・・・あたしが見てると、かすみ草が笑うの・・・
・・・冬の空は、ギザギザになってるから、夜が来ると怖いの・・・
その娘は精神分裂病だと診断を受け、閉鎖病棟に入れられて、療養させられていた。
そうして両親は医者にすべてをまかせ、たまに会いにくるだけだと、そう言っていた。
俺が彼女を知ったのは20歳の頃、大学を中退してすでに自費出版で雑誌を作っていて、詩・小説・戯作に評論・宗教・哲学から編集後記まで、ぜんぶ偽名を使い分けて独りで書いていた時代、俺の書くものが言葉よりも匂いで身体に入ってくると手紙をもらい、それからだった。
精神科医って~のは、難しい商売だと想った。
すべてを他人である医者にまかせることができるのは、身内のまわりの者らであって、本人は、ひたすらに固く心を閉ざす。
そんなようなことを知ってから付き合いが始まり、彼女が17歳になったとき、俺のアパートに引き取った。
彼女の両親・兄弟は、最初は反対をしていた。
ただ、なす術がない現状から、好きにさせてやろう、となった。
彼女のために詩や童話をかくこともあった。
ただ、二人食べていかなければいけなかったから、色んなアルバイトもした。
急に 死にたい! と言い出したり、それはそれは若気の至りで、振り回されることもしばしばだったが・・・。
だから定職にはつけず、日雇いのアルバイトばかり掛け持ちして暮らしていた。
自費出版なんて、理想はあったが金のかかる趣味みたいなもんで、とても喰えていけるもんじゃ~なかった。
クタクタになった夜、彼女の心地いい寝息を聴きながら、モノを書いていた。
・・・俺も、好きなことをやってんだ・・・
そう、想っていた。
あんまり出掛けない彼女をバイクの後ろに乗せてあちこちに連れて行ってやったり、だんだん安定してきて、勉強も教えてやったりして、2年後くらいにNHKの通信高校教育を卒業した。
俺が初めての男で、女としての喜びも感じるようになっていたから、子供が欲しいと盛んに言うようになった。
女の幸せを願うようになっていた。
ただ、俺は他にも年上の女やらがいた。
そうして働きに出るようになり、すれ違いの生活が始まり、ひとりで社会にも溶け込んで行けるようになった頃、俺の働いてた業務用アイスクリーム会社の社員旅行があった。
2泊3日で、佐渡へ出掛けていた。
もどってくると、6畳一間のアパートが、すっからかんになってた。
俺のモノしか残ってなかった。
コタツのうえに、手紙が1通、置いてあった。
・・・いろいろ、ありがとう、ほんとうに感謝しています、貴方と一緒になりたかったけど・・・でも、それはいけないことだと・・・いま、こんなわたしでも、一緒になりたいと言ってくれる人が出来ました・・・その人のところに行きます、さようなら、無理をしないように・・・
そんなようなことが、丁寧に、優しく書いてあった。
寂しさや哀しさはなかった・・・ただ、やたらに溜息ばかりが出ていた。
なんて味気ないんだろうか・・・そう、想った。
俺の持ってるモノが・・・俺の、生きて抱えてるモノのすべてが・・・。
モノクロ、そうして女は色とりどり、花がない花壇、殺風景な日常。
数年後、俺が付き合ってた三つ年上の女性が、美大を卒業して彫金師になってたのが、実家の揉め事と創作上の悩みから、自殺してしまい、追悼詩や追悼のモノを書けば売れると周囲に囃されて、その中には今では教科書に載ってるおエライ詩人や作家もいたが、すべて投げ捨ててぼんやり暮らしてた時・・・1通の手紙が届いた。
クリスマス・カード、だった。
去っていった彼女と、初めて見る旦那と、二人の笑顔に挟まれた赤ん坊と・・・。
ほんとうに嬉しいときにしか見せない彼女の笑顔が、そこにはあった。
ラスト・クリスマス・・・そんな唄が、あった。
そうして、俺は?・・・
なんにもない、からっけつ、可笑しいくらいのすっからかんで、部屋に積みあがった売れ残りの雑誌の山・・・まだ陽が出てるうちに、銭湯にのこのこ出掛けていくしかなかった。
暗くなってアパートに戻ってくると、小さな猫が1匹。
1階の一番奥の俺の部屋のドアの前で、震えながら小さく丸くなってた。
なんか、変だった。
ヤカンの蓋を裏返して、そこにミルクを入れてやっても、動こうとしなかった。
声さえ出さない子猫をそっと抱えようと手を出すと、歯をむいて怒った。
・・・お前、どうしたんだ?・・・
次の朝、気になってドアを開けると、まだそこにうずくまっていた。
声をかけると、みゃ~と小さく鳴いた。
そっと手を出すと、こんどは身をまかせるように抱かせてくれた。
身体じゅうが、優しく柔らかい毛だった。
ただ、一箇所、背中のとこが血で汚れていた。
嫌がる仕草をそっとおさえてよく見ると、細い金属片が刺さっているように見えた。
あ~、それでか・・・年末に、田舎に帰るために溜めてあった金を持って、近所の獣医のとこに連れていった。
釣り針が刺さってると、言われた。
・・・いたずらでしょうかね~・・・
周囲の肉が膿んでいて、腐ってしまうと命の保証はできないというようなことを言われ、その傷んでる肉を削ぎとらないと駄目だと言われた。
俺は厚手の皮の手袋をはめさせられ、相当に暴れるだろうから、しっかり押えてくれと説明を受けたが・・・麻酔は? 小さ過ぎて麻酔はかけられない!・・・とうとう訳もわからず、汗だくになって叫んでいた・・・頑張れ!! 生きるんだ!!
どのくらいの時間だったんだろうか・・・子猫も、俺も、クタクタになっていた。
無事に終わった・・・そう、医者は言った。
子猫は包帯でグルグル巻きにされ、首にエリマキをつけられていた。
財布は小銭だけになり、子猫を風呂敷に包んで、抱えてアパートに戻った。
布団のうえに横にしてやり、皿にミルクを入れてやると、顔だけ動かしてピチャピチャと懸命に飲んだ。
その音が、生きてる音だと想った。
そうして俺もホッとしてコタツで横になったら、すぐに眠りに落ちてしまった。
夢を、見た。
部屋を出ていった彼女が、可愛らしい赤ん坊を抱いて笑っている。
それを笑い返して見ている俺は、エリマキ猫を抱いていた。
とんでもない正月・元旦だった。
6畳一間で、エリマキ猫とずっと一緒、腹を空かしてぐ~ぐ~言ってた。
獣医が、そうじゃ~ないかと心配して、餅やら餌やらを置いていってくれた。
その子猫は、それから田舎に新幹線で連れて帰り、10年以上も幸せに生きた。
俺のほうは、その後も波乱錯乱、なんども天と地がひっくり返って、そうしてこうやって銀座で周旋屋を続けている。
生き物の命の長さは決まっているんだろうに・・・どうして俺には平穏というものが無いんだろうかと、そんなことを考えてると、ほら、またクリスマスだ。
もう、そんな頃から40年もたとうとしてるのに、やれやれ・・・まただ。