今は、いろんなことが外部化されてきました。
食生活や教育は、もう完璧に外部化されていますね。
一昔前までは、
「本来家庭というものはかくあるべき」と、
いろんな事やモノが外部産業化されていく姿に眉をひそめていたものですが、
時代の社会の変化には逆らってばかりいても、
天然記念物あつかいされてしまいます。
家庭の果たす役割と、社会の果たすべき事柄とが、
うまく調和されながら生活していくことに、
シフトを切り替える時代のようですね。
子育てしかり。
社会性あるひとりの人間に育っていくためには、
地域の力をお借りしながら、様々な経験値を高めていかねばなりません。
また、教育では、狭義の学力指導や、見えない学力指導を、
学校という環境の中で施してもらいます。
共働き家庭に育つ子どもや、母子父子家庭、
または、病気やその他の理由で親御さんの居ない子どもたちには、
保育施設や放課後クラブ、土日や学校長期休暇中の保育等が不可欠です。
また、子どものけがや病気の回復後にその保育を支援するあり方とか。
んでもって、最近思うこと。
地域によっていろんな形はあるけれど、
学童保育や児童館的な施設があるじゃないですか。
これ、外部化というか社会化がすごく中途半端な状態のような気がしてなりません。はっきり言って、いい加減です。怠慢です、これは。
運営に関わる親御さん達の苦労が、びしびし伝わってきます。
学童保育に関わる歴史や法律など深い事まではわかりませんが、
「子育て」の社会化という視点に立てば、
もっと、関係部局が責任を持って対策を立てるべき問題だと思うんですよ。
もっとも、この長崎県では今年の春から、知事部局に「子ども未来課」という
縦割り行政の弊害をぶちこわすための?いや、福祉、医療、教育、労働などの部局間のパイプの通りをよくし、子育てに関わる施策を一本化するための新しい行政機関ができました。
個人的には、期待するところ大なんです。私の敬愛するU先生が、政策局長として手腕をふるわれます。
児童福祉と、学校教育、社会教育。それぞれの要素をうまく融合させた子育てのあり方をみんなで模索しながら、きっちりと持続可能な制度を作っていただきたく思う次第です。
思いつきですが、ウイークリーの放課後保育には、学校教育の教諭職の人が勤務された方がいいように思います。保育という概念の枠にこだわらず、教育という要素が入り込むことで、より豊かな保育につながるのではと。フレックスタイムとか、勤務態勢にちょっと手を加えるだけで可能なことですし。もちろん、社会教育の出番も大きなウエイトを占めるのは言うまでもありません。
既成概念の枠を取り除くことは、大変なことですが、どうせやるなら、困難なことを楽しみながら取り組みたいモノです。その方が、百倍おもしろいし、充実感も百倍味わえる。
食生活や教育は、もう完璧に外部化されていますね。
一昔前までは、
「本来家庭というものはかくあるべき」と、
いろんな事やモノが外部産業化されていく姿に眉をひそめていたものですが、
時代の社会の変化には逆らってばかりいても、
天然記念物あつかいされてしまいます。
家庭の果たす役割と、社会の果たすべき事柄とが、
うまく調和されながら生活していくことに、
シフトを切り替える時代のようですね。
子育てしかり。
社会性あるひとりの人間に育っていくためには、
地域の力をお借りしながら、様々な経験値を高めていかねばなりません。
また、教育では、狭義の学力指導や、見えない学力指導を、
学校という環境の中で施してもらいます。
共働き家庭に育つ子どもや、母子父子家庭、
または、病気やその他の理由で親御さんの居ない子どもたちには、
保育施設や放課後クラブ、土日や学校長期休暇中の保育等が不可欠です。
また、子どものけがや病気の回復後にその保育を支援するあり方とか。
んでもって、最近思うこと。
地域によっていろんな形はあるけれど、
学童保育や児童館的な施設があるじゃないですか。
これ、外部化というか社会化がすごく中途半端な状態のような気がしてなりません。はっきり言って、いい加減です。怠慢です、これは。
運営に関わる親御さん達の苦労が、びしびし伝わってきます。
学童保育に関わる歴史や法律など深い事まではわかりませんが、
「子育て」の社会化という視点に立てば、
もっと、関係部局が責任を持って対策を立てるべき問題だと思うんですよ。
もっとも、この長崎県では今年の春から、知事部局に「子ども未来課」という
縦割り行政の弊害をぶちこわすための?いや、福祉、医療、教育、労働などの部局間のパイプの通りをよくし、子育てに関わる施策を一本化するための新しい行政機関ができました。
個人的には、期待するところ大なんです。私の敬愛するU先生が、政策局長として手腕をふるわれます。
児童福祉と、学校教育、社会教育。それぞれの要素をうまく融合させた子育てのあり方をみんなで模索しながら、きっちりと持続可能な制度を作っていただきたく思う次第です。
思いつきですが、ウイークリーの放課後保育には、学校教育の教諭職の人が勤務された方がいいように思います。保育という概念の枠にこだわらず、教育という要素が入り込むことで、より豊かな保育につながるのではと。フレックスタイムとか、勤務態勢にちょっと手を加えるだけで可能なことですし。もちろん、社会教育の出番も大きなウエイトを占めるのは言うまでもありません。
既成概念の枠を取り除くことは、大変なことですが、どうせやるなら、困難なことを楽しみながら取り組みたいモノです。その方が、百倍おもしろいし、充実感も百倍味わえる。