こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

古文書調査

2010年10月28日 | 仏教
市立図書館の方と古文書研究の方々により、
お寺の古文書調査が開始されました。
まず、所蔵されている文書類を年代別に大きく分類し、
そのあと、ジャンル別にふりわけていきます。




今度は、分類された文書の内容を概ね解読していきます。
この作業でもって、どんな時代にどんな住職がいらっしゃって、
どんな社会的な事情があったのかなど、
垣間見ることができてきます。
これまで不明だった歴代住職の名前も少し解ってきました。
たいへん助かります。(笑



古文書に付着したほこりや紙くずをていねいに払い落とす作業も、
慎重に慎重におこなわれます。
手間と根気のいる仕事です。



およそ明らかになった文書の情報は、
所定のカードに記録されていきます。
このカードは、後ほど図書館においてデータ化されます。



痛みのひどい文書は、特殊な中性紙と糊を使用して、
ていねいに復元されます。



情報カードの番号に照らしながら、
該当する文書をもれなく写真撮影していきます。
しわだらけの物もあったりして、
撮影も一苦労のようです。



大量の古文書を一つひとつ調査して、修理して、記録して、撮影して、
そして、最終的には、これまた特殊な封筒に一部ずつ保管。
で、その封筒は、
またまた特殊な中性紙ダンボールでできた箱の中にていねいにしまいます。

今回、この調査を始められたメンバーは、
図書館以外の方はみんな研究会に所属するボランティアの方々です。
いやはや敬服いたします。
当初、二、三回の調査を予定されていましたが、
予想以上に歴史的な品々が多く散見されるようで、
・・・いつまでかかるかわかりません。

でも、この寺の住職としては、
この上ないありがたきこと。
隠居後の仕事がひとつ減りましたけど、
嬉しい限りです。

みなさん、何とぞよろしくお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰るところ

2010年10月25日 | 仏教



お役目を果たした御霊(みたま)は、
霊地であるお山へと帰っていきます。
「あじのこが あじのふるさとたちいでて またたちかえる あじのふるさと」
日本人は、いのちの循環をこんな風にとらえてきました。
ですので、お寺はお山にあります。
そして必ず山号といって山の名前があります。
ちなみにこのお寺の山号は、「遠海山(えんかいさん)」。
平戸瀬戸を望むお山にあるお寺です。
ついでに寺号は「蓮華寺(れんげじ)」。
ご本尊は観音さまであることから、そのシンボルであります蓮の花が
お寺の寺号です。
で、このお寺の通称は院号で呼ばれていて、「潮音院(ちょうおんいん)」。
御観音さまの活躍を説いたお経「観音経」に説かれる「梵音海潮音」という言葉から
付けられていますし、平戸瀬戸の潮の音にも重ね合わせた名称です。
う~ん、なんてすてきな名称なんでしょう。
うっとりしてしまいますね。

ところで、たとえ海辺に建つお寺でも、
繁華街のど真ん中に建つお寺でも、
かならず山号がついています。(一部の宗派を除きます)

関東平野に建つ神奈川の川崎大師平間寺も、「金剛山」という山号です。
千葉の成田山なんて山号がそのまんま通称ですしね。
浅草の浅草寺は金龍山。
東京タワーの近所にある芝の増上寺は三縁山。
ね、山にあるお寺じゃないのに山号があるんですよ。

お山を霊地と考え、いのちの源へ帰り着くために必要な聖山。
日本人の魂の循環は、聖なる「お山」が基点となっているようです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただ咲く

2010年10月23日 | 仏教
こんな季節に咲く桜。

変わり者だとはお思いでしょうが、

咲きたいから咲く。

ただただ咲く。






慈愛 LOVE / 山下洋輔(P)・日野皓正(Tp)・安達久美(G)・岡本博文(G)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お経と即興演奏 『慈愛LOVE』、おすすめCD

2010年10月20日 | 仏教
佐世保を拠点に陶芸作家として活動されている知人から、
一枚の音楽CDをいただきました。
『慈愛 LOVE』(LAG international Music Co.Ltd.)。
陶芸家の友人(お寺生まれ)が製作プロデュースされています。

京都勧修寺仏光院のお坊さんたちが唱える声明(ショウミョウ)と、
様々な音楽シーンで活躍する世界的一流ミュージシャンとのコラボレーションです。
山下洋輔(p)、日野皓正(tp)、安達久美(g)、岡本博文(g)、マーティー・ブレイシー
あんまりすごくて鳥肌がたってしまいます。(笑

