こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

智慧・道徳・保健体育

2005年02月26日 | 教育
舞台芸術や、伝統芸術を含める伝統文化、世界文化を伝えるための教育が、
今の教育観に軽視されるのはなぜなんだろうか?・・・という疑問を誰かが言っていたことを思い出した。

先日の新聞コラムに、「撫育ぶいく」「食育」「才育」を軽視せず、教育に再生すべきと言う記事が掲載されてあったこともあって。

明治時代の書物の中に、「五育」という言葉があるそうだ。
「食育」「体育」「知育」「才育」「徳育」の五つ。

これが現在は、知・徳・体の三つに集約されてるわけで、
排除したわけではないだろうが、
小分けに表示すれば、より具体的な内容がイメージしやすいし、
忘れられていた視点が浮き彫りにもなる。
五育という表現が新鮮だ。

撫育とは、3才くらいまでの幼児に対する母性の注ぎ。愛撫や抱擁、優しい眼差しによって、「安らぎと絶対的安心」を育む。胸腺を刺激して免疫力を高める、育ちの基本だ。そして、やがて、父性的な関わりが必要となり、就学の時節には、父性と母性の両性がバランスよく関わることが必要になる。

食育は、食品の安全性や生活習慣病、朝食抜きの子どもの増加、などから、食育基本法の制定まできている昨今。明治時代に提唱されていた食事に関わる教育が、やっと重視されつつあるようだ。

才育の才とは、才能のこと。
伝統芸能芸術、職人芸(匠たくみ)、国際芸術、などを広く学び、または技術を身につける人を一人でも多く育てることだ。日本人の国際性の無さや、伝統文化が途絶えてしまう原因は、やはり自らの伝統文化を知らなさすぎる事にあるのかも知れない。

・・・限られた時間の中で、どれをどのように伝えて行くべきなのか。
家庭と、地域の教育機能の大切さをつくずく思う。
地域の教育機能なんて幻想、絵に描いた餅だ、なんて言っている段階ではない。
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総合学習

2005年02月24日 | 教育
えぇ~とぉ、特に意味はありませんが、
あまりにご立派なもんで、ついご紹介申し上げたくて。
現在、裏の勝手口の軒先に展示中のものです。

あ、これ、ブロッコリーです。



今日の午前中は、地元の小学校の五年生7人が、
総合学習ってことで、山のお寺までわざわざ上ってきてくれました。

「今日の勉強のテーマはなんですか?」とたずねたら、

すかさず、「テーマは、”まじめに働く人になるには?”です!」

ありゃりゃ~、・・・こりゃ参ったなあ、ここを選んだ時点から、

学習の方法を間違ってるなあ、君たちは。・・・ともいえず、
少し赤面しながらも、終了予定の時間を30分もオーバーして、
子どもたちと熱い交流を展開いたしました。

内容は、子どもたちがそれぞれに準備した仕事に関わる質問事項(12問)に
私が答えていくというスタイルですが、
それだけでは、ちょっと広がりがないだろうと思いまして、
その質問に関わる質問を、こちらが準備して問いかけるという形をやってみました。

子どもたちは、予期せぬ事態に、最初は少々とまどいの顔を見せていましたが、
慣れてくると、結構楽しんでくれていたようです。

たとえば、「まじめに働く人になるには?」の質問に対しては、
「君たちは、真面目ってどんなことを言うと思うか?」という逆質を出して、
真剣に考えてもらいます。そんな中から、一つの回答みたいなものを導き出していく。

・・・結構楽しめました。

途中、伴侶がたてたお抹茶を、不思議な面もちですする子どもたち。
初めて口にする子もいたようで、5年生とはいっても、とてもかわいい子どもたちでした。

さあ、用意されたノルマは果たしたし、時間も過ぎてるから帰りましょうか、と思いきや、
子どもたちの引率できていた教育委員会の主事さんが、
「あの、すいません!これだけは子どもたちに伝えておきたいって事柄を是非ひとつ!」

一瞬とまどいましたが、
先日ここのブログで大閑さまが述べて下さった言葉が
ふっと思い浮かびましてん。

「君たちは美しく光り輝くダイヤモンドなんだ。
みんながそうなの。
でもね、いまはダイヤの原石。
これから、じっくりじっくり
砥石で磨き上げていかなくちゃあ、かがやかんのよ。
砥石で磨くって事はね、
いっぱい友だちつくって、たくさんの人とまみれあって、
いろんな事を学んで、いやなことや苦しいこと、
悲しいことや辛いこと、嬉しいことや楽しいこと、
愉快なことや豊かなこと、
いろんな感動を経験することなの。
そんな経験が、砥石で磨き上げた宝石になるんだよね。
・・・だから、いっぱいいっぱいまみれ、擦りあって
生きていって下さい!

