オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

梅雨になれば高齢者と空を見て山

2024-06-03 11:27:27 | 銀座の周旋屋

 

 

 昔からずっと、この島国の国家・政府というものを信用しないで生きて居る。

 当然に、それらの表裏一体となっている大メディア群というものも信用してないから、半世紀近くも前に出版業界のルールを無視して、月刊誌の自費出版をして大手の書店にそれを並べさせてもらったり、20歳過ぎの若い頃だったが例外作りに動いていた。

 それも結局は既得権益やメディア神輿に乗った文壇・著名人という教科書・義務教育を押さえていただけの軽薄なお化けに遮られてしまったがな、それ以降も生きているスタンスはナニも変わらない。

 メディアによる胡散臭い偶像化は芸能人の自作自演とおなじで、青山や銀座を拠点にして政治家や芸能人やスポーツ選手らの実態をつぶさに見て接して来てると、馬鹿臭い美容整形みたいなもんで、たいしたのはおらんよ。

 昭和の時代から、歪んだ国家や既得権益に群がる猿や、大メディア群・社会の大企業化に歯向かって起きた経済事件の主役・悪役らには、今でも私生活の部分では長い付き合いになってる連中は多いが、みな元気なもんだ。

 中身も無くなってる箱物を守り続ける自意識過剰で陰気な大行列は、隘路を決して通らずマニュアル通りに動いて行くから、不健康そのものだろう。

 寡を持ってして大行列を蹴散らすことに成功しても、死ぬまで破壊を止めない性癖の愉快な者は、当然にまたドン底にも堕ちてゆくが、そこに生きている目的や価値は無いから、悠々とお天道様を見上げて笑っている。

 円すら、最初から信用などしていない。

 興味は昔から金・銀という実物・鉱物のことで、鉱脈探しに余念がない。

 どういう意味なのかは、言葉のまんまでは解らないだろう。 

 

 おかしなインフルエンザの亜流の感染症が流行った時には、ワクチンなどうたずに早く罹るようにと、社会の底辺を動き回って関わり合って、コロナに罹ったという人たちにも平気に会いに行っていたが、それでも鍛え上げた自然免疫が強くて元気なもんだった。

 もともとインフルエンザワクチンすらうったこともなく、それで感染するならとっとと罹って免疫を作ってやれば済むと生きて来たから、強いんだろう。

 そんな身体でも2年前に古女房がいきなり癌ステージ4を宣告されてアチコチ奔走し、クタクタになったところで上手い具合にコロナの症状が出た。

 2日くらい38℃を超える発熱があったが、すぐに収まった。

 それ以降は、身内のものがコロナやインフルに罹れば避けるどころか寄り添って看病をしてやり、身近な者でもマスクもせずに介抱してやれるようになった。

 そんだけのことだったが、皆さんは恐れ戦いてワクチン接種を何度もうけて大層なことだった。

 予防接種とは、自然免疫を壊して人工の薬剤を身体に打ち込む愚かな金儲けのことを言う。

 治験もたいしてやらずに、その人工のモノが自然免疫に代われると思っているからこそ、恐ろしい話だ。

 俺は感覚や価値観が現代社会のソレとはまったく交わらなくなってる。 

 

 栄養を摂る、健康を考える、予防医学や予防薬学に消費と接種で応える、まず自分の全身をクタクタになるまで酷使して、体内にあるものをキチンと消化もしていないくせに、日常にそればかりを考えて生きていると、不自然な不健康が溢れ返ってくる。

 自分で自由に実際に動きもしないで、マニュアル通りの日常を選択肢から選んで習慣化して、そこでの感情も洗脳学習し、その後に起きることの対応もあらかじめ準備しておけば安全安心だという大人社会は猿の社会だ。

 合理性がない、論理性がない、整合性がないと信じないと言いながら、洗脳されてるだけの与えられた公式と模範解答だけで生きようとしている猿は、実は一番に自分という自在な個を無駄に封印して、コンビニの商品棚に自ら並べて喜んでいるだけの話。

