の発祥でもあり、そこから行として確立されていったのは遥かに古い話となる。

 雪解けの山の姿が、駒のように見えればその年は豊作になるとか、日本中にある駒ケ岳という山々の由来だが、その為にインチキしてでも駒に見えるようにしたいと、豪雪の雪山に登り帰らぬ人となった若者たちは多かった。

 外国の勢力に染められ始めた明治の怪しい大転換時に、修験者や山伏は廃止となったが、いまだに登山と称して、レジャー・スポーツに紛れてそれを続けている者も多い。

 根本的に山に登り歩く意味が違っているから、百名山・三百名山なんて間抜けな猿の遊びには、興味もない。

 俺はガキの頃から地方を転々としたおかげで、あちこちの山や海で遊び惚けることが出来て、この島国の民の先祖について、身を持って感じるものがあった。

 自分の短い生涯で、それを最初からやってみたかった。

 だから延々と人のいない高い山を歩き、人のいない海で泳ぐ、これで半世紀以上も費やしてきた。

 果たして神になれたのか?

 自営の仕事も含めた日常生活では、常に社会や他人との関わり合いを一個人で増やし続け、出家してノホホンと生きる坊主や神主など見下して、決して群れにはならず、贅と欲に溺れる猿の社会にも背を向けたまんま、ひたすらに大汗をかいて遊び惚けて来た。

 楽な遊びではないのは、言うまでもない。

 いつ死んでも良い、そういう状況を日常生活では常に抱えておいて、遊び惚ける、だからこそ大笑いが出来る。

 当たり前だが、借金・負債は個人でも経営する複数の会社でもびた一文持たず、貸し借りも作らない。

 人生の行く先々で可愛いと想った利口な女を愛し子供を産んでもらい、10歳まではキチンとチンコロのように育て、不倫や浮気などというトボケタ自慰の延長ゴッコなど何処吹く風、その後もその爺婆までみな面倒を見て、今が在る。

 この歳になってくると、人間社会の嘘はすべてが見抜けてしまえるようになり、ようやくに神の近くへと辿り着いたような、そんな可笑しさもある。

 この島国の太古の時代に生きた民とおなじ心持ちを味わってみたい。

 この島国で、今、味わうとどうなるのか?

 可笑しいことだらけ、笑いは止まらなくなってしまう。

 人間の送る生涯なんてものは、洗脳されて煽動されて、それをすべて一度粉々に破壊して、そこから自由自在に自分自身を作り上げて行く作業だとすれば、俺の完結は近くなっているさ。

 さ~、人のいない奥山に登ろう、さ~、人のいない海で泳ごう、地球や宇宙と一体となれる幸せを、存分に味わって、人間の社会でまた現実を過ごす。

 神は人に宿り、人は神に宿る。

 そういう信仰こそ、本当の信仰ではある。

 群れにならず、独りで、立つ。

 悠々と笑い、小細工はしない。

 そうありたいし、そうなってきていると想っている。

 ありがたいことだろう。

 なににも依らない自営でなければ味わえない、そんな境地に入っているようでもある。

 

 阿呆くさいと言えばこれほど阿呆臭い場所もないが、人間で生まれた以上は、そこで自由を謳歌する。

 命あるものはみな、笑って楽しく生きていたい、それだけのことさ。

 


盆も正月も無意味な行事になった

2022-08-12 10:11:07 | 地球と生きる

 

 ま~だ、テレビや新聞やネットから情報を得て暮らしてるの?

 塀の中に閉じ込められたまんま、与えられる情報もみな一緒、奴隷解放なんて海の向こうの他人事。

 朝から深夜まで、ワザとピント外れのどうでも良いような記事やニュースばかり、雑音でしかないガス抜きに目眩ましの喧嘩に争いを見せられて、決して肝心要の話には行き着かない、そうやって昭和から令和まで河原乞食の見せ物に夢中になって終わってる。

 可哀想な日本人。

 

 安倍元総理が銃撃されて亡くなって、1か月が経つが、安倍派だとか安倍に面倒を見てもらっていたり育ててもらっていた連中のその後を眺めていると、ぜんぜん意味が解らない。

 みな自分のことばかりで、安倍を殺した本当の下手人については、一向に調べようともしていない。

 その死因もうやむやのままで、大量の輸血が必要だったとか言ってる割に、倒れた路上はキレイなもので、その場で胸や腹部を開いてる写真を見ても、血痕すら確認できないが、そんな大事なことを一切公表しないで封印してしまう姿勢には、うんざりする。

