先週は日本を縦横に移動して、色んな人と会っての大事な話の連続だったせいで、周旋屋の仕事などまるで出来ないまんま終わり、昨日は足慣らしに山の梅を見に出掛けていたが、身体が無茶苦茶に重くて、エライ目に遭った。
里山が3000m級の雪山みたいに堪えた。
ハチャメチャな凄まじい前半生を生きて居っても、今回のようにクタクタになったのは初めてだろう。
どこでも笑って楽しく過ごしておっても、老いを感じる。
蝋梅に赤白の梅、福寿草に水仙、暖かい陽気で香りも良かったが、よけいに大汗をかいた。
土曜日の夜の東北地方の大地震時には中央高速を走って帰京しておったが、高速の情報で知るまでぜんぜん感じることもなく、仙台で同棲している息子に電話したら、壁にヒビが入って、凄く揺れた!と、すでに車に寝袋を積んで避難の準備は終わってると・・・ま~ま~、合格だな!・・・ヒヨッコの割には、動きは良かった。
来月はその相手の両親とあらたまって会食をする。
再来月は娘が結婚する。
その後に身内の高齢者二人を東京に呼び、家の墓も片付ける。
子供らの話になると、どこでも俺が最年長者になるから、仕切ってやらんといかんし、高齢者の話になっても経験豊富な俺が仕切って、皆の意見を楽しく聞いてやらんとならんから、周旋屋の仕事と言えば言えなくもない。
結婚式なんざ、猿芝居だ! と散々に笑ってるが、女どもには通用しない小言で、なんだかな~・・・
そうそう、芸能・スポーツ選手みたいな一芸馬鹿モノたちが、コロナ感染の猿芝居を続けている、間抜けやな。
東京オリンピックのドタバタ喜劇、これはどこの家庭にもある、習慣と癖と、価値観とそれらを含めた構造的な問題、そんな色んなことが同じ話だと見えている。
日常の習慣を変える、家を替え、儀式も変え、細々した部分では色々と変えてはいても、その構造的な全体像が把握できておらず、それを根本から変えない以上は、ただのイザコザ、外面だけが変わって、元の木阿弥、ナニも変わってない。
人が生きて行くことも同じで、なぜ、生きて行くのか? 死とは? ナニが楽しくて生きているのか? 自分とは? そんな根本から自身を変えてゆかなければ、外見だけを弄り回すことでその一生は終わってしまう。
整形や意識改革なんざ、退屈なことよ。
70年も80年も生きておっても、その親や先祖から伝わる価値観を素直に守って暮らしている爺様や婆様、時代に関係なくそれを続けていると、じきに誰も近寄ってはこない孤独な日常となり、毒にも薬にもならない忘れられた存在として、ただただ死を待つ身で消えてゆく。
こういう高齢化社会の地獄絵図が、すでにあちこちで見られるようになった。
わが国も、これほどコロナ救済・助成に補助を続けているから、そのうち消費税は20%を超えて来る。
楽して儲かる話は刹那の快楽、かならずしっぺ返しがやってくるのが、人間社会の常でもあるから、コロナ俄か成金どもの笑顔も、あっという間に苦痛に歪んで来る。
そろそろ中堅どころの不動産会社が破綻するだろうし、あちこちで業種に関わらず悲惨な話が出て来る時節となってる。
コロナ教のPCR布教は、社会が崩壊するまで続くだろう・・・1年前に言っておったが、その現実が目の前に拡がってくるだろうよ。
株価だけがバブルなのは、今回はドルが基軸通貨からの退場に向かってるからさ、おっかないで。
まだまだ、色んな忙しい野暮用が入って来てる。
ひとつひとつ、丁寧にこなしてゆくだけだ。