ころりん~キラキラ☆

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誰かのために・・・。

2015-03-07 19:03:15 | イベント

木下晴弘氏の心に響く言葉より…


私がいつもお世話になっている野田塾という塾が名古屋にあります。

その塾では学習の成果を測るため、定期的にテストをしています。

その塾のある先生はテストが近づいてくると、いつも生徒たちに「みんな、テストでいい点を取りたいか?」と尋ねます。


「取りたい」と答えると、「何で?」と尋ねます。

生徒は「うれしいから」と答えます。

「誰がうれしいの?」と聞くと、必ず「自分が」と言うそうです。

さらに「自分だけ?」と聞くと、「うーん、お母さんかな」と。

これも必ず同じ答えになります。「お父さん」という声も上がりますが、だいたいここまでは、みなパターン通りに答えが決まっています。

そして、さらに聞くのです。

「それだけ?」

「学校の先生」

この時、その先生は自分を指して「まだいるよ」と言うと、「あっ、○○先生」と言ってくれるのだそうです。

すると先生は、ありがとうと言って握手を求めるのです。


「ということは、君たちがよい点を取ると、周りの人を幸せにできるということだね。おうちの人、クラスの仲間、近所の人もそうかな。すごいとほめられるかな。お小遣いも上がるかな。みんながんばって周りの人を幸せにしていこう」

これだけで彼らは素直にやる気を出してくれるそうです。

自分ががんばって誰かが喜ぶなら、こんな良いことはないし、その喜ぶ姿を見れば二重にうれしくなります。

欲が出るのだと思います。

そんな欲ならいくらでも出してほしいと思います。



仕事だって同じです。

似たような質問を自分に投げかけてみてください。

「あなたは仕事をしたいですか?したいですよね。なぜですか?」

「いい仕事ができたらうれしいからです」

「誰がうれしいのですか?」

「自分がうれしいですよね」

「ほかには?」

「お客さんかな」

「ほかには?」

「上司も喜んでくれるし、家族も喜んでくれるでしょう」

「そうやっていっぱいの人を幸せにできるあなたは、すごく幸せですね」

そう思いませんか。


『涙の数だけ大きくなれる!』フォレスト出版





自分のための頑張りは、たかが知れている。

しかし、ひとたび「誰かのために」と、思った瞬間から、その頑張りはとてつもないものになる。

「家族のため」、「好きな人のため」、「親のため」、「子どものため」、という「誰か」を意識したとき、スイッチが入る。


あの東北大震災から4か月後の7月、ドイツで行われたサッカーの女子ワールドカップで、日本代表「なでしこ」は優勝した。

被災地のビデオを見て涙し、東北で苦しんでいる「誰かのために」と頑張ろう誓い合った。


そして、澤選手はこう語った。

「私たちが勝つことにより、何かを失った人、誰かを失った人、怪我をした人、傷ついた人、彼らの気持ちが一瞬でも楽になってくれたら、私達は真に特別な事を成し遂げた事になるのです。

こんな辛い時期だからこそ、みんなに少しでも元気や喜びを与える事が出来たら、それこそが我々の成功となります。

日本は東北大震災の困難に立ち向かい、多くの人々の生活は困窮しております。

私たちは、その災害の事実を変えることは出来ないものの、日本は今復興を頑張っているのだから、そんな日本の代表として、復興を決して諦めない気持ちをプレイで見せたかったのです」


「誰かのために」と思える人は強い。

誰かに喜んでもらうため、日々頑張れる人は幸せだ。




この人は もう、終わった?

2015-03-07 18:49:30 | イベント
明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…


かつて向上心を持っていて、いまは向上心がなくなった人というのは、“知的好奇心の矢”が飛び終わった人である。

教師でも、この人はもう終わったなという先生、情熱がほとんど失せてしまった先生もいれば、年をとるごとに情熱が高まる先生もいる。

若いときは同じように向上心があっても、30歳を過ぎるとだんだんその差が激しくなってくる。

だから私は「知的加速度」が大事だと思う。


この半年間でどれだけ勉強してきたか、知識を増やしてきたかと考える。

「うーん、仕事はしてきたが、それほど新しいことは勉強してこなかった」という人は、魅力が減っている恐れがある。


かつて人生50年と言っていた時代からすると、いまや70年、80年が当たり前になっている。

80歳まで生きるなら、60歳から数えても20年も学ぶ時間がある。

この間を漫然として過ごせば大変なよどみの長さとなる。

自分自身も晴れ晴れしないし、社会的にもプラスではない。


そういうことから私は向上心を習慣化、技化(わざか)することが重要だと思う。

人は老年期に向かうほど暇が増える。

そんなときこそ、新しいことにチャレンジする余裕が生まれるから、いままでまったく勉強してこなかった分野に挑戦してみる。

そこで「すごい、すごすぎるよ!○○」と週に一つでも増やした知識を家族や知人に話すようにする。

これを数か月続けたら大したもので、まさに向上心や知的好奇心を習慣化、技化したと言えよう。

いまあらゆる分野で「すごい、すごすぎる」ことが起こっているにもかかわらず、好奇心が不足して「見つからない見えない」ではあまりにももったいない。


市民大学の講師をしていた頃痛感したのだが、女性は30代40代と勉強し続けた人も多く、その間あまり勉強してこなかった男性との間に、しだいに大きな知的水準の差がついてしまう。

夫婦の会話もずれが生じてくる。

実際、男女のつき合いでも女性が男性の教養のなさにあきれて、つき合いをやめるケースもある。


年を重ねればこそ、男性も見た目や収入以外の知的なことに関心を持ってもらいたい。

知的好奇心は人としての魅力の源であるのは間違いない。


【“ちょっと尊敬”される人になる本】三笠書房




何かを、習慣化、技化(わざか)するにはアウトプットするのがいい。

例えば、読書を習慣化したいなら、読んだ本の感想や要約などをブログやフェイスブックで発信する。

ウオーキングを習慣化したいなら、毎日の歩いた歩数をメルマガやSNSで発表する。


好奇心は、頼まれごとを引き受けると、そこから広がってくることが多い。

例えば、PTAの役員を引き受ければ、学校のこと、教育のこと、組織の運営のことなどに興味がわき、そこに好奇心が生まれてくる。

ただし、大事なことは、どんなことを引き受けても、それを面白がることだ。

嫌々(いやいや)引き受けたり、面倒でつまらないと思ったら、そこに興味はわいてこない。


「この人はもう終わったなという人は、情熱が失せ、好奇心の矢が飛び終わった人」

いくつになっても、キラキラした好奇心を持ち続ける人でありたい。