 大メディア主導でその後の話ばかり、統一教会の話だって表面的な報道ばかり、やるときはノイローゼ患者のように徹底的に攻撃の手を休めないのに、おかしなもんだ。

 すぐに国葬を決めてしまったスピードとは、ぜんぜん真逆ののらりくらり。

 日本の有名・著名人の死については、昔から怪しいことは多いが、メディアが緘口令を敷いて、当事者のまわりの人間もだんまりを決め込む、決して復讐だとか追求だとかはしない、おかしな連中だよ。

 結局は外国の大きな力の前では、従順に従うしか方法がない。

 奴隷国家の中の、奴隷同士のひそひそ話で終わってしまう。

 アメリカの奴隷国家だったものが、中国の奴隷国家となるだけのことだろう。

 独立自立できないメンドクサイ放蕩息子とおなじで、世界からは国家としても見られなくなってゆく。

 アメリカはいよいよ国家分裂に向かい、世界の覇権は中国に移り、台湾や日本は中国管理の離れ小島となって生きてゆくしか存在の意味がなくなってくる。

 与野党の政治家や官僚・役人のオツムの馬鹿さ加減やその日常を見ていると、エリートの器の小ささに、呆れ返るだけのことだろう。

 コロナ騒動の珍獣な専門家たちや政治家たち、相変わらずだが、馬鹿げているよ、日本。

 

 昔から、安っぽい民主主義を謳う連中や安っぽい左翼の常套手段には、すぐに被害者面する、差別や格差を持ち出してくる、弱者の味方、宗教の自由、そんなものを前面に押し出して来ては、自己防衛に走るのが多かった。

 臭い芝居、キレイごとの弱者救済、いくらでもある。

 悲しい歌、せつない歌が永遠の名曲なわけは、洗脳し尽くした猿の群れには響くようになってるからだ。

 俺にはナニも響かない。

 営業の世界では、身内を勧誘し、身内からモノを売る、泣き落とし、こういった後ろ向きな手法があるが、そればかりになってくると小さな利益供与のグループで終わってしまう。

 そのグループを束ねてしまえば大儲けできると踏んで蠢くものらが、宗教や大企業にはたくさんいる訳だ。

 右翼も地に落ちているし、左翼も地に落ちている。

 与野党の政治家が地に落ちて、誰がこの国の責任を負うのか?

 芸術や芸能の世界なんて、すでに政治利用しか価値がなくなってる。

 大笑いしてやれば良い。

 

 オストメイトになって6年くらいになるが、健常だった頃と別にナニも変わらない生活を送り、3~4日に一度の腹のパウチの交換だけ、それも慣れてしまえば日常のことで、たまに制御できない放屁が高らかに鳴り響くこともあるが、これも笑い話で終わってしまう。

 トイレだってオストメイトトイレなんかなくても和便でもオッケ~さ。

 便通については医者よりも詳しくなっている。

 どんなものを喰えばこうなるか、こんなものを喰えばそうなる、ありとあらゆる実験を自分で面白がってやってきてるから、そりゃ~話題には事欠かない。

 便秘で苦しんでる女性には、いくらでもアドバイスが出来る。

 オリーブオイルや魚介スープの入ったパスタは大腸が喜ぶ食い物だとか、鰻も源泉で生きてる鰻が腸には良いとか、オモシロイ話はいくらでもある。

 すべて実践している経験談だから、ネットの情報オタクには詳しくは話さない。

 一部だけ知ったところで、生活というすべての中での一部という話だから、意味をなさないだろう。

 その前後を知らないくせに、それだけ話したところで、実のある会話にはなりもしない。

 馬鹿は馬と鹿と書くが、そんな戯けた大人社会が拡がっている。

 

 高齢の親の面倒は金を出して他人任せ、病院や施設で薬漬け、専門家の言うとおりに動くのが楽で良い。

 そのくせ退屈で無意味な日常の習慣や行事はその親に教わったとおりの、古臭い昭和の宴ゴッコ。

 こういう大人社会で、エエんかいな?