 脈拍はいつも一定ではなく、視力や味覚もいつも違い、心臓の鼓動すら早くなったり遅くなったり、その自分の特性を知ろうとするならば、能書きは要らないからまずは本能のまんまに生きてみるべきだ。

 動いてから、考える。

 生きてから、思惟する。

 逆は有り得ない。

 後悔とは、動く前に知識も経験も無い癖に、アレコレ考えて責任逃れや逃げ道を探すから起こるもの。

 とっとと自信を持って動いてしまえば、あとは新しい自分をグイグイ生きてゆくだけだろう。

 それが出来るようにと、日常をダラダラ過ごさずに厳しく生きていれば良い。

 

  現場で、現実に、色んな関わり合いを続けて叩き上げてもいないのに、嘘の上塗りと自作自演と有能な権力の僕となることだけでメディアに支援され、現場での経験なんて持ってない猿でも、ポッと登場して脚光を浴びて、金儲け企業や店を始めて行列・大混雑している話題はゴマンとあるが、それが猿芝居の極致、現代社会の実態だ。

 メディア神輿に乗ってチョイと出の成金・守銭奴な政治家や芸能人・スポーツ選手やらも同じ範疇に入る。

 その大元締めは植民地管理の米・英大使館と相場は決まっている。

 メディアと相思相愛な奴らだけが楽して成長してゆく構図は昭和のまんま、スマホにネットの時代でもナニも変わってはいないがな。

 現場で長くやってる者が関わり合っている顧客層とはまったく違う、安く薄っぺらいその日暮らしの消費猿が群がる商売なんざ、ただの喧しいだけの喧騒だ。

 何十年も日常の現場でコツコツと関わり合いを拡げて来た者は、飄々と、堂々と、逃げも隠れもせずに笑って生きて居るが、メディア煽動の安い一見客ばかりを相手にしている連中には、ロクな取り巻きがいない。

 その実態や私生活は偏った変質者の集まりと孤独、酔いに任せた怠惰な日常とアル中から覚めた不機嫌、そんな程度のものだろう。

 今はまた多くの外国人の来襲によって混乱が酷くなって来てるから、俺の商売でもすでに決まっている契約の仲介に、ワザワザ・・後から入ってくれないか?・・仲介印だけ押してくれないか?・・という、取引の安心の為にと当社のハンコをつくような、そんな案件も増えている。

 高齢者どうしの取引だとか、金持ち素人どうしの取引だとか、イロイロある。

 なんだかなぁ。

 日常の煩雑・イレギュラーな取引に走り回って稼ぎ出す収入よりも、多かったりするから、周旋屋稼業とは因果な商売だ。

 メディアを利用して金儲けに走る時代には、そこで生息するニセモノ同士の皆が互いに疑心暗鬼になり、根を張って長く生きてる周旋屋に利益が回ってくることもある。

 信用を挟む、信用を入れる、実態の無い時代では、そんなことだろう。

 笑うしかない。

 

  昨日は息子のひとりが人気のスイーツ店舗をアチコチで展開している5代目か6代目かの老舗の娘さんと結婚するというのでご両親と会食して来た。

 お洒落なホテルのお洒落な個室で下世話な話ばかりをしていたのはいつものことだが、片目が見えずらくなっておって焦点が合わず、話も焦点が合ってなかったのもいつものことだった。

 ま~、しっかり手を抜かずに個を磨き、情けの無い日本の社会でも強い柱になって、新しい世界の構図の中でも生き延びて行けるように、それだけだな。

 人間社会のことはメンドクサイことばかりだが、それを言うと年寄りのワガママだと言われるから、黙って笑ってまた、とっとと山にさ登ってくるわさ。

 

 短期は火曜日の夜に、ニュートラル。

 金(ゴールド)も銀(シルバー)も、水曜日の朝にはすぐに買い場が来てるだろうかな。

 円が急騰して、金(ゴールド)が急落するなんて、日本人の為の買い場だろうが、都会でせっせと砂金獲りをして遊んでいるようでもある。。