みなで話し合い、意見を交換し、認め合いながらも討論し、ひとつの集団のルールや法律を作る、これは学校でよく習う基本ではあるが、実際の人間の歴史では、変化や転換を迎えると、冷酷で残酷な暴力でそれは為される、これも事実ではある。
いまがまさにそうであって、政治家のやってる無茶苦茶な行動は、滑稽な喜劇を見てるようでもあり、裸の王様が裸だと言われても裸で押し通せば、それが新しい生活様式にだってなる、これが人間の歴史だ。
なにが正しいのか? 道徳や倫理で世の中は動いてはおらず、それはあくまでも後付けの講釈だ。
そんな時代に、優しく甘ったれた昭和の感傷に浸って生きてる人たちは、その心構えは出来ているのか?
世界の大きな転換期がやって来る前に、それが出来てないようでは哀れなことだろう。
人類の歴史を見れば、戦いに疲れ果てた時期に、優しさを求める時代がやってくる。
多くの民衆が安堵する時代作りが始まる訳だが、布教のために多くの犠牲者を出して教義を広めて信者を増やし、それを利用して国家と経済活動を牛耳るというキリスト教が最たるもんで、人類の暦まで浸透させてる訳だから、これも変えて行くことがあるのかどうか・・・で、その力がいまだにどの程度強力なのかが解る。
今の日本なんて、1000年以上の時をキリスト教に蹂躙されて、こんなテイタラクの腑抜けになってる。
文化・芸能・社会の隅々まで、それは浸み込んでしまってるが、これがどうなるのか? 変わらんだろう。
新しい時代になるというのに、自分を変えてその時を待つことができないようでは、崩壊する社会では愉しく生きては行けんだろう。
これからの季節は、紅葉見物で有名な場所やネットなどで紹介してる場所へは近づかない季節でもある。
山の中の国道や県道で、普段は出掛けない観光客たちが大渋滞してる煽りを喰って、行動が制限されることがあちこちで起こる。
紅葉なんて、広葉樹の森があればどこにでもあり、山があれば谷があり、そこへ流れ落ちて川ができ、そんな場所は日本中にあるというのに、相変わらずも同じ場所に大勢が集まって行ってる日本人、阿呆やな。
年中山に入ってる者は、春や夏でも・・・ここは秋に来てみたいな~・・・な景色をたくさん知っている。
だから山の帰りにそんな秘密の場所にワザワザ遠回りしても立ち寄ってみたり、愉しみは尽きない。
とうぜんに、その行き帰りは決して間抜けな猿の集団がいない場所を選んで走っている。
山の猿の方が、可愛いよ。
人類の阿呆な自惚れは、地球温暖化騒動で頂点に達していたが、月面着陸もその後はなしのつぶて、夢でも見てるほうがエエんでないか? 国家予算を注ぎ込むような自惚れは、ある種の精神・神経の病ではある。
地球上で絶滅にむかってる植物・動物だと大騒動しておっても、人類の行かない場所で豊富に生きて居たり、特にここ数十年の人類の行動範囲は狭くなる一方で、ネット電波の飛び交う街での小さな判断が大きな話になっている。
これは半世紀近く、日本の海や山で遊び惚けて居ればよくわかる笑い話だ。
語られてる歴史にしたって、嘘ばかり。
そんな嘘をもとにして、論争したり殺し合いをしてるのが、ド阿呆な人間社会ではある。
ゼニカネや知識や肩書を持っておっても、それが何の役にも立ってないどころか、自分を窮屈な部屋に閉じ込める足枷でしかなく、今日一日すら、なんの意味も持てない怠惰な日常で終わってる。
さ、認知症やボケ老人、植物人間となってしまっても身体は生きて居る人たちや、破産して未来を失ってしまってる人たちの、真っ暗闇での相談と仕事が増えていってる。
俺はさ、人間の世界では、満月の夜にヘッドライト無しで山を歩ける獣だから、別に足元もよ~く見えておるが、皆さんは身動きすら出来ない哀れな惨状だ。
こういう仕事ばかりが増えているのも、流れなんだろうし、バブルで一息ついてる時期だからこそ、身銭をまたまた切って出来るというもんだ。
身内が皆さんの何倍もいる俺のような獣には、ゼニカネなんてそんな程度のモノでしかない。
今日はなんにんの人を、忘れている素敵な笑顔に変えられるのか? それもまた愉しみではある。