 俺の関わってる高齢者たちは、昭和の老人の辛気臭い姿など捨てさせて、面倒から解放されて笑って生きている。

 責任を一身に負うだけの生き様もなく、経験もなく、飼育されて生きてるだけの猿には、親からの信用も無い。

 介護や看護も、ナニも他人や社会とおなじである必要もないんだがね、創造力も自信もナニもないんだね。

 

 海で、泳いでいる。

 気持ちの良いことだ。

 山はしばしお休みで、9月までは泳ぎまくってやる。

 癌の転移患者にも無理を言って、潮風を浴びてもらうしかないな。

 それも地球からの大事なプレゼントには違いない。

 紫外線も浴びて、身体に悪い訳がない。

 

 盆とゴールデンウイークと正月は、猿の群れがどこでも群れて騒々しいから、なるべく仕事をする。

 出掛けるにしても、常に逆方向にスイスイ動いて遊ぶことになるが、これは30年前からずっと同じだ。

 呆れるくらいに、群れて競い合い他人の目を気にして喜んでる猿の集団には、辟易するしかない。

 その安っぽい自意識や自惚れの正体に、早く気が付くことのほうが、先だろうな。

 


仕事の合間に高齢者と寿司を喰う

2022-08-10 09:38:07 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 週末は転移癌を持つ身内と山や海へと遊び惚けて、大自然での治療に余念がないが、昨日は1年前に銀座から歩けるマンションに引っ越しさせた93歳の爺様と88歳の婆様を連れて、強風のアクアラインを走って来た。

 田舎にいるときは酷い認知症だったが、それも毎日顔を見せて会話するようになってキレイに治り、広い実家も売り払って、庭の手入れや古い家の補修やらがなくなって、その金で家賃収入も入るような新しい生活にすべて大変革してやったから、向後の憂いなく、ニコニコ笑って生きている。

 ファイナンシャル・プランナーごとき偽物専門家らは、偉そうなことを机上でほざいてはおっても、自分の生活や親の面倒すらキチンと出来てないお子ちゃまばかり、大笑いだろう。

 夏休みのせいで、海ほたるは混んでおったから、木更津に抜け、いろんな寿司屋を知っているから空いてるとこで昼飯を喰らい、合計3時間ばかりの楽しい時間を作ってやった。

 ・・・あんたはどこの道も、どこの店も詳しいの~

 ・・・この辺は近所だから、サンダル履きでチョイと来るとこよ、混んだら抜け道も自在に知っているさ

 帰路は渋滞を避けてのドライブで、弱い広島カープの鬱憤晴らし、たくさん見て、たくさん喋って、たくさん笑って、今朝は早くから元気に介護の体操へと出掛けて行ってる。

 仕事の合間に、こういうことは日常にこなしている。

 あちこちの高齢者の相手をするのは、長い時間は必要ない。

 短い時間を、コツコツと毎日のように積み重ねて行くのが一番に良い。

 昭和の一桁世代は、わがままで偏屈・頑固なのばかりだからな。

 なにかのついでにという形にしてやるのが、高齢者にも負担がない。

 そういえば先々週、結婚してる娘がスーツを2着買いたいというので埼玉で付き合って買わされて、腹が減ったから美味いパスタを喰いに行こうと、トットと渋滞とは逆の下りの高速に乗り赤城山の麓まで車を走らせたら・・・このオヤジの感覚にはついて行けない・・・と、呆れ返っておったが、美味いパスタには感激しておった。

 人生を山や海で遊び惚けているオヤジには、その辺はみんな近所になっている。

 

 夏山登山の事故が報道を賑わしているが、海で溺れた、川で流された、山で遭難した、毎年の風物詩でもある。

 メディアは視聴者が見てくれるだけで広告効果が上がるわけで、別にその報道内容なんてなんでも良いのが本当。

 スポンサーの宣伝広告を多くの視聴者見てくれることで、御の字なだけ。

 社会での事件や事故なんて、俺がガキの頃だった半世紀前の方が、今よりも10倍は多かった。

 幸せボケして、いちいち反応してんじゃ~ね~よ。

 そもそも、島国で生きている日本人が、海で溺れて、川に流されて、山で遭難する、これは恥ずかしいことだろう。

 俺なんざ、ガキの頃から川で泳ぎ、海に潜り、山を飛び歩いて育ってるから、溺れたり流されたり遭難する奴らの意味が解らない。

 溺れようにも浮いてしまうし、流されようにも泳いでしまうし、遭難しようにも草花や獣と戯れてしまう。

 そうしてこれ以上は決してやらないという限界も、よ~く身体に身に染みている。

 それを若い連中に笑って見せてやってるが、目の前で溺れたり流されたり遭難する大人や老人ってのは、もう生きて来た意味が無いボケ作の集まり、とっとと逝ってしまった方が社会のためだろう。

 積み重ねた経験が意味を持つのは、生きてる日常の話だ。

 無意味な知識や方程式ばかりを詰め込んでおっても、自慰とおなじで子供や若者たちにはナンの意味もない。

 

 仕事で走り回ってる時、この熱暑のさなかに、蒲田駅近くのコイン駐車場の敷地内にテントを建て、そこでPCR検査の幟を立てて職員がパイプ椅子に座って検査をしている姿を見たが、あんたらは正気なのか? と、心配にもなった。

 冷房も扇風機も無い屋外で、高熱を発する停まったばかりの車で溢れる駐車場の横で、コロナよりも熱中症になって倒れる者もいるんじゃ~ないのか? と心配にもなった。

 こういう馬鹿げたことを続けて、検査を受ける方も受ける方だと、正気を失っている日本人、大丈夫かい?

 

 5月6月の時期に、すでに原油や穀物類の高騰は峠を越えている。

 現場ではすでにインフレは収まりつつあったが、金融緩和によって資金がだぶついている市場では、投機的なインフレ騒動は続いている。

 価格や給料を上げるために、インフレを装う、手段としてはあるが、果たして皆さんの生活物資は値上げラッシュであっても、給料はそれ以上に上がっているのかどうか? 

 資源・原料の価額が上がっても、消費者の手にする商品の価額はまだ上がってる、時差があるんだとさ。

 先物市場とは、そもそもがそういう乱高下を抑えるために創設されたはずだったが・・・賭場になってしまってる。

 こういう詐欺同然な資本主義社会で、自由自在に笑って生きて行くには、大儲けなんて無駄なことさ。

 コツコツ自分だけのバブルを作っては先を見て動いておく、この繰り返しで死ぬまでは安泰だろう。

 猿ばかりの社会では、ホンモノの人間は食いはぐれないようになっている。

 大笑いだ。

 

 夏は暑いから夏という。

 そんだけの話をいちいち大騒ぎする、温度の計測法を変えれば30度が35度にもなるし、38度だと言えばそれを聞いただけで汗だくになって卒倒する猿がいる。

 現代社会のお笑いゴッコ、あちこちで繰り広げておるわい。

 知ってるの?? 

 進化とは、その今の環境に合わせて笑って生きることを言う。

 

 


海も山も、夏は輝いて大汗の日々

2022-08-08 11:07:37 | 銀座の周旋屋

 

 山を降りているときに、靴紐を緩めている奴がいたりするが、山は降りるときこそ靴紐はキツク締め、気も引き締めるのが普通のことだ。

 いま、世界経済は下山を始めている。

 ここで煽動メディアに乗せられて、ノホホンと緩く生きてる大人たちは、みな因幡の白兎。

 大国主命は、おらんでよ。

 

 10年くらい前に、船舶免許の更新のとき、東京湾に落ちている雷の事故が増加していることについて話があったが、先週はたくさん落ちて居った。

 高い山では落雷が始まる前に雲行きでそれはわかるが、あんまり逃げ場の無い森林限界の上の方にいるときにそれが発生すると、恐ろしい状態になってしまう。

 まじかに落ちる雷の轟音と火花は、これは肝を冷やすには十分だ。

 人類の幼稚で愚かなミミッチ~存在なんて、芥子粒よりも小さいことを実感する。

 涼しい高地ではなく、暑苦しい低い場所で馬鹿面して群れてやってる地球温暖化騒動なんて、人類の社会だけの詭弁でしかないことがよく解る

 本当に温暖化してるなら、とっとと獣たちは高地に移動してるだろうよ。

 

 戦後から一貫して、メディアに先導させて日本人を自閉的な空間に押し込む方策は延々と続き、テレビや新聞、ネットメディアばかりを見て暮らす間抜けな民族に変貌させている。

 現地に行き、自分の眼で生の今を見る、これをしなくなった猿の群れは、夢の世界を信じて彷徨っている海のゴミ、そんな日々を送っている。

 この時期に海に行っても、波打ち際でパチャパチャやってる猿ばかりで、沖へと泳ぎ出る人間はいなくなってる。

 ゆっくり泳ぎ出れば1時間や2時間は浜に上がってこない爺ィなんて、もう変な生き物扱いになってしまってる。

 はっきり言えば、変なのはお前ら猿の衆の方だろう。

 メディに洗脳されたオツムで優雅に? 暮らしてる連中は、今は平穏でも、じきに医者や薬や宗教や、アルコールがなければ生きてはいけない弱者に成り果てる。

 素敵なコマーシャルを乱発している酒・アルコールもそうだ。

 気が付かないうちに幼児教育から義務教育、社会に出ればまたメディアの煽動、自分の手と足を使って生きる術を知らない飼われた猿は、死ぬまで自由を知ることもなく、大自然を知ることもなく、騙されたまんま過ごしてゆく。

 なにか起きても、まず自分の意見はなく、すぐにメディアを見る癖は、すでに色付けされ終わってる奴隷の習慣。

 自分で解釈ができずに、自分で即断即決できずに、どうやって自由を手にするのか?

 選択肢の中から、気に入ったモノを塗りつぶす? 

 今日はナニをして過ごそうか? 

 与えられる情報・知識いがい、他にはナニも無い。

 これを飼育猿と言う。

 どんなに優秀だと言う大学を出て、高収入を得ている大人になっても、その日常はそんな程度だ。

 なんか芸はあるのか?

 それも資格に競技にと、誰かに判定してもらうお遊びかい?

 他人との比較競争がなければ、自分で自分を評価できないなんて、可哀想に・・・。

 

 癌ステージ4から、緊急手術をして悪い部位を取り除いてもらい、転移個所については免疫療法で対応するということで、退院後1か月半で1700mくらいの山歩きを始め、毎週のように地球の美味い空気を吸い、帰路にラジウム温泉や良い源泉に浸かる生活に付き合っている。

 体重は5キロ以上戻して、美味いものを喰らう食欲も排便も普通に戻っている。

 転移個所を手術するか、手術ができなければ免疫療法では頼りないので、抗がん剤治療を始めるか? というような色んな話があるが、今のところ元気いっぱいで、仕事も続けているし、長距離の山や海での遊びにも付いて来てる。

 それが楽しくて気持ち的にも頗る良いらしいから、ま~、どのみちいつかは死ぬわけだし、手術も抗がん剤治療もナニもせずに、このまま生きれるだけ生きるという選択肢も考えている。

 医者や病院の出してくる選択肢は、治療という大前提があるが、治療とはそもそも自分で生活を変えて、楽しく笑いながら生きて行くということを先にやらなければいけない。

 生きるという意味について、常々自分で考えてある俺なんかは、元気になってる身体ならば、このままナニもせずに地球から湧いてくるモノだけを取り入れて生きて行くだろう。

 俺自身、オストメイトになって半年の間は、いろんな合併症や弊害があったが、すべての薬を捨て果てて、このまんま地球とともに生きて行く覚悟を決めている。

 もう6年くらいになるのか、大病院では1~2年でダメになると言われておったが、好き放題に激しく生きて来て、いまでも元気いっぱいだ。

 メディア奴隷の社会では、メディア露出の多い有識者・評論家・専門家・学者という珍獣たちの意見が正当化され、それらの珍獣の言うとおりに生きなければ行き詰まると考えるように洗脳されてはいるが、その珍獣ら自身がじきに行き詰まっているのをアチコチで眺めていると、滑稽な喜劇か? そんな想いで笑っている。

 

 ・・・ということで、俺は、山に海にと忙しい。

 詳細に話したところで、それを理解できる土壌や経験を持ってない猿らには会話が成り立たない。

 どうせテレビやネットの情報だけで、すべてを理解したつもりになってる哀れな斜眼帯。

 ・・・銀座のナンとかっていうお店は凄いんだって~

 ・・・行列ができているんだって~

 田舎者の情報弱者から洗脳を始めて、メディアで騒いでおけば、猿らの行列は出来てしまう。

 銀座に住む人間は知らない有名店、昔からたくさんあるが、じきに消え失せて知らないまんまで結構毛だらけ。

 銀座にいる人間は決して行かない店、騙されてる猿の群れは行列を作ってキッキと喧しいが、興味もない。

 阿呆かいな、アホウかいな。

 俺は仕事をしないときは、20代の頃から銀座や青山にはいなかった。

 東京にすら、いなかった。

 いつまでも、お幸せな日本人さんだ。