こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

ムダなことは何ひとつない

2010年05月23日 | 仏教
 29才で最愛の妻子を捨て、家を出ました。
お釈迦さまのことです。(私は29才で結婚しました。)
世間とのつながりを断ち切って難行苦行の生活が始まります。
これまで誰ひとり達成したことのないような危険で苦しい修行に臨まれました。
身体を傷つけ痛めつけ、容赦なく付きまとう悪魔の誘惑を
振り払い、6年間もの長い間、修行は続きました。
 しかし、こんな難行苦行を重ねてみても、
お釈迦さまの求めていた答えは出なかったんですね。
あるとき、村の娘(スジャータ)からミルク粥を施されたことをきっかけに、
これまで積み重ねてきた苦行を、なんの未練もなく投げ捨て、
ただ一人菩提樹の元に座して瞑想に入られます。
このまま命が果ててもいい、「悟り」が得られるまでは絶対に
この座を立たないぞ、との固い決心でした。
座してより49日目、明けの明星の輝きが目に入るやいなや、
ついに悟りが開かれたのです。(釈尊成道)
 6年間の長い間の苦行は、結局は悟りの道にはつながりませんでした。
でも、決してそれは無駄ではなかったはずです。
この苦行は、お釈迦さまを菩提樹下の瞑想に導いた大きな要因です。

 人生、生きてれば、皆それぞれ不満や愚痴をこぼすことが多いです。
色んなことに挫折し、これでもかあこれでもかと不幸が押し寄せてくる。
思わぬ事故や病気でトコトン落ち込んでしまうこともあるし、
自暴自棄で道をはずしてしまうこともある。
でもね、どんな紆余曲折があろうとも、
それは必ず明日の礎、出発の為のエネルギーになることを
お釈迦さまは身を持って教えてくれてます。
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羅網 らもう インドラネット インターネット 

2010年05月19日 | 仏教
先日、お不動様の御宝前に
「羅網・らもう」と呼ばれる荘厳が
施されました。
厳かにきらきらと光り輝く羅網に飾られたお不動様は、
ことにお慶びの様です。

実は、帝釈天(たいしゃくてん・インドラ神)の住む宮殿には、
この羅網が張りめぐらされていて、この網のことを
インドラの網「因陀羅網・いんどらもう」といいます。
それを簡略して「羅網」。


ひとつひとつの網の結び目に、
色とりどりの美しい天然石(珠玉)がつけられ、
法輪や羯磨(かつま)の金属具でもってつながれています。
それぞれが、鏡のように輝いていて、
その輝きはお互いの輝きに反応しあい、
さらにその輝きを増しています。
鏡に映った鏡は、無限に映じ合います。
「重々無尽」(じゅうじゅうむじん)という仏教語が示すのが、
この無限の反映です。
弘法大師は、
「重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身と名づく」
と示されます。

言うまでもなく、この世は、ひとつ、ひとりで存在することは
決してできません。
すべてが網の目のように互いに関わり響き合うことによって
はじめて存在する。
その中でこそ個としての尊さと、重さを持つんですよね。
お釈迦さま誕生の時のお言葉、「天上天下唯我独尊!」って、
まさしくこの事です。
この真理を、インドラの網羅は形で表しています。
大いなるいのちに包まれた時空を超えた無限の世界観。
互いに結び合い響き合うあなたのいのち、わたしのいのち。
宝珠のひとつひとつはあなたであり私。

インドラネットは、インターネットにも似ています。
(音が似ているだけじゃなくてね。)
いいも悪いもひっくるめ、誰かが情報発信すれば、
一瞬にして世界の無数の人に伝わります。
まさに一即多の世界。
そして無数の個々の意見が交わされたり、
その事がいくえにも重なり反響を及ぼし、
新しいものの考え方を誘い出し社会全体に変化をもたらす。
もちろん個々の人たちの思いにも変化をもたらす。

当然、どんな輝きにしていくかは、
私たち一人ひとりの心がけ次第ですね。

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白アザミ

2010年05月17日 | つれづれ
6.7年前に、裏の野原で発見した白い花弁のアザミ。
ここしばらくなりを潜めていたんですが、
本日、再発見しました。生きてましたよ、よかったあ。
突然変異のアザミでしょうが、
必死に子孫を残しているそのひたむきさに乾杯です。