ここに収録されている「お経」との即興演奏は、
見事に溶けあって心地よい瞬間芸術へと昇華されています。
なんだかな~・・・、とても不思議な感覚。
静かな場所でゆったりと楽しみたい音楽です。
秋の夜長にはもってこいですよ。

私も若い頃、エレクトーン奏者や舞踏家、能楽師、お琴や尺八、
クラシックギター、などの芸術活動をしている方々とのコラボにチャレンジしたことがあります。
でも、このCDみたいにうまく溶けあった満足できるものではありませんでした。

仏光院のお坊さん方の音程も程良くお声も落ち着いていて、
とてもすてきです。

おすすめのCDです。
慈愛 LOVE / 山下洋輔(P)・日野皓正(Tp)・安達久美(G)・岡本博文(G)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お布施(おふせ)

2010年10月14日 | 仏教
読経の始まる寸前に、
「お布施って布を施すって書くじゃないですか。
これって、どういう意味なんですか?」
って、参列の方から問われました。
で、何からお話ししようかと思考しているうちに頭が混雑。
なんで混雑するかというと、頭のスペックの問題が大きな原因、
なんてこといっても始まらないのですが、
要するに、
・布施を「布を施す」と訓読みしたことに対する漢字の問題
・衣の切れ端を修行僧に施したことに由来する説の必要性
・布施の本来の意味。
・せまりつつある予定時刻
以上の事柄がごちゃごちゃにうごめいて。
結局、双方スッキリすることなく時間が来てしまいました。(-_-;)

スッキリしなかったんで、このブログで整理。
・・・ってか、ますます混沌と、かも。

訓読みの問題ですが、
布を施す、ってことだと布施じゃなく「施布」がほんとうですよね。
だから布を施すじゃなく、「布の施し」って名詞にすべきだと。
中国からやってきた漢字は、
日本で多様に変化して日本語化してきたようですが、
あまりにも節操がないように思えて。
たとえば、「酒造」。
これって、「造酒」、って書くのが正しいと思いませんか。
「人選する」も同じ。こりゃ「選人」です。
仕事柄気になってたのが、
「霊安室」。御霊を安置する部屋という意味なら「安霊室」でしょう。
病院ついでに、「内視鏡」。
内蔵の中を視る鏡という意味なら、「視内鏡」。
そういう意味では「望遠鏡」は気持ちよく読めます。
多くの言葉が、もう慣用句になってしまってるのでどうしようもないですけどね。
ま、こんな事柄が気になったわけです。

そいで、修行僧に着物の切れ端を施すことに由来するお話は、
確かにお袈裟の話題にもつながっておもしろいとは思いますが、
「布施」という言葉の持つ精神を考えると、
適当ではないようです。

で、やっとたどり着いた布施のことです。
は「あまねく・広く」という意味で理解した方がいいでしょう。 
は、施し・与えるというよりも、むしろ「お返しする」っていうニュアンスがあります。
「施しは、ほどを越してと書いてあるように、できるだけたくさんって意味だよ。」って、
説明する時もありますが、真に受けないで下さい。(笑

 私たちは、自分の力で生きるのではなく、
様々なことに生かされてこそ生きることができます。
このことへの感謝の気持ちを具体化したものが、
「布施」ということです。

もともとは、梵語のダーナで、音写して「檀那(だんな)」となります。
♪~私の大事な旦那さま~♪っていう時の旦那です。
檀那は「施しをする人」のことで、檀那寺・檀家という言葉が生まれます。

布施は金品だけを言うものではありません。
「無財の七施」といって、・・・
ただ、無財とは、「金品を持ってなくても」ということではなく、
「金品では算定できない尊い価値」のこと。
絶対の価値です。

無財の七施
とは、

捨身施 活動することで人に善を施す。
心慮施 他人の悲喜苦楽を自分のこととして感じる。
和顔施(わげん) おだやかな心、やさしい顔、ほほえみで接する。
慈眼施(じげん) いつくしみの眼であたたかくみつめる。
愛語施 あたたかく、おだやかに話す。
房舎施 居場所や心の住む場を与える。
床座施 座席をゆずる・ゆずりあい。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする