食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『雑想考、嘘は嘘で取り繕う』

2013年10月24日 16時00分48秒 | その他

原発汚染水騒動で日本の国は総理大臣、原子力規制庁などが国会で平気で嘘を

いている。事の発端は安倍総理のIOCでの『アンダー・コントロール』発言、これは真実

と異なるのではないかと追及されている。

あの時点でも総理の発言は灰色近かったが、オリンピック招致のため、こういう言い回し

にしたのだと思う。日本国民の多くは汚染水のことでオリンピック招致が出来なくなるこ

とを望んではいなかったから、灰色であっても許容の範囲と理解できても、外国からは

そうは思われない可能性は高い。

東京招致が決定後、福島原発の様子は明らかに『アンダー・コントロール』とは言えない

ような状態になっている。汚染水を含めて自分たちの思惑通りに事が運んでいないこと

は明らかになって来た。

総理の言う制御下にあるとされる0.3㎢の外側で、新たに核物質が検出された。原因は

どうあれ、域外には出ないようブロックしていることが事実なら、こんなことは起こりえない。

IOCで発言した当時と今では状況が変われば説明も変わって然るべきだと思う。それを

意固地になり『アンダー・コントロール』を連発し、核被害から国民を守るべき立場の原子

力規制庁長官まで総理と同じ見解を示した。国民を馬鹿にするのもいい加減にしろと言

いたい。彼らの好きな『想定外』の自然災害が来て汚染水が更に海へ流出しても又また

『アンダー・コントロール』と言い続けるだろう。

望みはしないが、どれくらい悪化したら『アンダー・コントロール』と決別するつもりなのだ

ろうか。


『回想旅行記、花のサンフランシスコへ』

2013年10月23日 17時27分23秒 | その他

食後、いよいよハイライトとなるサンフランシスコに向けて空港に向かう。待ち時間が

しあったので売店に寄ってみると、砂漠の町らしく色々なサボテンに関する土産物が

並べられていた。ラスベガスからSFまでの飛行はこちらに来る時とは異なり、安全そう

な飛行機で心配する必要はなかった。旅の半分近くとなり、それまでの移動や観光で

疲れも溜まり、乗り物に乗ると直ぐに睡魔が襲ってくるから、ここの移動もウツラウツラ。

ツアーの催行は参加者の最少人数で決められるが、今回のツアーは最少2人に対し

参加者2人だから団体ツアー形式であっても2人旅。妻やガイドと日本語で話す以外

は兎に角、英語だらけ。ガイドから離れてしまうとどんなことでも、私たちが英語で対処

しなければならないから、普段は色々なことをプレッシャーに思わない私でも、いささか

プレッシャーを感じることもあった。もし、相手が知人であればそうしたストレスやプレッ

シャーは感じなかったと思うが、一期一会の人ばかりだし、マナーを逸してはいない『旅

先の恥はかき捨て』だから気楽にと、思うようにした。

SFで待つ無線で知り合った友人レイへは手紙で到着便を知らせてあり、空港まで迎え

に来ることになっていた。初対面でもありどのような場所でどんな形で出会えるのか少し

心配したが、到着してみると30cm、15cmの大きさにアマチュア無線のコールサイン

WA6xxxを記載した紙を掲げて、私たちが出て来るのを待っていた。私はビデオカメラ

を片手に持ち撮影しながら階段を降りると、ほぼ同時にお互いが確認し合え笑顔が溢

れた。私のブロークン・イングリッシュがさく裂、レイは知っている数少ない日本語を交じ

りで、会うことができた喜びを話し合った。本来はここから現地ガイドと一緒にSF市内観

