こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

人恋し

2007年05月14日 | つれづれ
昭和30年代。
石炭から石油へのエネルギー革命。
高度経済成長への歩みは、
すなわち地方の人材を中央へ寄せ集め、
地方の経済を疲弊し続けてきた。

産炭の町であったこの町は、
その典型的な過疎の地だ。
大正時代から掘り続けられた石炭産業は、
この小さな町に3万人近い人々のにぎわいと活気をもたらした。
しかし、エネルギーの改革ととともに、
いくつもあった鉱業所は閉鎖され、
多くの人々がこの町を去っていく。
産業の無くなったこの町に残されたのは、
荒らされたままの山々と、
何年経っても樹木が植生することのないボタ山。
この地で生まれ育った子どもたちも、
生活を営むために都会へと旅立っていく。

閉山と共にこの地を離れていった人々のほとんどが、
すでに老後を迎えている。
ご先祖のお祀りごとだけは疎かにしたくないと、
遠く離れていても、毎年頑張って参拝に来られたり、
行事ごとの供養料もまめに送金してくる。
そんな人たちの子ども達は、独立し結婚をし、
家をかまえてそれぞれに家庭を営んでいる。
一方、自らは老いが進み、これから先の様々な事柄が心配になる。

近年、田舎にある先祖の墓を都会地へと改葬する
手続きの相談に訪れる人が、とみに増えてきた。
と同時に、
先祖代々長くお付き合いをしてきた菩提寺と檀家という関係をも、
断ち切る手続きも。
将来を考えれば、至極当然の処置だろう。
たいへん寂しいことだが、致し方のないこと。
ヒョイとお参りのできる場所にあってこそお墓であり、
菩提寺である。それが理想だと思う。

・・・
でも、やっぱり寂しいものだ。


コメント (3)
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