・・・以上、おつかれさん!!」






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お久しぶりの大噴火あぁ~!

2005年02月23日 | つれづれ
最近、あの手この手で電話口まで私を呼びつけて、
しつこく話を聞かせようとするキャッチセールスが
多くて、いささか閉口する。

さすがに虫の居所が悪かったと見えて、
寅年生まれの温厚な私も、
今日ばかりは、大噴火してしまった。
(とはいえ、客観的にはそうでもないらしい。)
本日は、お坊さん失格の物語である。




・・・もしもし、本日はですねえ、資産運用について
お得な情報をご提供申し上げたいと思いまして、はい。
今お客様がお持ちのご資産をですねえ、今回当社が・・・

「ちょっとまってよお。あんたここをどこだと思って
電話してきてるのお?ここはねえ、お寺だよお。
お・て・らあ! 資産がどうのこうのって、全然関係
のない世界の話なのよお。だから電話切るよお。」

・・・いえ、そうですが、とってもお得な情報なんですよお。
お聞きになるだけでもお得かと思いますけれどもお・・・

「だからあ、何度も言わせないでよお。お寺には関係のないこと!」

・・・ちょっとだけお時間いただけませんかあ?今日の朝刊を見て
いただければわかるんですが、そこにですねえ、今回ご紹介する
資産運用のための・・・

おい!
あのさあ、私の言ううことをちょっと聞いてくれますか亞?
僕はねえ、そもそもさあ、先方さんの都合もわからずにさあ、そっちの都合一本で、
他人さまに話を聞けと強要してくるそのスタイルと考え方がねえ、
はっきり言って、とっても許せないよ、うん。きらいだね、うん。
そうは思わないかい?戸別訪問しかり、あんたみたいにしつこく
何度も電話かけてくることしかりだよ。
人の家に土足でズカズカ上がり込んでくるのと同じなんだよお!
そういうの不法侵入って言うの。知ってルウ?
商売ってのは、そういう風にやるもんじゃないだろう?
謙虚さの中に、お客さんの購買意欲をかき立たせるような、
お客の方からアプローチしてくるような方法がいくらでもあるだろうが!
だいたい なんだよお、いきなりこっちをお客呼ばわりしてえ、ぇえ。
だろう?おれ 客になんかなった覚えないぞお。
・・・俺は認めない!!・・・だから電話切るよお!!いいねえ。」

・・・でも、切ったら話ができなくなりますからあ・・・

あのねぇ!
もういい!」 ぷちっ!



そんなやりとりがあって間もなく、
顔なじみの事務機器やさんがやってきた。
今あった話を是非聞いてもらいたいと、
切々と訴える私。

・・・と、その事務機の営業マン曰く。

「あのですね。そう言うときは、相手に話をさせる前に、
さっさと受話器を置くことです。余計なことに時間をとりますから、
それが一番ですよ。」

「そっかあ。そうですよねえ。でもねえ。私はねえ、
人様との会話はきちんとコミュニケーションをとりたい
性格みたいなのよお。相手が同意しないままに電話を
切ることが苦しくて苦しくてさあ。そんな性分だよねえ。
でも、さすがに今日はプッチン切れたんで、ついでに
電話も切れたけど。」

・・・その後、夕方の木漏れ日の中、
その営業マンは、仕事と全く関係のない建築や
印刷業界、さては町村合併の話題に花を咲かせて、
帰っていったのでありました。

商売って、やっぱりこれだよねえ。
商売の話は全くせずとも、
足繁く長年かけて、ご機嫌伺いにくる。
そんなコミュニケーションの中で、
信頼関係が構築されてくる。

電話一本で商売しようなんざ、
もってのほかじゃい!

・・・事務機やさあん!
プリンター壊れるまで、
もうちょっと待っててねえ!!
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■認めてあげれば、自分が好きになる。

2005年02月23日 | 教育
この機会に、去年の夏に配らせていただいた
ドロシー・ロー・ノルトのメモを
いささか改竄した内容で、掲載しましょう。



「潮の音」はがき伝道 

<子は親の、師の、地域の鏡>

■けなされると、子どもは、人をけなす子になる。
■とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴に。
■不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる。
■子どもを馬鹿にすると、引っ込み思案な子に。
■親が他人をんでばかりいると、子どもも人を羨むようになる。
■叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう。
■励ましてあげれば、自信を持つようになる。
■広い心で接すれば、キレる子にはならない。
■誉めてあげれば、明るい子に育つ。
■愛してあげれば、人を愛することを学ぶ。
■認めてあげれば、自分が好きになる。
■見つめてあげれば、がんばりやになる。
■分かち合うことを伝えれば、思いやりを学ぶ。
■親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る。
■子どもに公平であれば、正義感のある子に育つ。
■やさしく思いやりを持っていれば、やさしい子に育つ。
■守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ。
■和気あいあいとした家庭に育てば、
 子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる。

