オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

虹を見て、粉雪に降られ、冬本番

2021-10-18 10:25:34 | 地球と生きる

 

 ここんとこ、週末の天気はいただけない。

 絶景三昧だったしっぺ返しが来ているとも、言える。

 ま~、しゃ~あんめい。

 

 ・・・婆さん、ヤギになっとるで! 

 87でも、澄まして自分はまだまだ大丈夫だとほざいてる顔のアゴの部分に、白いヒゲが4本5本。

 鼻毛シェーバーで剃ってやったがよ。

 ・・・爺さん、赤城山の麓に、鼻毛石という地名の村があるが、あんたそこの出身か?

 眉間に皺を寄せて機嫌悪そうな顔して睨んでおる92歳の鼻の穴から、長い鼻毛が1本びよ~ん。

 おなじように鼻毛シェーバーで、剃ってやったがよ。

 これがおいらの父だ母だと思えばこそ、笑いもとまらなくなるがよ~。

 

 我が国の政治や、大企業の動きは、そもそも西洋の人間が常にシナリオ・ライターで付いておって、その対抗馬やライバルまでも用意して、見世物として間抜けな国民を興奮させる仕組みが、戦後から出来あがっている。

 現場の真面目なチンタラ野郎どもも騙されて、踊らされて真摯な態度・・・喜劇は深刻そうに進んで行く。

 テレビや新聞、ネットのニュースですら、訳もわからずにそれに歩調を合わせて報道を続ける訳だ。

 な~んも、驚くような報道がなくなってる。

 退屈な、お里が知れてる報道ばかり。

 それでもあんたらは、新鮮な野菜でも喰ってるつもりで、興奮してるの??

 変態か?

 

 面白いことを言う奴は数多いるけんども、オモシロイことを書く奴も数多いるけんども、言うだけ、書くだけ、その日常生活は閉塞感満載、旧習にカビの生え腐った価値観で日々を送り、退屈このうえないチンケな愛や恋で誤魔化してる。

 言動一致する大人が、あんまりにもいなくなってるから、おら山へさ出掛けるべ~、ということになる。

 面白い生き方を続け、オモシロイ価値観で生きてる人間同士は、相通ずるモノがあるが、そんな相手すら、いなくなってきてるがよ~。

 

 この休日は関東近県で唯一晴れるだろうと考えておった尾瀬の近くまでは行ったが、赤く実ったリンゴに囲まれた古い石仏の寺を散策して、そこから金精峠を目指し、粉雪の降る中を歩いて来た。

 気温は2度だった。

 虹を見て、粉雪にも降られて、素敵な一日だった。

 粉雪の中、湯元から中禅寺湖の方に降りていったが、スイスイ空いておった。

 帰路、姿を現した男体山や、戦場ヶ原は夕陽に染まっていたが、さすがに冷え込んでいた。

 龍頭の滝も紅葉していたが、寒かった。

 温泉に浸かって・・・とも思ったが、帰りの渋滞を考えて、とっとと戻って来た。

 行きは関越、帰りは東北、混んでくりゃ~あちこちの下道で、遊んで帰る。

 半世紀も遊び惚けておりゃ~、幾らでも楽しいことはある。

 

 みなさんが混雑して集う観光地はこれから秋本番でも、原生の山々は冬を迎えている。

 歴史まで創作して弄り倒して観光ゴッコ、昔は講だの神社詣でと称して神や仏を飾り物にして、金儲けに励んで来てる人間の世界の秋なんざ、薄っぺらいお笑いだな。

 そこで染められた童謡の感性で感傷に浸ってるなんて、猿芝居の極地でもある。

 幸せな人たちでは、ある。

 何処に行っても混雑する観光地というワンパターン猿の集うメッカ、遠巻きにして通り過ぎる。

 いよいよ山本番、紅葉と、見通しの良い森と、明るい雪、凍える感覚はたまらんわい。

 

 


これからの時代が見えてない家畜

2021-10-15 10:04:41 | 世界覇権の交代劇

 

 なんども書いておくが、地球は寒冷化してる過程での間氷期なのが本当で、異常気象は当たり前のことだが、いちいちそれを大袈裟に解釈して見せて、金儲けや人類統治に利用してる連中は、もともとあった万病の元の風邪やインフルエンザに、新しい呼称を与えただけで、またまた人類にひと騒動を起こしてる。

