オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

山に居る神々と、街に居る便所紙

2018-11-28 10:33:43 | 地球と生きる

 

 元Jリーガーで、いまは内装屋のコーディネートをやりながら、休日は子供たちにサッカーを教えてるお兄ちゃんがおって、当社の原状回復や内装仕事を任してるけんども、この頃のPTAは自分らではナニもしない癖に、知識もないくせに、神経質な文句ばかり言って来るのが多いと、愚痴っておった。

 ・・・野糞もできね~のに、登山が趣味って言ってる時代だからな、しかたあんめ~

 ・・・山に男女二人きりで登ってるときに、女性がおしっこをしたいと言ったら、社長だったらどうするの?

 ・・・そこでせ~や!!

 なにが可笑しいのか、人の顔をつくづく見ながら涙流して笑い転げておった。

 よくわからんが、いい仕事はするんだよ。

 

 日本の古くから愛されてきた山には、だいたい役行者か、日本武尊が開山したという話が多く残っている。

 ここで、やくぎょうじゃ? にほんぶそん? と読んでしまった人には、謹んでおいとまいただくとしようか・・・。

 山の由緒には、弘法大使がどうたらこうたらというのもあったり、日光周辺だと勝道上人が出て来るし、山梨だと夢想国師がよく出て来るし、日本中にそんな地域性はあるけんども、誰かしら初登頂だとか開山だとかで名を語り継いで来ている。

 禅の修行には、岩山登りと山頂での座禅というものもある。

 俺が広島の街で手に負えない悪ガキだった頃、臨済宗大本山の禅寺で修行に入れられたことがあるが、その後に身内となった婆様は、福島の赤べこの寺、虚空蔵尊円蔵寺の奥の院をやっておられ、やっぱり臨済宗の禅寺だったという風に、とても縁のある禅宗ではある。

 しかもだ、10代の頃の俺のバイブルは夢中問答集だった。

 山梨の乾徳山や国師岳から甲武信岳や金峰山周辺は、この夢想国師の修行の場でもあった。

 武田信玄の恵林寺なんかは、夢想国師が開いて居る。

 そんな山々の頂から遠くを見渡すとき、夢想国師はナニを考えて、ナニを想っておったんだろうか・・・そんなことをいつも想ったりするけんども、20代に想ったことと、60のいま想うことは、ぜんぜん違ってる。

 どっちがどうということでもないが、その背負っている時代に、その年齢でナニを想ったかが大きく違ってる。

 別に山はそこにずっとあった訳で、ダイダラボッチが作った訳でもないから、言い伝えとはそんなものだろう。

 確かに修験者や山伏となって修行をしていたのが山だったし、海でもそんな言い伝えは残されている。

 修行僧は人間社会から遠く離れた場所に生きる、これはその後の江戸時代に、寺が墓地管理ということで人民の戸籍管理を始めた頃には、だいぶんに趣きは変わってきて、明治維新によって神主が偉そうに威張る世の中になった。

 言い伝えとはその時代の権力を持ったものが、自分に有利な立場を作る為に脚色・創作したものが多いが、山岳信仰をもって山で厳しい修行を行って居った者はたくさんいた。

 明治維新に修験者・山伏が禁止となったときでも、全国に2~30万人はいたというから、いまのオストメイトの人口とおなじくらいはおったということだ。

 その後も森林管理・遊びの登山という形をとりながら、古い祠を詣でる講だとか、日本人の生活の中には修験者や山伏の心はずっと残ってきている。

 それに比べて現代社会の寺や神社は形骸化してしまっておって、ロクでもない僧侶や神主しかおらんくなってる。

 はっきり言っておいてやろうか。

 この国には八百万の神々が現世を生きて来た。

 寺や神社なんぞというものは、その休憩所みたいなもんだった。

 そういう事実を子供らにも教えておいてやらんと、守銭奴と欲ボケした坊主や神主に騙されて終わるだけさ。

 ありもしない幽霊に怯え、ありもしない霊魂に委縮する・・・これはたいしたことのない大人社会が、子供や若者たちを抑えて従わせる為に作り出した詭弁でしかない・・・これが真実だ。

 祭りの屋台のいかがわしい遊びじゃ~ね~んだから、大人など怖れずに胸を張って生きて行け!! そういうこと。

 

 俺はどの子供らにも・・・お前らは神の子だ!・・・と、育てて来てる。

 現世を生きる人間がみなその自覚を持てば素敵な世の中になる、そういうことだが、いまんとこ、どいつもこいつもみな、便所紙か鼻紙か? そんなとこだな。

 



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