光に行く予定だが、レイと行動しホテルに直接行くということで了解して貰い、私たちは

Rayの乗るフォード車のピック・アップ・トレーラーでSF市内に向かった。

ゴールデンゲートブリッジ、ツインピークスを観てからレイの案内するレストランで遅い昼

食をとる。日本でいうファミレスでレイが選んでくれたものを食べたのはいいが、サラダは

大きなボウルに一杯、とても食べ切れるものではなく、大半は残ってしまった。帰り際、レ

イは店員に何か言ったら店員がお持ち帰り用のプラスチックケースを持って来た。レイ

は残ったサラダを詰め、私たちに持って帰るよう渡した。

そういえば、アナハイムのホテルで子供さん連れ家族も帰り際、残した料理を持ち帰る

ようパックしていたから、アメリカではレストランでも当然のように、そうするようだ。


『NPOの商品づくり』

2013年10月23日 17時24分18秒 | 日記

所属するNPO法人がコンサルを受けながら商品化に向けて、開発中の商品を何度か

製造を行った。前回は町内で軽トラ市に出店する予定にして製造したら、雨の為に市

は中止となり個別に販売すると共に試食用として捌いた。今日は日曜日に開催される

松江農林水産祭に出店するための商品づくりで朝から加工場に出向いてお手伝い。

NPOの梅園で採れた梅を使った商品を2種類、それぞれ100個の計200個を作った。

11月10日には八雲町収穫祭が開催されるので、それにも出店予定。

メンバーの伝手で助っ人を頼み人材確保、やっとこさのパワーでやっているから、今

が一番きつい時期。もう少し要領よくなりマンパワーが安定すれば、何とか出来そうだ

がと・・・・希望的な話に相槌を打つ。

商品は『梅だれ』『梅goo』というもので、いずれも地元食材重視、本物志向の食材の

ため原価が高く、人件費を捻出できない闘いの最中。

会社勤めの際は原価低減で頭を捻っていたが、齢67才にして再びこの問題と相対

することになった。作る過程に幾つもの改善がありQCの勧め、こうしてみると人生は

常に何かに取り組む宿命を持っているのではなかろうか。


『回想旅行記、ラスベガスの夜』

2013年10月22日 17時57分06秒 | 旅行

グランドキャニオンのような雄大な自然は、もっと長いスパンで観察できたら面白いだ

ろうし、むしろそうしないと本当の素晴らしさを知ることはできない。私たちには限られ

た時間しかないから、ほんの少しの観光はまるでアリバイ作りをしているような旅かもし

れない。帰路は別の飛行機だったが朝、乘った飛行機の方が未だ良さそうに見え、心

配するとキリがないから頭に浮かべないようにしていたら、幸いにも眠気がさしてきて

ウツラウツラしながらしている内にラスベガスに帰って来た。1時間弱の飛行で着陸の

際も日本の空港のように旋回することなく一直線に下りて行った。ギャンブルとエンタ

ーテイメントの町ラスベガスの昼間は、写真などで見るゴージャスな感じは何もなく、

普通の町のようだが、よくみると建屋にクリスマス飾りのような沢山のネオンが施され

ている。

ホテルで夕食を摂り、寝るまでに時間があったから人生初めてのカジノに行ってみる

ことにした。この辺りの大きなホテルには自前のカジノを開いているところも多くあり、

私たちが泊まったホテルの中にもあった。私は元来、ギャンブルは好きになれない性

分だから、カジノなるものにも全く興味はない。それでも折角、合法の元でギャンブル

できるのだから、と積極的ではない理由で行くのだ。

大きな部屋の中は人で混み合い、バカラ、ルーレット、ポーカーなどTVでしか見たこ

