・・・いまからチョット寄っても良い? 暇こいてる後輩の周旋屋が電話して来た。
・・・あ~、網を編んでるから、いいよ
年末になってロクでもない話ばかり、壊れてばかり、ナニをやっても上手くいかないときは、モノを作ってる。
店は開けておかんきゃ~ならんから、銀座の店で、今日は飼ってる熱帯魚やメダカを掬う網を編んでおった。
・・・おら、今年は本厄だったんだな~
・・・そんなの気にするオヤジじゃ~ないだろう?
先日に立ち寄った千葉の神野寺でそれを初めて知ったんだが、もう師走だな・・・師走に知った、大笑いだ。
・・・歳男だったのにね~
・・・俺の同級生なんてロクなのおらんし、変人ばかりだから、神も仏も知らん顔だろ
殺傷処分になる猫を数匹もらい受けて銀座で育ててたり、魚を釣るだけでなく飼っておったり、忙しい日常なのに、そんなこともやっている。
すべては人との関わり合いのなかで、そうなってしまってる。
ご縁だと想えば、なんの意味も利益もないことでも、抱え込んでしまうのが俺の務めだと想ってる。
60年、そんな感じで生きて来たから、なんでも詳しくはなってくる。
な~んの意味もないことばかり、ぎょうさん知ってはいる。
扶養家族が人の何倍もおると、稼いでも稼いでも、自分の手元には残らない。
たんまり稼げば、いずれ自分の肩に乗って来るだろう身内の借金を完済してやったり、みな自分以外の者のために使い果たすだけのことで、俺自身はゼニカネをいつもほとんど持たないで暮らして居る。
強欲で生きてる周旋屋の中では、相当にまた変人で30年生きて来た。
いまだに後輩連中にご馳走させてる。
それを知ってる連中は、笑ってご馳走してくれる。
隠してるモノも、ない。
借金や負債は親の分までキレイにしてやって来てるのは、俺がメンドウを負いたくないからだ。
ま~ま~、山や海では自分でモノや道具は作ることが多いし、俺自身は金のかからない生き方をしてるから、よく聞く自分へのご褒美だとかすら、なにもない。
関わってる者らが笑っておれば、それでエエんや。
で、俺が終わればそれぞれが自分たちで生きて行け・・・だ。
自営の会社を大きくすることよりも、扶養家族や身内を増やす、俺はそう生きて来た。
死ぬまで楽が出来ないようにと、そういう道を歩いている。
老いて退屈ですることがなくって、ぼ~っとしてる、これはすでに死んでるのとおなじだ。
生きて居る価値観が、相当に皆さんとはかけ離れてしまってる。
外国人の顧客とそんな話をしておっても、世界でも珍しい爺ィ、なんだそうな。
毎晩寝る時に想うこと・・・もうそろそろ終わってもエエんだが・・・さらっと思うとなかなか終わらない。
な~んにも後悔がないし、キレイさっぱりいつでもどうぞ、そんな感じになると、なかなか上手くいかない。
だから仕方なく、網を編んでおった。
巻貝やヌマエビやメダカや熱帯魚を掬える網。
山には、遭難だけでなく、首をくくった亡骸が転がってることもある。
山で遊んでたガキの頃にも、そんな現場に出喰わしたこともあった。
生まれた時はみな手足バタバタ、オギャ~で産まれてるのに、その終わり方にはいろいろ、ある。
お決まりの登山道から外れることもなくガイドブック通り、教科書の模範解答のように歩いてる人たちには、あんまり無いことだろう。
戦後の日本では、いまの10倍は未成年者が巻き込まれた事件や事故が多かったと警察の統計にはあるが、実際にそうで、報道機関が少なかったのと、報道手段がたいしてなかったことで、知らないだけだ。
学校帰りに電車に飛び込んだ後に出喰わしたこともあるが、衣服や肉や骨が飛び散らかってたりしてた。
海で遊んでる時には海水に膨らんだドザエモンが浮いてるのに出喰わしたこともある。
時間の経ってないものと、時間が経ったものとでは、その独特の臭いも違って来る。
むかしは姥捨て山だったという山や峠もあるくらいで、現にいまでも大雨が降ったり土砂崩れが起きたりすると人骨が出てきたりする場所もある。
山奥で近親相姦が続いて容姿まで化け物のようになった集落があったりすると、孤立してしまって、乱暴狼藉を働くようになった里もあったり、塩分補給のために旅人の生き血をすすっていたことも事実だ。
皆さんよくご存じの百名山のすぐ傍でも、むかしは追剥や夜盗・山賊が棲み暮らし、賭場を張っておって、旅人を襲っては身ぐるみ剥いで亡骸を谷に放り込んでおったり、里の村で酒と食い物と娘っ子をかっさらっては山に逃げ込み、さんざんに弄んでは殺して谷に放り捨てておったという場所はあり、いまでもその沢では人骨が発見されてる。
東京から近くで言えば、丹沢から裏の道志や、雲取山の手前あたりからの奥秩父だろう。
俺が好きなエリアではある。
桜の名所が、むかし多くの人の血が流れた場所に多いのは、肥やしとなり生まれ変わりだとも言われて居った。
供養のためにと桜を植え・・・骨とは、単にカルシウムを主成分としたモノだ。
それ以外にはなにもない。
墓石の冷たく閉ざされた場所に安置される骨壺は、土には還れない。
これは悲しいことだろう。
地球に還れず、肥やしともなれず、生まれ変わることすらできない。
死者を送る人間の感傷はいっときのもので、その後は骨壺に閉じ込めてる人間って~変な生き物は、滑稽だろう。
本当に思う気持ちがあるのなら、地球に還してやるべきだ。
あの世や霊魂やお化けを怖れてる奴らにかぎって、そういう大いなる矛盾を平気な顔して抱えている。
チャートという岩盤があるが、これらは小さな海の生き物の骨が成分の元になっている。
そうやって地球上の命あるものは地球に還って行くのが当たり前のことだ。
都会で夢ばっか見て暮らしてると、脳ミソまでふやけた薔薇色になってしまってる。
山を歩く以上は、無事に生きて降りて来れたことを、地球や太陽に手を合わせて感謝する。
真っ暗なうちから山に入ったり、単身で奥山を歩いてる連中には、ぶっきらぼうなのが多いが、そんな色んなことを知ってて歩いてるからなんだな。
ナニが起きても、いちいちお子ちゃまな感情は動かないし、感傷すら持ち合わせてはいない。
ジッとその起きたことを冷ややかに見つめている。
山や海の好きな人に悪い人はいない・・・大嘘だろうな。
人間界で一番に醒めてて腹の座った悪、これだろうか・・・。
いつも小さな人間なんかよりも、残酷で不条理そのものの地球や宇宙を相手にして、遊んでる。