 PCR検査の産みの親のマリス博士が、新型コロナ騒動が始まる直前に、仕掛けられて死ぬ前に遺した遺言は 「感染症の検査にPCR検査は使うな!」 だったが、メディアを巻き込んだ仕掛けの封殺に掻き消され、俺は去年の春にも書いていたが、こんな愚かな社会に成り果てた。

 そんな弱ったところに、この冬は凍えるような地球寒冷化の真の姿が垣間見れるだろうが、次は悪性のインフレだから、マッチ売りの少女の話が現実になる。

 俺は老いた両親を銀座の近くの日当たりの良い古い2DKマンションに呼び、田舎の無駄に広い二世帯住宅も売り払い、無駄の無い、毎日俺が会話の出来る状態にしてやったが、酷かった認知症はコロッと治り、愉快なボケ老人となり、差し入れの多い銀座の周旋屋の分け前に喜び暮らすようになり、地球の変化と資本主義の詐欺を先読みして、コロナ禍でも逆に動いて準備万端整えた。

 二人のボケ老人に事を理解させるのは至難の業だったが、一気に行動した。

 話し合いや、民主的な多数決など無視して、ひとりで責任を負う覚悟で強引に仕掛けたのは、二人の命の危機が迫っていたからだ。

 そういう時代に、われわれは生きている。

 たかだか人類のやることなんて、生きてる神々の前ではチョロいお遊戯だが、メディア奴隷な現代社会では、地獄絵図がこれから始まるよ。

 

 さて、ボケない為には日常に使っているものは定期的に替えることが大事。

 古いモノを大事にする、これが美徳のように言われているが、必要最小限の良いモノを相場よりも安く手に入れるには、知識も持ってないといけないし、しょせんはモノなのだから、感情移入などすることもない。

 先祖を思う気持ちがあるのなら、モノでしかない墓を飾ったりするよりも、自分の身体の中に流れている血を感じ、自分自身が社会の為に、他人の為にと日々を生きる、それ以上の先祖供養は無い。

 親孝行もおなじことで、メディアに煽られてナニか記念日にモノをプレゼントして、想い出したように年に何回か孝行をするのではなくって、その日常に会話をする機会を常に持ち、その自分自身の貰った命を精一杯、休まずに燃やし切る、生き切ること以上の親孝行などある訳も無い。

 

 同性婚で騒いでいる獣は、地球上では人類だけのことだ。

 根本には、婚姻と葬儀、徴税する側の都合と合理化による歪みがあるが、同性婚を主張する側の甘えも、ある。

 俺は子供の認知はしているが結婚・入籍など考えてない家庭もキチンと堂々と養って育てて、その両親の面倒も見ている訳だが、法的にどうこうという話はナニも無い。

 ただ社会からの圧力や反発は昔はたくさんあったもんだが、今となっては屁でもないことだし、そんな目で見られることもなくなってしまってる。

 俺の選んだ自由自在な生なのだから、社会からの総攻撃も喜んで受けて立つ、守るものは守る、そう想っていた。

 まわりの母子家庭の子なども一緒に連れて、遊びに出掛けることを何十年も続けていると、そうなる。

 衆とは違う生き方を選ぶのなら、認めさせるだけの日常を、常に送ることが先だ。

 社会的に意味のあると思わせる行動を、一過性ではなく続けることは必要なことだ。

 本当の信用とは、言葉や文章で片付くものではなく、時間のかかる積み重ねのことを言う。

 ただ、俺の稼ぎの分配と、俺の死後のことを考えて、別会社を作って収入を分けている。

 知恵を働かせるのは、そういう後々のことだけで良い。

 同性婚ごときで騒いでる連中を見ていると、幼児性の抜けない大人社会の喧々囂々、どうでも良い話と映ってる。

 昔から当社には、ゲイやレズビアンというカップルも遊びに来ているが、障害者の世界でも障害であることを売りにして攻撃的になってる間抜けもいるくらいだから、本当に地道に頑張ってる人間には邪魔なキレイごとでしかない。

 みな、国家という化け物にそそのかされて、動いてるだけの家畜だろう。

 