とない賭け事が行われている。チップに交換して、それを賭けている。ルーレットは静

かにゆっくりと止まるように見えるが、以外にも止まり際はとても長く感じるから、自分が

チップを置いた所は早いスピードで流れていくようにも見える。

勿論、私は見るだけ。名前も知らないギャンブルなど見ていても仕方がないから、うろ

ついているとTVゲームのようなポーカーがあり、画面と向き合いながら黙々と勝負して

いる。日本ならゲームセンターでポーカーもあるが、賭けていないから真剣度は雲泥

の差だろう。更に奥にいってみるとパチンコ台のようにスロットマシンが並んでいた。

これなら私でも参加できそうとチップを交換し妻と二人でジャックポットを目指した。根性

なしのギャンブラーの勝負は『退屈』には勝てず20$くらい使ったところで退散、睡魔も襲

ってきたからだ。

部屋に帰り窓の外を見ると、昼間の殺風景な風景と大違いのキラキラと煌めく砂漠の真

ん中の不夜城、恐らく本当に朝まで起きている町なのだろう。この町全体を遠くから見れ

ば何もない真っ暗な闇の中に明るい塊があるように見えるであろう。

妻はまだ元気でホテル前に行ってみようと誘ったが私は眠くて、『ホテル前以外に行くな』

と忠告し横になりながら帰りを待っていたが、いつの間にか寝入っていた。

翌朝の食事でドイツからの若者と一緒になった。ここで、若者とはお別れになってしまった

が、昨晩は近くの有名な会場でヘビー級のボクシングの試合があり、それを見に行ってき

たと話してくれた。


『雑想考、刃物について』

2013年10月22日 17時53分21秒 | その他

昔から刃物には興味があり店先などに並べられていると、何か掘り出し物はないかと

足を止め見入る方だ。木工細工の道具や山行きのナタにしろ、使わなくても揃えてお

きたいが、いざ買うとなればお足が要るから何でも簡単にとはいかない。子供頃、家

はナタの代わりに日本刀を30cmくらいに落としたものを使っていた。刃はこぼれてボロ

ボロだから切れは悪く、ナタの代わりそのものだが、形状からすると匕首の部類に属す

るから、銃刀法の対象になると思われる。何故、そんなものがあったのか知らないが、こ

れとは別に70cm位の日本刀が箪笥の下の方にしまってあった。鞘から抜いてみると波

紋があり如何にも切れ味の良さそうな刀だから、親に内緒で鉛筆を削ってみた。切れ味

は良いに決まっているが、削った刃の所に芯の黒い筋が付き、新聞紙で綺麗に拭き取

った思い出がある。父が存命の時、その刀を呉れた。届けのない物かと思っていたらち

ゃんと登録されており、所有者変更か何かの届け出をし、こちらで登録し直してあるから

合法の所持者である。

今、使っているノミや鉋は訓練校に入ってから、先生の斡旋で購入したもので、本職の人

が使うものだから、分不相応の者が使っていることになる。何かを作り始める前に、必ず

刃物研ぎをするのが私の習わしだ。勿論、作業中に切れ味が鈍れば研ぎ直しをする。訓

練校で最初にビックリしたのは、砥石を研ぐという作業だ。砥石は刃物を研ぐものなのに、

砥石を研ぐ?砥石を長らく使うと、よく使う真ん中の辺が摩耗して凹面になってしまう。そん

な砥石で研ぐと真っ直ぐな刃はつかない、当たり前のことなのに人生50にして初めて知っ

た。訓練校では他の科で使い古した、目の粗いサンドペーパーを使って砥石研ぎをして

いたがその後、調べてみると砥石を研ぐ専用の砥石が販売されていた。

我が家の台所には沢山の包丁がある。常時とはいかないが切れ味が落ちると頼まれなく

ても研ぐから、他の家庭の包丁よりは切れる方だと思う。

包丁で大事なのは安いステンレスなどの刃物は買わない方がいい。一番いいのは日本鋼

