ガキの頃、水晶の露天掘りや土器掘りに夢中になって山を歩き回って、海では釣りの合間に沖に泳ぎ出ておったもんだけんども、登山者、アルピニスト、競技者として山に登って海で泳いでいるのではなくって、まずは俗世で多くの者に関わって、そうして背負って生きていながらも、なおも生まれた国の国土を愛してそこで遊び惚けてるわけで、立場は豊作を祈願しに険しい頂の奥の院に登っていた農民と同じだ。
だから登る山の名前なんて、どうだって良いからこそ、いちいち言うこともない。
そのスタイルだって、半世紀の遊びで知っている自分が必要とする装備で身を固め、ハウツー本やガイドやらの能書きには興味もない。
その時に登りたいと思う山に登り、泳ぎたい海で泳いでいる。
その山自体には大した意味はなく、俗世で抱え込んでるモノを浄化する、そんな感じでいる。
忘れてはいけない、地球や宇宙のおかげで自分がある、そう想っている。
だから山でおなじ人間に会うと鬱陶しい。
すべてをリセットする、浄化しつつあるものが汚れてしまう、そんな感じにもなる。
新年早々に、いろんな仕事が入ってきてるけんども、資産を日本中に持っておられる古い付き合いのお婆さんが、悪い銀行にひっかかっておるので一緒に動いてあげたりもしている。
大きいから、CMでよく目にするから、そんな根拠で相手を見て安心を得られる時代ではなくなってるが、70歳以上の団塊から上の世代は、戦後の平和を満喫し過ぎて隙だらけ、良いように玩具にされてるようなとこがある。
20数年前からシングルマザーの支援・応援をやってるが、そういう高齢化社会のおかしな時代になることも読んでおったから、いろんな高齢者の相談にも乗って動いて来てる。
勝ち負けや損得だけで社会が自転車操業を続けてると、こういうことになる。
平和や安心なんてものはなくなってしまう。
勝つ者がいればおなじ数の負ける者がいる。
儲ける者がいれば、おなじ額の損する者がいる。
これが世の中だ。
勝てばおなじ数の負けを抱え、儲かればおなじ額の損もする。
これで生涯は何事もなかった、ちゃんちゃらのペーだ。
それでエエ。
借金・負債や貸し借り無しで終わりにする。
俺の場合はそのために社会や他人との関わり合いがどんどん増えて行ってる。
夏が異常に短く、暑い・・・冬に雪が降らないから・・・花の咲き方が変・・・イロイロある。
これはあくまでも人間の社会のカレンダーと一日24時間という身勝手に作った時間構成から見て変なのであって、地球や宇宙の動きには、な~んの関係もない。
人間が勝手に作ったカレンダーに合わせて、地球や宇宙が動いてる訳ではない。
人間が、地球や宇宙に合わせて生きて行くいがいに、方法は無い。
いちいちそこに異常だというようなことは無く、単純に地球や宇宙に合わせて臨機応変に暮らすしかない。
いままでは地球や宇宙の平穏期だっただけの話で、地球や宇宙にとっては別にアッと言う間の短いサイクルの話。
俺は、人間社会の怠惰な自惚れと、短い歴史に安住してる自意識過剰の混乱に、いちいち付き合うつもりもない。
そこに資本主義という嘘くさい経済活動があり、地球や宇宙のことを考えて暮らすことが無くなった人間の、自業自得でしかない。
現代人の日常をずっと眺めていると、きっと大混乱になるんだろう。
仕方ないから、大笑いして付き合ってあげようか。
金儲けとはただの成果のことであって、人が生きて行く上での成功とは異質なものだ。
それもただの人間の社会での話でしかない。
人間の社会では、ナニが起きても驚くことがなくなる。
理由や原因が即座に解ってしまう。
そのうえで、自分を鍛え続ける、身体も心も一緒に鍛え上げる。
地球や宇宙という、人類の産みの親とともに生きる。
これ、大事なことだ。
神や仏や、道徳・倫理、常識や良識というものがなければ、自分では物事の判断がつかない大人社会では、みないつも貴方任せの日常を送ってる。
無責任、逃避、曖昧な笑い、すぐに過去の事例を持ち出す裁判もそうだし、安直な生、俺はそういう考えでいる。
何事も、他を見ることもなく、自分でその場で判断をくだす、これが大人というものだ。
あらゆる新しい知識を常に持ち、情報はいつも現場の関わり合いから身につける。
どんなことでも他人を頼ることを考えず、すべて自分で修理・補修もできる。
そうして地球や宇宙の動きをいつも感じている。
さ~、本格的に動くぜよ。