わたしたちは、笑って生きていたかっただけです。
どうして、こんなことに・・・。
今日は、俺の故郷では、原爆の日という。
身体がどろどろに溶けて、熱かったろうな・・・いつも想うことだな。
原爆の日や終戦記念日には、大手のメディアはいっせいに綺麗ごとを並べるが、ならば今やってる戦争を煽るような報道姿勢や、安倍の応援団と化してる偏向偽装報道は、そっこく止めるべきだろうと、なんで思わない?
腐りきった肥溜めには、綺麗な花などもはや咲くこともない。
・・・日本は凄いんです! 強いんです! 正しいんです! ・・・と、惨めな最期を迎えている。
大人として、自分のこと、自分の抱える身内のことすらキチンと出来ない奴に限って、他人のため、社会のためだと偉そうな能書きばかり抜かしてる。
自分の抱える弱い現実から逃げるために、調子の良いきれいごとばかり言っている。
だから俺は衆を恃まず、あくまでも独りでいろんな関わり合いを30年近く、この銀座でこなしている。
北朝鮮がミサイルを発射し、ロシアは北方4島近くで軍事行動、中国も活発に日本近海で動いてるが、米軍駐留費を5倍にしろという、トランプの要求を後押ししている。
韓国だけに、なぜか強硬に出てるが、おなじことをロシアや中国には決してやらないばかりか屈している。
メディアは国民の世論は安倍外交を支持してるとは言うが、俺は冗談じゃないと、はっきり言っている。
情報や知識の足りない者を洗脳することがCMというもので、高度経済成長はそれで大儲けしておったが、いまでは幼児教育や義務教育で、洗脳しやすい人間作りに力を入れて来てる、偏差値至上教育という奴だ。
第二次世界大戦の開戦は、そうやって起きている。
そんな風潮・世論作りにも似ている。
なんだかな~、阿呆な国になってる。
泣いて謝る、土下座して謝る、殊勝な顔して謝る・・・どれもこれも幼児な大人社会で見慣れた光景になってるが、何年もかけて結果で見せてくれ、これが本当の感想だろう。
エエ歳こいてんだから、その時は一度黙って去って行くべきだろう。
死にかかって、身体に障害を負っても生き延びて、それはそれで運が良かったのか悪かったのかはわからんが、普通の健常者とは違う身体障害者には、いちいち他人には言わない孤独感や疎外感というものがある。
そもそもが乱暴で破天荒な生を生きて来た俺ですら、僻みや被害妄想気味な状態に陥ることもある。
だいたいが、心身ともに疲れてる時だな。
そういう時はひたすらに山や海で身体を虐め上げ、クタクタになってとっとと寝てしまう。
健常だった頃には、俺でさえ知らなかった心持ちがあり、そういう時は人知れず、弱い自分と戦ってる。
あちこちにいる、俺がキチンと育てた子供たちには、迷惑をかけたくはないし、無駄な心配をさせたくない。
老いるとは、周囲に迷惑をかけずに綺麗に死んでゆく準備でもある。
ダンディズムとは、そういうことを言うのが本当だろう。