のものだが、きちんと管理しないと錆が出やすいので、刃物に興味のない女性には不人気

だ。最近は合金で錆び難く鋼のようによく切れるものが沢山ある。スーパーなどで1,000円、

2,000円のものは直ぐに切れなくなり、研いでやると回復するが又すぐに切れなくなるから、

もう少し奮発した方がいい。毎日、使うものだから10,000円でも1回あたりの単価はすごく安

いはず。偉そうなことを言えないが包丁の切れ味は男の責任だ。


『回想旅行記、グランドキャニオンⅡ』

2013年10月21日 17時59分31秒 | 旅行

地に着くとバスが待っており、グランドキャニオンを紹介する施設に連れて行ってく

れた。360°の大画面映像が流されて、谷間のコロラド川でラフティングや野生動物、

レッキングなどの案内をしていた。私たちは一時の滞在だから今以外のシーズンのこ

とは経験できないが、ここでは冬の姿なども見せてくれる。予備知識を得て、いよいよポ

ピュラーなサウスリムに向かう。到着すると自由時間となり、どこなりともご自由に・・・・

私たちが到着したところは台地の上の部分だから、見る所の殆どは私たちの眼下という

とになる。崖の上に居るのに落下の防護柵など何も設置されていない、つまり自己責

任で観光を楽しんで下さいという訳だ。崖の淵でふざけて押してしまえば転落してしまう

こと間違いなしの危険度合満点。日本では考えられない光景にビックリ。また野生のリス

は珍しいものではないらしく、観光客が沢山いるのにチョロチョロしている。ただリスに噛

れると何かの病気になりワクチンを投与しなければならなくなる為、リスと接触しないよう

にと注意書きがある。私たちは生活圏で見る野生動物は鳥以外に殆ど見ることはない

ら、リスにしても人間と共生しているのを見て、一寸羨ましい気がした。

リスはサンフランシスコのゴールデンゲート・パークでも広い芝生の上を走ったり木に登

たりしていたから、ここでは当たり前の友人のようなものらしい。

グランドキャニオンの自然の大きさを拙い文で紹介できないが、赤茶色の脆い岩石が削

られて出来た自然芸術と言えばいいと思う。谷底はどこまで深いのか分からないが恐る

々、覗きこむとスーッと引き込まれそうになり背筋がゾーッとする。メインのポイントからバ

スで昼食会場まで移動する間は、人力で植えられたと思われる緑に恵まれた所を通っ

た。地図を見ながらのことではなかったので、どこから何処に移動したのか分からなかっ

た。この時、一人旅をしていた日本人の若者と一緒になった。今はドイツで癌の研究をし

ており、休暇でアメリカ旅行にやって来ていた。日本では学閥だの何閥だのと、人間関係

ばかりに気を使うがドイツではそうしたことは一切ないから自由に研究出来るのがいい

そうだ。私たちは、到着からこれまでのアメリカでの食事に特記事項なしの評価だったが、

この人の話だとドイツはジャガイモばかりで食事はまずい、アメリカは食材が豊富でここに

来てから太ったと言っていた。レストランに着くとバイキングで度胆を抜かれたのが、いくつ

かのブロックをくっつけてあるだろうが直径30cm、長さ40cmくらいのローストビーフが置か

れ、ナイとフォークを使い食べられるだけ自分で切り取るものだ。日本では高級品の部

類に入るのに、このような扱いができるのは、何が違うのだろうか、アメリカでは広大な土地

で放し飼い、日本は手塩にかける、美味しいものを高くて少し食べればいいのか、少々不

味くても安くて沢山食べればいいのかの選択になるのだろう。

私たちも大きなナイフで肉をそぎ取り、たっぷりとご馳走になった。

            