 組織の中で、延々と生きて来た連中が、独りになる。

 性善説で生きていた者が、いままで知らなかった、見えなかった現実を目の当たりにする。

 驚き、ひっくり返る。

 それは20歳前後の頃に、自分でやっておかなければいけない自分自身の価値観の精査だけど、家庭から学校へあがり、社会に出て、ダラダラと過ごして来た者が老いて感じる虚無感や脱力感となって、自分には楽しいことがなんにも無いと気がつく頃には、もう身体も言うことを聞いてはくれなくなってる。

 

 インフレは悪性の腫瘍のように、どんどん酷くなっている。

 数年前に、利上げが話題になった時、来年はもっと利下げするしかないと言っておったが、その通りになってる。

 いまは金融緩和から金融引き締めが話題になっているが、止めようが無い状況には変わりなく、胴元が破綻するまでこれは続くしか無い喜劇になっている。

 では? どう生きるのか? 

 おのずと容易い答えが、そこに在る。

 バカタレどもが。

 

独断、即決、ナニが起きても笑う

2021-10-13 10:23:50 | 地球と生きる

 

 親族が多いと、面倒をみなければいけない高齢者の数も多い。

 みな自分たちのことで精一杯とは言うが、休んでばかりでアテにはならん。

 結局は俺のように現場で延々と走り回ってる者のところに、声がかかってくる。

 4人や5人で済めば良いが、二桁にもなる高齢親族の面倒を見てまわっておって、あちこちに女を作り、子を育てして生きて来ておると、すべてが常軌を逸してる状態になっている。

 1人や2人の老齢者介護でゲ~ゲ~言ってる皆さんには、想像もつかないだろう。

 並の価値観では生きてはおれない修羅場に、なっている。

 夜叉・阿修羅とは、そんな状況でもま~だ良い女はおらんかと、走り回りながら笑って色目を使ってる。

 生きるとは、すなわち遊び惚けること、そんだけの話さ。

 ただすべての責任は負う。

 新しいのが出来たら古いのは捨てるのではなくって、すべて足し算だけで増えて行ってる。

 親の財産をアテにしたり、退職金をアテにしたり、住宅ローンに縛られて生きてるサラリーマンや公務員の飼育されてる生き方なんて、時代遅れも甚だしい。

 そんな生き方や稼ぎ方では、生涯が牢獄の中さ。

 皆でそこにいればそれでエエんやとさ。

 俺は30歳代で自営を始めているが、一家で一社の時代にならなければ、社会も成熟はしないと言い放って来た。

 無責任な社会が終わらない原因は、その食い扶持作りの習慣化した卑しさにある。

 

 新型コロナ対応で、こんだけ医療機関が先頭にたって悪さの限りを尽くしてきたわけだから、その対応で国庫の金を強奪して、大儲けしたと言っても、これからの時代のことを考えると、ただの田舎成金のヌカ喜びで終わる。

 去年の春先からいきなり大メディア群に登場した尾身を先頭にして、俺は最初から珍しい珍獣博物館か?? と言って来てるが、政府の関係者もグルになって、どれもこれも人相怪しい珍獣ばかりだったから、大笑いしておった。

 よくもま~、こんだけの珍獣を集めたもんだ、そっちの方が感心しておった。

 真に受けて、言うことを聞いて暮らしておった人々は、珍獣以下、どうしようもない貴方任せ慢性病だろう。

 テメ~のオツムでモノの判断がつかない、これは大人とは言わない。

 

 コロナ下でも、酒を呑みたい! 酒を許可しろ! と喧しく騒いでおったアル中連中を笑いながら、哀れな中毒患者だと、吐き捨てていたのが、俺だ。

 40歳以降は、たいして酒も飲まなくなった。

 もともと毎日のように大量に飲んで騒いでおっても仕事柄、360度に気を使っていた分だから、その必要がなくなれば酒も用がなくなった。

 酒飲みは短命でなければ、老いて見るに耐えない惨状となる。

 足腰は弱り、酒が切れると不機嫌このうえなく黙り込む。

 立派な中毒だ。

 太平洋戦争末期、人間魚雷や特攻隊という、キレイごとで美化されている酸鼻な自爆攻撃では、尋常ではなくなる精神を押さえつける為に、大量の麻薬や酒が使われておった。

 現代でも、大勢の前で嘘をつきながら政治を行う連中や、大勢の前で、会社や組織の統制を図る者らは、同じような状況を作っては、自分に嘘をついて生きている。

 なぜか捕まるのは芸能人というメクラマシばかりだがな~。

 そういう事実を誰も伝えないから、俺が教えておいてやろうか・・・。

 そもそも隠している意味は、旧習や古い価値観で生きている証でもあり、そんなみみっち~罪悪感や自分を誤魔化すために、酒や薬に走ってしまい、あとは野となれ山となれ、欲望のままに暴走する。

