こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

目暗ケ原(めくらがはる)ものがたり

2006年04月20日 | 教育

潮音院縁起

 

~目暗ヶ原ものがたり~

 

  秋の夕暮れ、遠くからこずえをわたる風の音が聞こえてくる。

そんなとき、ひいばあちゃんは決まって話してくれる。

「ありゃなー、法師さまのひきよらす琵琶の音ばい。

いっときすると、よかにおいのしてくるけん、

じーっとしとってみんねー。」

 

 

 遠い昔、船の村は目暗ヶ原でおこった事件です。

 霧はますます濃くなってきました。乳の色をした重々しい霧でした。

とつぜん突風が吹きあがり、そこにふたつの人影がおぼろげに浮かびあがります。

 ふたりとも長い旅の果てに、着物はひどくいたんでいました。ひとりのお坊様は、由緒あるお方でしょうか、りっぱな風格をそなえております。

 もうひとりは、目が不自由な琵琶法師。背には、金襴の袋に包まれた琵琶を背負っています。

 

 「光盛殿!貴殿は濃い霧で道も見えないと嘆きなさるが、わたしには、霧も夜も昼も、皆同じにございます。目明きは不自由なものでございますなあー。はっはっはっはっは。」

 琵琶法師の言葉に

 「まこと、お坊の申されるとおり、この霧には難渋いたす。

何となく、霧の中に潮の香りが感じられますゆえ、

この峠を下れば海岸に出られるやも知れません。」

と光盛りは返しました。

 実は、このふたりは、源平の争いに敗れた平家ゆかりのものでした。

 この西海の五島宇久島には、都を逃れた平道盛が宇久道盛りと名乗り、近辺の島々へ勢力を伸ばしておりました。

 このことを風の便りに聞いたふたりは、道盛がもと宇久島へ渡らんと、はるばる鹿町の地へとたどり着いたところでありました。

 この時代、鹿町へ乗り入れるための陸路は、佐々町から山越えして、この目暗ヶ原を通るしかありませんでした。

                 

                                        つ づ く

 

 

 

 

 

 

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