参照:ドロシー・ロー・ノルト(家庭教育研究家)

*子育て中の親ごさんやご近所のかたへ、是非お伝え下さい。
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心を見つめる、心を引き出す子育て

2005年02月22日 | 教育
フォーラムが終わりました。
コーディネーターという役柄を、十分に果たすことができたかどうかは、
不問にしておいて、(笑)(私自身が消化不良)
今回のフォーラムのまとめとして、
以下の原稿を掲載しておこう。
これは、本番の締めくくりとして用意していた内容です。

**********************************

教育やしつけ、子育てのベースにあるものを振り返ってみます。
  
まず、教育は、なぜ必要なのか?
・・・社会の中で生きていくために必要になってくる「生きる力」を養うため。そのために、心と体が健康な人を、そのための人格を形成するための手助けをする、ご縁をつくってあげる。こんなことかな?
 だから、
社会の中で生きていくための力を身につけること。・・・これが自立する、大人になる。ということにしましょう。
 そこで具体的には、
1)自分というものが、しっかりと創られていかなくてはならない。自我を確立することですね。
「自尊心」という言葉があるように、自分自身のことを愛することのできる人。自分が可愛くてたまらない、最も自分の命や存在を大切に感じる事のできる人。そんな気持ちを育む。
 この自尊心が育まれない環境の中で、もし絶望感や不安感を抱く事態になれば、次から次ぎに、自分を追い込み、極度の罪悪感や無力感、脅迫観念、被害妄想と・・・、本当の自分というものが消え去ってしまい自我が崩壊していく中で、社会生活や人として生きていくことが困難な事態にまで追い込まれることを、私たちは知らなくてはいけない。

2)次に、自分と他人との関係性ですね。
  自分のことが大切に感じることのできる人は、他人の存在も同じように大事にすることができる。そして、他人とどのように関わっていけば、円滑な関係性が築けるのか?  という育みが必要になります。
 関係性の理想的なあり方は、共感ということかも知れません。教師と生徒、親と子、支援者と支援される人、医者と患者という関係のように、ある種対峙した関係でなく、お互いがお互いの存在や価値観、悩み苦しみ、・・・そういったものを認めることができたとき、共感できたとき、最も理想的な究極とも言える関係性が成り立つと。

3)次が、私を取り込んでやまないこの大自然大宇宙との関わりを育むご縁づくり。ここから、環境の大切さや、目に見えない大いなる命と自分との関係性が芽生えてくる。畏敬の念や感謝、謙虚さ、宗教性の育みですね。伝統文化や、科学や理屈で覆われた世の中の価値観を、少し角度を変えて、小さな私の存在と、その小さな私の中に大きな無限の広がりがあることの意識。
 ここにきて、現状の自分自身のあり方を素直に受け入れる姿勢を養うことになるのかも知れません。そのことで、より高次のステップアップが可能になる。

4)そして、最終的に、この社会の中の私、という見方を育んでいく。国際社会や自分の住むコミュニティー、家族や親戚ご近所、というの中で、私という存在はどうあるべきかを学ぶわけですね。アルバイトをしたり、ボランティア活動に精を注いだり、体験学習をしたり、実際会社に入って切磋琢磨する中で、悲喜こもごもの中でいろんな関係性を学んでいく。家庭のしつけや、学校教育において、ハングリーさやありがたさ、厳しさや忍耐を伝える必要性を思います。厳しさや耐性は、悲壮感や絶望感を伝えるものではありません。生きる楽しさや豊かさ、希望や夢を持たせる育みです。
 そんな中で、自分の特性や人生の居場所、役割、存在意義、
を確認できるようになっていくんじゃないかな。
 
 以上の4っつの段階が、具体的な子育てや教育の基本的なベースとして、私たちの共通の理解として心にとどめておきたい内容です。

 実際的には、この理念的なものにもと付きながら、各教科の中で、学校生活の端々で、家庭教育や、コミュニティーのなかで、全ての子どもたちに注がれていかなければならない。

 今、この会場で、生きるために必要な力を育むことを阻害してしまっている原因や、様々な問題意識、赤裸々な実状、さらには具体的な方策を聞くことができました。

 子どもたちとの関わり方を、少しでもよりよい環境にしていきたいと強く願う心が、何かを生み出していくに違いありません。今日、ここで聞かせていただいた宝石のように光り輝く言葉や、心からのご協力を下さいました皆様へ、
厚く感謝の心をささげさせていただきまして、
以上、終焉とさせていただきます。 ありがとうございました。
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