 山の獣達だって、そんな哀れなのはおらん。

 地球の表層で、偉そうに蠢いてる人類だけの、狂騒でしかない。

 酒や薬に頼らずとも、自分の好きなように愉しく生きる、俺はそう生きている。

 ちっちぇ~奴らは、酒や薬が醒めたとき、他人には決して見せられない惨状を隠して生きている。

 恥ずかしいやら、哀れやら、いちいち評価をするチンコロでもない。

 

 俺の自営の周旋屋の諸先輩たちは、80歳をゆうに超えてきている魔界の主が多くなってるが、皆さん不動産バブル時には豪勢な遊びに精を出しておった方々ばかりで、ヨットにクルーザーは当たり前、ジェット機にヘリ、世界でも何台という高級車、余ったゼニカネはアルコールとギャンブルと遊び女で蒸発してしまってる。

 それでも生涯現役で、顧客層も高齢化で、メンドクサイ取引になると、俺のところに回してくる連中ばかりになってるのは、困ったもんだ。

 賃貸なんて小さな話では動きたくないが、顧客が困るのは見て居れないからと、そんな話も多い。

 食うに困ることは無いわけで、それでもやっぱりメンドクサイ、賃貸屋の営業は若いお兄ちゃんやお姉ちゃんばかりで、孫くらいに歳の離れた連中に、ボケ爺ィ扱いされて、それで俺んとこにやってくる。

 自営の周旋屋はスーツを着ているのはいない。

 遊び着のまんまで、仕事をやっている。

 だから老いて来るとますます相手にされなくなる。

 いまでも社会では、身だしなみに足元シューズで人を見る、間抜けな状態が続いている。

 金もロクに持ってない借金・負債まみれに限って、成金趣味に出で立ちだけはお上りさんの田舎者。

 俺なんかは登山靴やスニーカーで仕事をやっている。

 何億何十億の取引で、何千万も儲けるときですら、そんなラフな格好で出掛けている。

 他人の目なんざ気にもならないし、他人や社会の評価も別にどうということもない。

 そんなお子ちゃまな好き嫌いなら、他の奴に良い話は持って行くだけ、それで値を吊り上げる。

 いま主流のネットで広告うって、イイね!がどうたらやっておっても、現場で蠢いてる我々の口コミのほうがはるかに効果があるのは、滑稽な真実だ。

 何十年も、そこの現場で生きて居る訳だから、ネットごとき田舎者詐欺なんて通用する訳が無い。

 ポンと出て来て、アッという間に消えて行く蜉蝣みたいな連中のことだ。

 

 これからは、悪性のインフレになるだろうと、去年の夏に買い替えた2台の車と1台のバイクは、燃費のすこぶる良い、無駄のない車にしたもんだったが、古い車2台を整備してやった息子夫婦と娘夫婦は、税金や燃費の悪さに悲鳴をあげている。

 1台は10年で25万キロ走った4駆で、もう1台は10年で16万キロのアルファード、エンジンの調子は俺が山や海で乗り慣らした車だから、当たり前だが調子良い筈だ。

 若いうちは、そうやって国家や社会の嘘を、痛い思いをしながら身に叩き込むことが、大事なんだよ。

 ナニが大事か? ナニを予期して動かなければいけないか? ナニが楽しくて生きているのか? 考えろ。

 世の中社会とおなじように、ダラダラ生きて居っては、生涯が住宅ローンと消費ゴッコで終わってまうで。

 俺が稼いでる金は、俺が好きなように使う、アテにしてもらっても困る。

 他にも子供らはおるし、まだまだ他で作るかも知れんし、みな平等に、苦労をすればエエ。

 テメ~の尻も拭けない大人社会では、それが当たり前の子育てではある。

 こんなチョロい世の中で、生き難いなんて抜かすようじゃ~、とっとと止めてしまえばエエ。

 生き難ければ、オツムを使ってテメ~の価値観すべてを大転換すれば済む話だ。

 大きな図体して、幼児服のまんま生きてる馬鹿は、死んでまえ。

 いずれ人間は必ず死ぬもんだ、早いか遅いかの違いだけよ。

 そこで感傷や感情は、動かないのが本当だ。

 俺の周りには、地道にコツコツ生きて、挙句に良いことも無く死んで逝ったものは大勢いる。

 夢を見て、宝くじを買って、死んで逝った。

 自分の出来る両手の範囲で、いつも最大限の動きをしてきた俺だけが、こうやって生き残って笑っておる。

 死ぬまで、現役だ。 

 