アザミという花の名前の由来は諸説あるようですが、
私個人的に好きなのは、
「ちまたで眺める分には美しい花だけれど、
自分の庭に株分けして育てると、
手入れの時に、はからずもとげとげしくいたい目に遭わせる。
まるで、さわれば痛い目に遭う美人のようだ!」
というところからくる「あざむかれる」、
を語源とする説が、
個人的には、納得したりもする今日この頃・・・。
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弘法大師渡唐解纜大法要

2010年05月11日 | 仏教
  ご 案 内 です。

五月二十六日 午前十時より
◆弘法大師渡唐解纜大法要を厳修します。
       

ところ  平戸市田浦海岸  田 浦 霊 場

内 容   ■ご先祖、水子の供養 
     
      ■家内安全などの大護摩供祈願

      ■船上より千枚地蔵札流し

   
 お大師さま(弘法大師空海)は、平戸田浦の港から唐(中国)へ渡られ、
世界各国の文化文明が集結していた唐の宗教、天文学、医学、土木、芸術等々、
あらゆる最先端を日本へと持ち帰られました。今ある日本という國のかたちは、
この偉業によってその基礎が築かれたのです。これらの恩恵の上に、私たちは
それぞれの生活を営んでいます。
 この平戸市田浦では、渡唐解纜(ととうかいらん)の聖地として、
千二百年以上もの間脈々とお大師さまの遺徳が伝えられ、そして護り続けられ
てきました。弘法大師空海という傑僧の偉大さに、今更ながら驚きと畏敬の念を
抱かざるを得ません。
 これらの遺徳を顕彰すべく、お大師さまを慕う地元の方々を始め多くの人々の
ご協力を背景に、地域の真言宗寺院が主催し上記の通り解纜大法要を厳修します。
この法要は、身命をかけてこの地を出発されたお大師様の足跡にふれ、報恩感謝
の心をおこし、また私たちの生き方を深く見つめ直すための催しです。
どうぞお誘い合わせの上、ご参拝されますよう、ご案内申します。   合 掌


【主催】真言宗智山派九州教区
【共催】お大師さまを慕う地域の方々


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お手向け(おたむけ)

2010年05月05日 | 仏教
子孫は、50年の間、ずっと灯明をともし、香を焚き、花を捧げ、
水をかえ、仏飯をそなえ、そして手を合わせ・・・。
様々の形で心を養い、そしてその心をお供えしてきました。
この事を総称して「ご供養をする」とか、
「お手向けをする」とか言い習わしていますね。
そんで、50年忌を迎えたら、
「もう半世紀にもなるし、そろそろ節目を付けましょか」ということで、
「お手向け」してたのを止めてしまう、すなわち
手向けていた手を挙げてしまう、んですね。
で、「手あげ供養」。
手向けていた手を納めてしまう、
で、「手納め供養」となるわけですね。

さっそく、
一月前に手あげ供養を営まれた不良○○○さん、
いや失礼、末娘様より貴重な情報を提供いただきました。
 >昔は「霊(タマ)の木」と呼ばれていて
 >「霊」が宿る木とされていたんだそうですね。
 >そのタマが訛ってタブに成ったのではないかと?
ありがとうございます。
なるほど、かなりピンときました。
50年を過ぎたご先祖の御霊は、
その家をお守り下さる氏神様の位(あり方)へと変化をとげられるんだと、
そう聞き及んでいます。
神様ですから、離発着のための鳥居の類が必要になる。
その鳥居の役割を果たす卒塔婆の木は、
「霊」が宿る木でなければならない。
「タブの木」が使用される由縁はここにありそうです。
小枝とタブの葉を残した状態で卒塔婆をつくるわけは、
おそらく、「霊(タマ)の木」であることの表示の為か、
または、神位へ変化することを「小枝の新芽」でもって象徴させたものか、
それとも、「手あげ供養」だから「手を挙げた」卒塔婆にしましょうか、
ってくらいの洒落なのか?
真意のほどは・・・。


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