日銀は株が下がれば紙幣を刷って買い支えを繰り返している。
アベノミクス・金融緩和とはキレイなフレーズだけんども、やってることは胴元のインチキゴッコ。
挙句に欧米の国々が反転して利上げに動いている今、安い金利で外国企業への融資も続けているが、クリスマスの素敵な音楽や映像とは裏腹に、この国はオリンピックまでは持たないんではないかと、銀座では巷の声。
今年の足利フラワーパークのイルミネーションはパワーアップしてると思ったら、ドイツ村も今年はチャイナ・ランタンなんとかでパワーアップしておった。
いずれも山やなんかの帰りに、ついでに立ち寄ってはいるが、飽きやすい日本人相手に工夫を凝らしてる。
物語性を重視してるのか、単発単発に勝負をかけているのか、これらがフラフラしてくると、嘘臭くなり・・・ほどほどにしとかなければ、エエ加減にせいよで、ただの電球屋になってまう。
暗闇に輝く星の瞬きが、虹色のネオンに代わる時、見なければいけないモノが見えなくなる。
銀座で遊んでやってる小学生のうち二人が、夏頃に続けざまにお父さんを病気で亡くしてる。
俺よりもぜんぜん若いのに、ひとりは急死で、ひとりは癌が長引いた挙句に、だった。
その後もいろいろと遊んでやってるけんども、共稼ぎの家庭が多いから、まわりの者が手を差し出してやれと言っても、時間的に難しいことも多い。
20年以上も前の、シングルマザーという言葉が使われてなかった時代から、銀座周辺の母子家庭を応援するようなことをやっておって、たくさんの子供らとも関わって来てる。
それでなくとも自分自身、義理の父母や親せき付き合いやらがどんどん増えている俺ん所に、結局は遊びにやって来ることも多い。
言われなきゃ動かない、言われても動かない国や都や区を頼りにしたところでどうなるもんでもない、彼ら大人たちは定時になれば自分のことだけ、だから俺ら民間人が仕事の合間を使って、なけなしの自腹を切ってやるしかない。
俺は小学校だけでも6回転校してるようなガキの頃だったから、子供らのことは他の大人よりもはるかによく見えてるし、悪ガキであってもみな可愛いから仕方ない。
そうして最後はそれぞれが自分次第、そういうことも教えてやってる。
自分だけ・・・そういう考えは捨てること、考えても仕方のないこと、いまこれからどう生きるか? それだけをしっかり考えてなさい、お前の人生、俺の人生ではない、と。
オストメイトでフル・マラソンを健常者に混ざって普通に走ってるオッサンがおって、たまに遊びにやってくるが、これが俺にはいまだに理解できないでいる。
軽く走るだけでも、俺にはなかなかパウチが邪魔なもんだが・・・あんたが太平洋で泳いでるほうが、よほどに理解できね~よ!! ・・・とは言われるが、どうだかね~、42キロも群れの中で走る気もないが・・・。
そこまででは普通の元気の良い前向きなオストメイトでしかないが、では社会ではどう生きて居るのか? そこからが健常者とおなじ課題になる。
彼は普通に自営業を営みながら、子供たちに走る楽しさを教えている。
それで一人前、別に自慢することでも威張ることでもない。
オストメイトとして走る楽しさを教えて居る訳ではなく、ひとりの大人として健常者の子供に教えている。
だからいちいちオストメイトだとも伝えてはいない。
オナラを平気でする先生、そんな感じで笑っておる。
オストメイトは、日々の生活で自分のことだけで頑張っておればそれで良いのか?
それだけ? おなじ障害を持つ者どうしで語り合い、話し合い、助け合ったふりして互いに上から目線?
違うだろう。
オストメイトは自己逃避の障害? オストメイトは自己満足の障害? 社会からはそう見られることだろう。
いつまで経っても変な連中、そういう見方がついてくるだけだ。
普通の社会復帰を果たすとは、いろんな形で、オストメイトとはまったく関係の無い、一個人としてどう社会で生きて居るのか? そういう日常が健常者とおなじようになければおかしい。
障害にもいろいろあるが、オストメイト程度で障害者を気取ってる、受け身になってナニかをしてもらうのを待っている、これはどう見ても調子良すぎる話だ。
よく、遊びにやって来るオストメイトの人たちには同じことを言っている。
生きて居れば、どんどん次から次へと課題が出てこなきゃ~おかしい。
癌だから、オストメイトだから、だからどうだって言うんだ? そういう問い掛けはあって当たり前だろう。
仕事で社会復帰まで果たして健常者とナニも変わらない日常を送っているオストメイトが、俺のところにはよく遊びに来る。
会話の中に、いちいち オストメイトだから 癌だったから というフレーズは入らない。
だからどうだと言うこともない。
そのうえで、また社会と関わり合うことをそれぞれがやっている。
エエ大人たちがさ、オストメイトは大変! な~んてやってる光景は、子供らには異様に見えてる。
腕がないとか足がないとか、そんな障害でもないのに、奇妙な光景だとは思わないのか?
俺だって、山に登って海で泳いで、仕事や日常も忙しく普通にこなしておる。
生きてることはみな同じ、大変なことは健常であってもたくさんあるが、黙って乗り越えていってる人間も多いのと同じさ。
なにも変わらない。
大変なことを乗り越えたら、もっと大きな愉しみを探しに出掛ける、それが出来ない後ろ向きなオストメイトは、たとえ健常であったとしても、きっと壁にぶち当たっては文句ばかり言ってるんだろう。
そうしてそんな程度のことに同情して寄り添って褒めてる人間なんて、たかだかお里も知れてるだろう。
俺なんかは関係なしに荷物も持たされるし、力仕事も頼まれてるが、それで良いと想ってる。
幸いなことに、言いたいことを言う口の悪いのばかりが多い。
・・・障害者だと思って調子に乗ってない?!
・・・おめ~らこそ、五体満足なくせにナニをチンタラやっておるんだ?
オストメイトになったからと夫婦生活が上手くいかなくなって、離婚して新しい伴侶を得て愉しく暮らしてるオヤジもいるが、俺はそれで良いと想うがね。
自分で安易に線引きを行ってると、まわりはその線からは近づいては来ない。
人として生きることは、障害を持っていようがいまいが、それなりに責任を負う、これは基本だろう。
オストメイトも慣れて来れば、そうやって次の課題を持って厳しく生きておかなければ、いつまで経っても理解不能なややこしい障害者、そういう認識は変わらない。
そうして次は精神・神経障害か? ありきたりだな。
慣れたら、応用、そうして新しい愉しみを見つける、この繰り返しが生きてることでもある。
生きるという基本は、障害者も健常者もナニも変わらない。
冷え込んで人の来なくなった山では、獣たちがせっせと冬への準備に没頭している。
わけもなく忙しなくイライラしてるのは、人類だけだろう。
時計やカレンダーなんて、ただの定義でしなく、それがなくとも愉しく生きて居れる、そうありたいもんだ。