綺麗でも季節感のない花咲かす人

2021-10-11 10:56:26 | 銀座の周旋屋

 

 ドラマや映画や劇に夢中になる。

 舞台で演じる者がスターになり、金出して見る方は、窮屈なお行儀を教わり、そのパンフレット・前説で感動の仕方を教えられ、馬鹿面さげて拍手のタイミングまで指示されて喜んでいる。

 これを阿呆と言わずに、ナニが阿呆だ。

 新聞・テレビやネットの情報も同じこと。

 真摯に国民の声を代弁して! 統計をとって! やってることは創作詐欺。

 子供がいなかったりいても一人二人、日常が暇だらけだからこそ、余暇の過ごし方だのと抜かす消費斡旋に群れて飛び込んで行ってる猿ばかり、その癖に自信がないから覗き見・又聞きに無我夢中、俺なんざ、新聞など金出して購読したことなどなく、テレビを見る時間も無い生活のまんま愉快に生き続けている。

 20歳の頃に寺山修司やら谷川俊太郎らと知り合って、自分の雑誌で対談したりして、若気の至りで無理難題を突っかけておったが、その後に全国を訪問販売のドサまわりで駆け回って、休日は海外の女の元へと独り飛行機に飛び乗っておったが、人間の世界の仕組みや、社会という刑務所の動き、大人と言う間抜けな連中の浅はかさを、20代ですでに堪能し尽くしていた。

 その辺の感動ドラマを一年中、現実の日々で繰り返しておった。

 日本中で、よ~く、売れておったもんだ。

 演じるのは実生活で、自分でやる。

 せまっち~芸能界という括りで自画自賛に賞賛し合っておる猿など、興味も湧かない。

 観客という、弱虫・閉じ籠りの都合の良い大人がいること自体、人間社会の恥部と言っても良い。

 いつまでも続く芸能と金出して喜ぶ民、飴と鞭の、飴の方がドロドロに溶けてしまってる。

 鞭の方は、粛々と、徴税天引きという形で、民を雁字搦めにしようと、ほくそ笑んでおるわいな。

 やっちもね~。

 

 日経株価が不安定になってる。

 原因を解説するテレビや新聞・ネットの専門家は腐るほど腐って居るが、これは政治や国内情勢に反応してるような話ではなく、自意識過剰な島国日本人の思惑など関係の無い、ただのAIの、草刈りゴッコだ。

 日本の株式市場は6~7割が外国の投資家が蹂躙しておって、いちいち日本人が自惚れるほど、日本の国家には興味など持ってはおらん。

 世界の趨勢を眺めながら、日本人投資家という間抜けなメディア奴隷がどう動くか? それを先読みして売り買いしているだけの草刈りゲームだ。

 まだまだ急騰したり暴落したりを繰り返すだろうが、最後は世界の趨勢には逆らえない。

 どんどん日本という国は貧乏になり、だから経済成長から利益の分配という方向を言い出すようになってる。

 相対する筈の与・野党に、アメリカから指示が出ているタコ踊り。

 ドルや円という、質札から派生した価値の基準が、混沌の中で溶けてしまっては、それもまた青二才の夢だがね。

 世界金融経済が大恐慌を先延ばしにしてきているツケは、巨大化して天文学的な話になっている。

 語る話でもなくって、黙ってその時を待つしかない、そんな人類には無力な話題だろう。

 もはや後戻りも、逃げ道もなくなって、ただただAIの為すがまま、行き場のなくなる資本が世界を彷徨うだけ。

 インフル・コロナ以上に弄ばれる世界、これからの時代だろう。

 そもそも、分配だの平等だのと抜かしておっても、分配する側と、分配される側と、格差は続くだけの猿芝居。

 これが政治や経済の限界だ。

 