『雑想考、みずほ銀行』

2013年10月21日 17時58分19秒 | その他

かつての日本にはエクセレント・カンパニーが沢山あり、勿論のこと従業員はごく一部を

除けば正規社員は当たり前のことだったし、社会的な信頼や信用は社名を言うだけでも

られたものだ。バブルで持ちきれないほどのお札を手に入れてしまったが、分不相応

だったのか只の馬鹿だったのか知らぬが、使い方を知らないから結局、泡銭にしてしま

った。

この辺りから貧乏神との共生が始まり、日本国の歯車が狂い始めた。政治家は、金融不

は起こさせないと、国民にまでツケを払わせるようなゼロ金利、税金投与で金融機関を

った。銀行は不良債権処理や合併などにより自己体力の回復を図り、昨今では各行

で史上最高益などのニュースが流れるほどになった。銀行は国民に大変な恩を受けて

今がある。所が、銀行の不祥事は後を絶たないどころか、何故こんな銀行を救済してしま

ったのかと、腹立たしくなってくる。私たちに銀行間の派閥や軋轢などどうでもいい、メガ

バンクがあろうがなかろうが、それもどうでもいい。何なら日本の銀行でなくても外国の銀

行でもいい。

悲しいことではあるが、既に日本にエクセレント・カンパニーは存在しなくなったのでは

かろうか。原発に胡坐をかいて十分な対応をして来なかった東電も、それまではエクセ

ント・カンパニーと呼ばれていたのであろう。よく考えてみると、こうした会社は本当のエク

セレント・カンパニーではなく、それらしく見える仮面をつけていただけの会社だったこと

が明白になった。出来もしないのに御託を並べるのが好きな、似非(えせ)エクセレント・

ンパニーは目くらましの外国語を使ってコンプライアンス、コーポレート・ガバナンス何

なりと反省、再発防止策をご立案あれ。


『回想旅行記、グランドキャニオンⅠ』

2013年10月20日 18時01分36秒 | 旅行

アメリカには国内航空会社が沢山あるらしく、私たちが乗ったラスベガス便も完全なロ

ーカル便で日本では見たこともない、みすぼらしい飛行機だった。まさか第二次世界

大戦で使っていたものではなかろうなと思わせる機体だった。私たちの前にはアメリカ

人と思われるビジネスマンが座っていた。暫くすると機体は五月蠅いほどの騒音と共

に離陸、空中に辿り着いてもその音は変わらず、暫くすると前方でガタンと大きな音が

して座席の上にある荷物置き場のカバーのようなものが開いた。よく見ると何か配線の

ようなものが見えた。慌てて来た乗務員が何事もなかったかのように元に戻して消えた。

大丈夫かなと心配になるものの、なす術はなく観念する。すると前のビジネスマンが日

本では普及していない携帯電話を取り出し、飛行機の騒音で聞き取れないのか大声で

通話し始めた。この区間の飛行は長いものではなかったから、五月蠅いことを一寸我

慢すればいいだけのことだが、機体は本当にきちんと整備されているのかどうかは不安

だった。

アメリカの国土は広いが砂漠のような茶色の大地が延々と続いて、遠くにそれまでと違う

風景が見えたら人里という風な感じだ。ギャンブルの街ラスベガスは砂漠のど真ん中に

あるから、大負けして金が払えなくてもドロンできない場所にある。

ラスベガスの飛行場に到着し荷物を受け取り、出口に行くとガイドさんは初老前の日本

人だった。長年、ここでガイドの仕事をしており、物事を割り切って暮らす社会に馴染ん

でいるから日本に戻りたいとは思わないと言っておられた。こうして日本から離れて暮ら

している人には、私たちのように日本国内で暮らしていると見えない部分が、沢山見え

るのだと思う。時はまさにNoと言えない日本人と言われ始めた頃のこと、答えが明確な国

外での暮らしは裏表がなく気苦労しなくて暮らし易い一面があるようだ。

ラスベガスからグランドキャニオンへは陸路のコースもあり、元気な日本人も挑戦するが、

終わることのない直線の砂漠道、道路周辺には店屋はおろかGSもないから恐ろしくなり

途中で引き返す人もいるとガイドさんの説明。私たちは、ここからグランドキャニオンのま

でセスナ機に毛が生えたような飛行機で搭乗人数は10人ちょっと。搭乗手続きは体重測

