体調は良いわけもないが、あっちが痛い、こっちがおかしい、そっちも変なことになってる・・・と、ここ数年はいつもナニか違和感を身体に抱えて生きて居る。
日常の忙しさと、仕事の忙しさで、それらは相殺されているようでもある。
いちいち難しく考えてる時間がなくなって、なんだか一日が終わる時にドッと疲れになって、ナニもしたくない、もうそろそろお迎えは来ないのか? で眠っている。
そうやって愉しい週末の自由な時間に、もっと肉体を酷使するような遊びをやり、忙しい日常へと戻って来てる。
休んでない、常に動いている、これで63年間、生きて居る。
店の開店時間も、マチマチ、6時頃からいたり、身体が重いと11時過ぎ、直行して昼過ぎに開店したり、気まぐれ。
昨日は仕事の疲れが酷くって、朝がゆっくりになってしまった。
フラフラ眩暈も時々いい感じであるから、薬を飲み、落ち着いてから出発した。
遠くには行けないし、天気もイマイチだし、で近場となると・・・富士山の傍の1500m前後の山々を歩いて来ようと考えた。
最初に目指した林道が、途中でとてもじゃ~ないが無理だろうという荒れ果てた状況になり、曲がりくねった急こう配の道では4駆の小さい車でも転回できず、落石もあちこち、大きな穴ぼこもあちこちでは、やる気も失せ、永年の勘から一度下の里まで下りて、別の林道に入り直すことにした。
下の里の神社では、なんだか変なお祭りをやっておって、鳥の毛を円に組んだような飾りを背負った者が、祠の前で祈祷しておって、それを遠巻きに衆がかしこまってお行儀よく眺めておった。
元気であれば訳がわからない風習や祭りごとには、とりあえず親睦顔して参加してみるタチの俺だが、昨日はそんな気にもならなかった。
これも俺の登山の愉しみではあるんだが、天気がイマイチだからどこも薄暗く、得体の知れない信仰の姿が後味悪く、忍野八海でも歩き回って終わりにするか? とも考えたが、それでは身体が鈍ってしまうので、そろりそろりと昼過ぎから急な登りを歩き始めた。
眺望は無し、富士山も見えても演習場くらい、冷えてしまって、中本の旨辛飯を喰うために、大汗をかいて山々を徘徊したようなもんだった。
胃袋が熱くなり、温かいコーヒーを飲んで、二服して、トロリトロリと降りて来た。
先週の絶景とは真反対だった。
帰りは都留の先、リニアモーターカーの実験場の手前から山道に入り、秋山集落の赤岩・二十六夜山の傍を抜けて上野原に出て高速に乗り、八王子から先が混んでいたので圏央道、樋川・北本で降りて17号新線、上尾のアリオで食事して休憩買い物、与野から首都高に乗ってのんびり戻って来た。
いつものように疑問に思ったことはすぐに調べて置く。
あの怪しい里の祭りはなんだったのか? 山の途中に出くわした獣道はなんだったのか? 朽ち果てた祠や道祖神はなんだったのか? あの聞き慣れない地名の由来は? いろいろと、戻って来ても忙しいのが常だ。
たいして疲れてなかったが、パウチの交換作業をして、マッサージ機に座って揉み揉みしておったら、眠ってしまったようなもんだ。
新しい4駆の小さな車には安全装備がたくさんついておって、車線逸脱防止ナントカというのが邪魔で仕方がなかった。
そもそも山道を走る時、車線があったとしても、道をすべて使って走ってる俺にはピ~ピ~やかましいだけのモノで、ハンドルを戻されたりすることが多くって、運転に疲れておった。
昨日はそういうのをすべて解除して走ったが、古い人間にはそっちの方が良い塩梅だった。
いらぬお世話、余計な装備、楽になるはずの法規制で、現代人はこれでストレスを溜めてしまってる。
さ、身体は重いが、大汗をかいたおかげでお肌はツルツル、仕事を始めるべ。