仕事が休みなわけでもないが・・・眠れないで生気が充実しておれば、夜中にちょっくら山に登ってくる。
霜柱どころか、白いモノが降っておって、うっすらと積もっておった。
砂利敷きに車を停めておりると、舗装路はスケートリンクのようになっておった、すでに氷点下だったろう。
日の出が見えそうでなければ、コタツで猫になる。
里山でも、氷点下でも、歩いておると汗が出て来る。
水冷式の車のラジエターに水がなくなってしまうと、オーバーヒートするのとおなじで、寒い冬でも、身体には水を蓄えておかなければ体温調節は難しくなる。
とどうじに、あんまり大汗をかいてしまうと下りに冷えて寒くなるから、冬の山はゆっくり歩く。
広葉樹の多い山は、冬は見通しが良い。
だからゆっくりと景色を愉しんで歩く。
むかしの日本の里山には狼が棲み、山の生態系の頂点に君臨して、里と奥山のクッションのような役割を果たしておったもんだったが、その後に伝染病と、人間の作った悪い風評被害のために絶滅にまで追い詰められてしまった。
・・・送り狼だとか、一匹狼だとか・・・悪い喩えに使われたのはなんでだろうか・・・。
くだらない嘘がその発祥となっている。
狼は縄張りを持っておって、その縄張りに入って来た人間(旅人やら)を見つけると、一定の距離を保って尾行を始めるが、それは襲うためではなかった。
自分の縄張りでは騒動を起こさせたくない、そういうことだった。
逆に熊や猪が興奮して縄張りのなかで人間を襲ったりすることがあれば、その時は人間を守ってくれていた。
山火事が起これば里まで降りてきて、遠吠えを繰り返して人間にそれを教えていた。
日本の柴犬の発祥は、奥秩父山塊の長野側にある川上村の川上犬だと言われている。
日本狼とは間違いなくその起源は繋がっている。
奥秩父のほとんどの古い神社には狛犬はおらず、狛狼が鎮座しているけんども、由来はそういうことだ。
日本狼は絶滅したと言われているが、柴犬となって生き残っているとも言える。
野生の頃の面影はなくなってるような、可愛らしい姿になっている。
地球や宇宙で犯してる人間の罪は多いけんども、そうやって大自然の生態系を変えてしまって、そのくせ奥山には人間は入って行かなくなり、身勝手なもんだが、放置して知らん顔だ。
富士山の樹海には、捨てられた犬や猫のペットが野生化して増えて行ってる。
強く生き残った野生の種は、山から山へと移動を繰り返して、森の生態系を変えてくれるのも、時間の問題だろう。
政治や統治のためにと嘘を広め、悪い風評を流し続けて絶滅まで追い込んだ獣たちが、人間の身勝手な欲望の犠牲になって・・・その輪廻が、始まっている。
今度は人間に襲い掛かる獣になるんだろうか?
俺もそうかも知れない。
生まれて一度たりとも群れに安住した覚えがない。
奥山で獣に出食わしても、いつも襲って来る気配すらないのは、奴もおなじ匂いを感じてるんだろうと想ってる。
これはガキの頃からそうだった。
・・・俺たちの敵は、人間だろう・・・
歳を重ねるごとに、その想いばかりが強くなって行ってる。