 地球温暖化という言葉が、聞かれなくなってる。

 異常気象という言葉にすり替わってしまってる。

 地球は寒冷化の過程の、一時的な温暖期であって、これからどんどん暑くなって行くわけでは、無い。

 暑苦しい平地に集って暮らしながら、よくもま~、間抜けな温暖化ゴッコをやってたもんだ。

 新型コロナという、言葉だけで世界人類は右往左往しておったが、これもインフルエンザの新種というだけのことで、コロナ感染症対策のお陰でここ2年はインフルエンザは壊滅したと嘯いておったが、コロナが下火になったらまたぞろインフルエンザが流行するんだそうな。

 阿呆と馬鹿の競い合い、やってられない間抜けな大人社会。

 

 ・・・ということで、中途半端な高曇りだったから、高い山へは向かわずに、里山を歩いて来た。

 コスモスとひまわりと、ときどきアジサイ、季節感の無くなってる里山は、興ざめするだけのことだが、キレイに咲いてる花に、罪は無いだろう。

 あくまでも、人間の側の身勝手な興ざめ、すべて人間自身の、幼稚な感性が生み出す退屈なお話さ。

 


身体障害者でも、介護は出来るさ

2021-10-08 10:36:25 | 身体障害者

 

 昨夜の地震発生と同時に、高齢者の元に連絡し、深夜に車で駆け回っておったが、エレベーターが止まってれば緊急連絡先に電話して、テレビが見れなくなっておったら接続を確認して、いろんな作業に寝不足だわさ。

 生きて居れば階段で、どんなに高くとも必要なものは担ぎ上げてやる。

 身長176センチ、80キロ近い身体で、20キロ前後のザックをいつも担いで、2000m超える山々を歩いてる。

 まかせとけや~!! 大笑いしておった。

 

 インフルエンザの新種のことを新型コロナと呼び、その感染対策のおかげでインフルエンザは壊滅したと言っておったが、ここに来て、今度はインフルエンザが大流行しそうだと騒ぎ始めている。

 感染症の学会や、医者や病院だけが借金・負債を減らして、エエ加減にせいよ。

 世界の国々を社会主義化しようと考えてるのは、金融経済の断末魔が聴こえているからだ。

 まんまと人類を騙したと考えておるのならば、晒し首にして、一族郎党河原にその首を並べろや。

 そのくらいの猿芝居を続けている。

 俺は最初からずっと同じことを言っているが、世の中社会の阿呆臭さは、笑えるもんじゃ~ない。

 自然に人間が持つ免疫を否定し、人工のワクチンを強制する、正気の沙汰じゃね〜んだよ。

 

 人間は、この宇宙や地球から見ると、もっともタチの悪い、生き物・獣だということになる。

 これが原点にあり、生まれた以上は、その人間社会のお掃除をする、それが生きている目的にもなる。

 先祖や神や仏が、それをやってくれるものでもない。

 あなた自身で、動くことだ。

 この1年、田舎で古く大きな家に住まって、先祖の霊に朝夕のお勤めを続けていたボケ老人を救済することで動いていたが、それが父親であることから、世の中社会の高齢者の現状を映す鏡でもあると書いて来た。

 いまでは幼い頃の記憶まで戻って来て、愉快に話すことが出来るようになってる。

 誰が、いまの合理的で簡素で質素で楽しい日々に連れ出したのか? よく笑いながら聞けば・・・お前よ!・・・そう即答が返ってくるようになった。

 旧習や先祖との在りもしない呪縛から解き放つことは、子や孫の仕事だろう。

 それを解らせるには、目の前で、身を粉にして獅子奮迅の戦いをしなければ出来ない。

 やってみれば解るが、周囲は自己保身だけ、貴方任せ、傍観者ばかりの中で大騒ぎになる訳だ。

 ひとり悪者になり、全責任を負う、それには自営で誰にも拠らずに食い扶持を稼いでおらんとならんし、体力も人並み外れた強靭なモノを手にしておらんとならんし、すべての邪魔を論破できる経験知識も備えておらんとならん。

 誰かをアテにすることすら、ナニも無い。

 世の中社会は邪魔ばかりするが、その中で毅然と事を進めていかなければならない。

 金でどうにかなるものでもない。

 愉しい1年だった。

 悲惨な結末を期待して、すべて面倒なことを俺のせいにして、悲劇が起こることを裏腹に想像していた周囲の連中は、残念なことだったが、腹筋に穴を開けて腸の切れ端をそこから取り出して、生き残って退院した時とおなじで、残念だったな、阿修羅・夜叉は善良なる庶民のフリをするミジンコの群れなど木っ端微塵にして、暴れ大笑いして行くものだ。

