雪山の季節になる。
足腰に負担をかけて歩いてなければ、雪山では野垂れ死ぬ。
それでも冬の山は空気が澄んでおって、木々の葉も落ちて、登山する道も積もった雪のせいで数メートルは高いところになるから、何とも言えない素敵なことになる。
ただ体力を保持しておかんきゃ~、歩けない。
昨日の契約時、おなじ山馬鹿な高齢のお客さんと、男の死に時について話して居って
・・・雪がたんと積もった一の倉沢が良いだろうと思ってる、下山することは考えず、ひたすら登ってゆく、そうして終わりにする、凍え死ぬのが僕の考えてる理想の終わり方だ・・・と。
凍傷が酷くなり、ずきずき痛みすら意識が遠のくうちに軽くなり、そのまんま冷たくなって終わりにする、保険にも入っておくし、見つかりやすい恰好で小さく丸まっておく・・・と。
・・・迷惑なこっただな・・・
俺はオストメイトだから、4日に一度のパウチの交換が自分で出来なくなったら、山に入りそのまんま行方不明になるつもりでいる。
な~に、ただの男のケチなプライドの話さ。
そう思っているうちに、足腰がまた強くなってしまって、なかなかね、そんな時期がやっては来ないんだよ。
俺なんざ、オストメイトになって15キロやせ細った退院時から、すでに20キロは肉がついてしまってる。
それもダラダラしてる贅肉ではなくって、柔らかいが筋肉がほとんどだから、困ったもんだ。
身長は少し縮んで175センチ、体重は74キロ、体脂肪は20%を切るが、腹は出てる。
夏は太平洋でひたすら遠泳を続け、それ以外の季節は毎週のように奥山を歩き続けてる・・・笑い話だ。
親や爺婆が死んで泣き崩れてる大人社会が、俺にはまったくの意味不明。
エエ歳こいて、そんなに泣く意味が解らないのと、泣いてる自分に疑問を感じないのか?と、また不思議。
どのみち誰しもが生まれたいじょうは逝くことになる、だから俺は、心から笑って送ってやれば良いと想ってる。
無駄な習慣と風習、感性と感情、すでに時代に合ってない惨めなことだろう。
その薄っぺらいオツムが透けて見えて、そこに優しく入り込んでゆく気の利く害虫は増えて居る。
モノを失っての喪失感、これもよく意味が解らない。
エエ歳こいた大人が、普段はもっともらしいこと抜かしてる大人が、敵対しておるように見えていても、そんなことで手を携えて仲良しこよし感情の融合、気持ちの悪い連中だ。
これが今の日本の大人社会の現状だ。
そりゃ~明治か大正かという、浪漫浪漫で笑えるよ。
弱者に寄り添うメディア、優しさを演じる政治、小さな幸せを吹聴する大企業、みな大儲けしておるがな。
揃いも揃って、間抜けなこった。
疑心暗鬼、自信喪失、そんな現代社会では、メディアを介した情報流布や情報操作なんかよりも、口コミの破壊力は相変わらずに凄いものがある。
当社は創業からずっとホームページすら持たずに、最近になってやっと暇な時間に自分で作っているくらいだが、その口コミだけで30年近く、いまでは成約数の9割を超えるお客様がご紹介かリピーターになってる。
大企業、宣伝をよくやってる会社、お洒落な店舗・・・そんなものに左右される人は、当社には御用が無い。
それはそれで訴訟事を多く抱えて、年中広告宣伝を続けてる有名企業にまかせておく、そういうスタンスだ。
青山や銀座では、意外にこの口コミの破壊力は凄い。
なにごともない、なにも残らない、そんな口コミこそ、店や企業を傾かせるくらいの威力を持っている。
原因不明の売り上げ減少や、顧客減少・・・そういう形が残らない混沌こそ、口コミの凄みでもある。
経済学者やアナリストには、そんな日々の現場の口コミについては、な~んも伝わらない。
吹っ飛んでから考えたって、遅いがな。