こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

危機管理の重要性。

2014年05月27日 | 仏教

 

26日開催の渡唐大師顕彰法要。
前夜の暴風雨で参拝者用テントが6張り破損し、拝殿の隅瓦にも直撃。
法要開始時間間近になっても風雨おさまる気配なく、
急遽、西の高野山最教寺様奥の院をメイン会場となして、大護摩供法要を執行。

九州教区教区長はじめ、関係役員様方の適切、かつ迅速な判断で、
りっぱなご法要が執行され事なきを得ました。


しかしながら、貸し切りバスで九州各地より続々とお参りにやってこられる参拝の方々が、
突然の予定変更にもかかわらず、何らクレームもなく整然とスムースに対応されていたのには、
正直驚きました。さすが大師信仰のなせる技です。

  
(メイン会場になった最教寺奥の院・大勢の方がお堂の中に座ることができず、外に立って静かに手を合わせ。)

日頃からの危機管理体制の重要性を、つくづく思い知らされた出来事でした。

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すべての行事内容が覗けるようになりました。どぞ。

2014年05月24日 | 仏教

潮音院ホームページは、

 <行事> → すべての行事内容が覗けるようになりました。

どうぞご覧下さい。季節のおりおりにご確認いただければ幸いです。

 

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人に伝える仕事って、100倍難しい

2014年05月23日 | 教育

腕輪数珠つくりの指導者講習会っていうと堅苦しいけれど、
児童クラブの企画運営をしているスタッフがお寺に集って、
腕輪づくり教室開催に向けて、みんなでわいわいガヤガヤ、
いや、モトイ!和気あいあいの中、腕を磨いている之図。

何事も、自分がチャレンジする仕事って、それなりに努力
すれば成果が見えてくるけど、それを解りやすいように
人に伝える仕事って、100倍難しい。
そのことを実感した集いであったことと思います。

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西暦804年、決死の覚悟で中国に渡り、日本文化の礎を築いた弘法大師を奉賛

2014年05月21日 | 仏教

弘法大師 平戸田浦法要のご案内です。

潮音院ホームページをご覧下さい。

 

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本当の精進努力は、自己を正当化しない

2014年05月20日 | 仏教

 私たちは、ちょっと都合の悪いことがあると、すぐ自分のことを正当化しようとあれこれ策を講じてしまう生き物です。自己防衛本能といえるかも知れませんね。私たちの経験も考え方もたかだか知れてるし、この大きな世界からすればミクロの粒よりちっちゃいはずなのに、自分の価値観や思いは「善」であると思い込みがちなんで、気をつけないといけません。子どもの頃、担任の先生からよく言われてました。「言い訳をするんじゃないっ!」と。その頃は、「そんな事言われても、〇〇〇だからしょうがない。」と、必ず理由を考えて私の正当性を心の中でつぶやいていましたね。いい大人になった今でも、似たような事象は時折・・・。(苦笑
 
 「我慢」という言葉の「慢」は、「自己にとらわれる心」ということです。自己にとらわれるわけですから、世界の中心は自分なんです。地球は、私を中心に回っています。自己正当化です。自己中です。他者を見下す心を「高慢」「傲慢(ごうまん)」という言い方をします。これも、極度な自己愛の現れかも知れません。逆に、「卑下慢(ひげまん)」という言葉があって、これは、文字通り自分を卑下して劣等感に陥らせる心です。陥らせると言っても、自分で自分を落とし込むのですけどね。「郵便ポストが赤いのも、全部私が悪いのよっ!」という卑下です。この「卑下慢」も、やはり自分を中心に置いています。これも、自己を正当化したいという心理から産まれる心だと思います。

 人には、愛されたいとか、ほめられたいとか、お役に立ちたいとか、正当に評価されたいとか、そんの欲求があります。だから、そんな欲求を充足させるために、皆それなりの努力をするわけです。頑張るわけです。で、その過程において、時に「こんなに我慢してやってるのに」とくさったりします。でも、その心の奥底に、「誰もわかってくれないじゃないか」「私の言うことを聞いてくれない」「ちっとも誉めてくれない」「誰も認めてくれない」という気持ちがあるのかも知れません。そんな気持ち、正直私もよくわかります。でもね、自己中心・自己正当化した上に立つその思いに、誰が共感してくれますでしょうか?誰も振り向いてはくれないはずです。

 「我慢」するという言葉・・・、現代的な意味合いとはだいぶ差異がありますけど、人の自己正当化の心理を表す言葉だったんだということだけでも知っておいて損はないと思いますよ。それだけでも貴重な仏縁です。

 ご静聴、ありがとうございます。因みに、慢心を7種類に分けてある仏教の分別を紹介しておきます。

<七慢>

1.慢(まん)・・・自分より劣っている人に対しては自分が勝っているとうぬぼれ、同等の人         には自分と等しいと心を高ぶらせる。

2.過慢(かまん)・・・自分と同等の人に対して自分が勝っているとし、自分以上の人は自分           と同等と見る。

3.慢過慢(まんかまん)・・・勝っている人を見て、自分はもっと勝っている、とうぬぼれ               る。

4.我慢(がまん)・・・自負心が強く、自分本位、自己中心的。

5.増上慢(ぞうじょうまん)・・・達成できていないのにクリアしたと思い、得ていないのに                得たと思い、おごり高ぶる。

6.卑下慢(ひげまん)・・・非常に勝れている人を見て、どうせ自分はダメなんだ、と思う。

7.邪慢(じゃまん)・・・間違ったことをしても、正しいことをしたと言い張り、能力が無い            のに有ると言い張る。

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