 

 わが子はたくさん育てて来ている。

 その友達・幼馴染らも、たくさん一緒に育てて遊んで来ている。

 高齢者の相手をすることは、それとは違って未来を夢見るということが、無い。

 いつ逝っても当たり前。

 昨日や明日よりも、いまの笑顔を見る、それしかない。

 なんでも利得計算で生きてる現代社会では、親や爺婆の相手ほど、無意味に思えることはない。

 その思考や感情の動きすら、古臭い価値観のまんまで生きている高齢者に、諭すことも最早できないだろう。

 ただ元気で笑っていてくれる、それが最高の贈り物だろう。

 だから俺は爺様婆様の日々の生活の形が出来ても、毎日のように話をしに立ち寄って、愉快に一緒にご飯を食べたり、出掛けたり、続けてる。

 新しい生活を築いてやって、それで終わりという訳にはいかない。

 子育てを金を出して他人にやらせ、高齢者の介護も、金を出して他人にやらせてる現代では、徒労にも見える無駄なことだろうが、それが俺の笑いにも繋がっている以上は、ずっと続けて行く。

 わが子はみな大自然の中でたくさん一緒に遊んでやることで育て、高齢者もおなじように笑わせて 楽しかった と本音で言わせてやる。

 資本主義社会では、ナニも生まれないし利益もないことだが、それが出来るようにと日々の自営でその原資を作って行ってる。

 キチンと、丁寧に、それをやってる者同士は、その笑顔で解り合える。

 そういう愉快な付き合いも増えて行ってる。

 皆さん、孤立した状態でも、キチンと筋道を作って、強く生きている。

 メディアでは、決して取り上げられない連中の、愉快な付き合いだがな。

 体力も、資力も、その為にしっかりと身に付けて生きている。

 自己責任とは、関わる者らの責任も、背負って生きて行くことを言う。

 

 85歳で大腸がんになり、手術のあげくにオストメイトになったという老人がいるが、この頃は腹のパウチが剥がれたり漏れたりが続いて、本人や近親者がみな困り果てていると聞いた。

 俺の腹の袋を見せてやり、使っている小道具を見せてやり、パウチ(小袋)の交換のやり方も教えてやった。

 原因は幾つかあるが、そのすべての解決法も教えておいた。

 激しいセックスをあれやこれや何時間も続けても、4日で交換、それが普通に出来る俺の話は、大爆笑になっておった。

 老いて来るとナニをするにしても、メンドクサクなる。

 目も見えづらくなり、余計にメンドクサクなる。

 オストメイトとは、簡単に言えば腹筋に穴を開けて、そこから腸の端を出し、そこにパウチという袋を貼り付けて、排便を処理する身体になった者のことを言う。

 俺は6年前に腸が破裂して死にかかり、オストメイトになってる。

 激し過ぎる人生で、身体はボロボロになっている。

 そのひずみが腸に出てしまったとも言える。

 腹膜炎を起こし、すぐに手術も出来ず、水すら飲めない個室で1週間、手術は上手くいってもあちこちの臓器に癒着した腸を剥がしたり切ったり、身体に酷い障害が残る可能性が高いと言われたが、手術しなければ死んでしまうという、せつない選択を前にして、もう、充分に生きたな~と、笑っておったもんだ。

 退院後の半年間の、まさに経験したことの無い生き地獄を乗り越えて、今では以前よりも強くなった身体を堪能している。

 腹に貼り付けるパウチにはイロイロあって、腹の形や柔らかさ、その日常の行動に合わせたモノを自分で探し出して使用しなければならず、老いたオストメイトにはとてもメンドクサイことだ。

 まわりの身内の者らも医者や看護師の言うがまんま、振り回されているケースがほとんどだ。

 これでは新型コロナとおなじで、解決のつかない金儲けのネタになるのが関の山。

 馬鹿と阿呆の、吹き溜まりには、お似合いの事件・事故は無くならない。

 

 残念なことだが、大笑いだ。

 

 去年も今年も、当社は夏には売り上げにブレーキをかけている。

 すでに今年も来年のことを考えて蠢き始めている。

 オツムは生きてるうちに使うモノで、身体も生きてるうちにしか、使えないのさ。