活断層がどうたらこうたら、断層ブームがあったけんども、実際のところは日本の地下に存在する亀裂・断層は把握など出来てないのが本当だ。
たかだか表層の、目に見える範囲のような自己満足の範疇のお伽話だ。
太平洋プレートがその旅路の終焉の地として日本海溝に潜り込み、北からは北米プレート、西からはユーラシアプレート、南からはフィリピンプレート・・・とは学者の理解の話であって、実際に高い山々から眺め渡す日本の国土には、それだけでは理解できない起伏が、あちこちに存在してる。
フォッサマグナはよく解るが、その周辺の細かな起伏までは解ってない。
そもそも地球上で起こる地震の2割が、この日本周辺では起きている。
プレートの墓場、ドロドロのマグマへと溶け戻る最期の場所。
日の出ずる国は、地の落ちる国でもある。
この世の地獄があちこちで現実のものとなる。
方丈記は鎌倉時代に書かれたものだが、その当時も大地震に台風・洪水に竜巻、それによる飢饉、この世の地獄が書き遺されている。
そういう国に皆さんも生まれ、棲みついて居る。
箱根山は、その昔は富士山級の高い山だったものが、大噴火によって今の低山群となり、まわりには温泉が湧きだす保養地になってはいるが、その大噴火によって飛び出した火山灰は現在の横浜の街を埋め尽くし、東京にまで届いたことが地質で解っている。
東京は浅間山の大噴火で飛び出した火山灰もその地下に存在しており、赤城山や榛名山もまた富士山級の山が大噴火を起こし、この東京の地下にその火山灰を堆積させている。
八ヶ岳は富士山よりも高い山だったが、これもまた大噴火によって今のギザギザになってしまっている。
現代の箱根山と呼んでる山々に箱根山と言う名の山は無く、赤城山には赤城山という名の山は無く、八ヶ岳には八ヶ岳という山は無いし、榛名山もまた同じで、大噴火以前から残る裾野を共有する山々の総称として呼んでいる。
赤城山の主峰は黒檜山と言い、八ヶ岳の主峰は赤岳、榛名山の主峰は掃部ヶ岳と言い、箱根山の最高峰は神山だ。
登山の愉しみのひとつに、この大噴火や大地震によって新たに形成された起伏を眺め、地質や岩石を見て、大昔の風景を想像することがある。
高い山の岩のてっぺんから、360度の眺望を愉しむとき、そんな過去の大自然の鼓動を感じ、凄いと心震わす。
これだけのモノが一瞬で吹っ飛ぶ力を想うと、地球の脅威というよりも、人間の愚かさばかりが笑えて来る。
ダイダラボッチの巨人伝説は日本各地に残っているけんども、そんな語り伝えを残した古の人たちの想いが、よく解って来る。
人間なんてチッチェ~生き物だ。
苦労して田畑を耕して、農作物を育てておっても、地球の悪さひとつで吹っ飛んでしまってる。
それでも人間はまた、そこで田畑を耕して農作物を作り始める。
その厳しい大地の上でしか、生きては行けない生き物だから・・・。
なんどもなんども同じ目に遭って、なんどもなんども諦めることなくコツコツと、同じ再生を続けてる。
命の途切れるまでは、これは続いて行く真実だろう。
ただそれは大雑把で良いんだよ。
地球がまた活動期に入ってる現代、神経質に細かなことばかり目を向けてると、命の根源を見失う。
そういう時代に合う生き方というものが、在る。
大切なものはなにか? いらないものはなにか?
そういう価値観の再構築が、これからは大事なことになる。
俺もまた、毎週のように日本の山や海で遊び呆けてる以上、どこでその命を終えるか? 解らないし、その時は俺の終わりだと、いつも胸に刻んで遊び呆けてる。
それでエエんやで。
なんども命の危機に遭い、なるようにしかならんわい! と両手を広げて天を仰ぐことを繰り返して生きてると、後悔や苦しい想いなどなくなって、いつも笑って居れるようになる。
俺の命はあちこちに繋いで遺してある。
オスとしての残った仕事や使命があるとすれば、なんだろうか?
そんなことを考えながら、今朝もまた煩わしいメンドクサイ人間の世界で、周旋屋のお仕事を始める訳だ。