定から始まる。何人乗りと決まっているのではなく、搭乗者の合計体重で乗る人数が決め

られている。そうなれば、私たちは米人の半分ほどしかないから子供料金にしてくれても

いいのではないか。手続きをしながら外に待機している飛行機を見ると、どの飛行機に乗

るとしても勇気を持って乗らないと、くじけそうなものばかりが並んでいる。好きなものを自

分で選んでと言われても・・・・

10数人が乗り込み離陸、機体が小さいからフラフラするような安定感のない飛行だから、

万が一なんて考えが頭を過ると払しょくに時間がかかる。下を見るとガイドさんの言う直線

道路が見える。本当に何もない砂漠に延々と続く道、ごく稀に小さな緑が見える。人家の

印。それにしても長いなんて距離ではない。飛行機の上から飽きるほど見ていても変化は

現れないほど。

コロラド川から流れる水を貯水する大きな人口湖を通り過ぎ、ウトウトしかけたら機長のアナ

ウンスがあり眠気が吹っ飛ぶ。下界に緑色の大地が目に入った。グランドキャニオンに到着。

 


『Windows 8.1』

2013年10月20日 18時00分30秒 | 日記

10月17日から正式に提供開始、日本へは午後8時からWindowsストアでダウンロードで

きると雑誌で読んだ。Win8のユーザは殆どのケースが無料とあるから、全面的に無料で

はなさそうだ。

プレビューでほんの一時使ってもとに戻してしまったが、今度は本格的なアップをするつ

もりで、褌の紐を絞めて取かかった。なんて、偉そうなことを言っているが、ディスプレー

の前で他のことをしながら終わるのを待っていただけのこと。正確には計っていないが最

初から2時間くらいで終わった。

設定のパラメーターや小難しいことの御用聞きは全くなし、全ての情報をWin8から引き継

いでくれる。これが本来のアップグレードのあるべき姿で、従来はあまりにもお粗末なシス

テムの作りと言うべきなのだろう。ワードやエクセルなどのツールバーやタスクバーなどの

背景に色が付けられ同じアプリなのに少し華やかさを感じる。多分、私のような者にとって

はシャットダウンやスタート画面への移動が簡単になった、このようなことでしかWin 8.1の

目新しさを語れないかも知れない。

いまのところ、変えたことによる不具合や不便さは何も感じていないから文句を言わず静か

に使ってみよう。


『回想旅行記、アメリカ人のマナー』

2013年10月19日 17時43分16秒 | 旅行

夕食は昨日の食堂のような大きなレストランではなく、奥の方にある小じんまりとしたレ

ストランだ。私たちとちょっと離れた席にハイハイする年頃の子供と4~5歳の子供連れ

の夫婦が食事をしていた。下の子供が床でゴソゴソしているのを上の子供があやしたり

しており、実に微笑ましい風景を見ながらの食事になった。やがてその夫婦たちは食

事を終えて席を立ち、その足でご主人が私たちの席に来て『子供たちが騒いですみ

ません』と詫びを言った。咄嗟のことで上手く文を組み立てられなかったが『子供さん

を見ながら楽しい食事ができました』と言った、つもり・・・。

勿論のこと、食べ残していたものは係員から入れ物を貰って詰め持ち帰り、レストラン

といえども、こうしたことを当然のように出来ることが二つの点で羨ましかった。

一つは自分のお金を払って提供されたもの、残しては申し訳ないし、家なら冷蔵庫

に片つけておいてまた食べる、当然だ。二つめは残して帰ったら、家畜のエサにす

るには分別など必要になるだろうから捨てられてしまうことになるだろう。ゴミの減量化

に寄与することは明白だ。

食べ残したものを持ち帰るのは恥ずかしいことと、思う方が恥ずかしい世の中になっ

て欲しいと、本当に羨ましくその姿を見ていた。DLでExcuse meにしろ、こうした場面

にしろ、たった1日の中に日米の大きな違いがあることに驚かされっ放しだった。

私は食後にコテンパンで寝てしまった。妻の話だと私が寝た後から花火が上がり暫く

楽しめたと話してくれた。そして私が目覚めたのは朝4時か5時、すぐ傍にあるDLの駐

車場で大掛かりの清掃作業が始まり、車の動く音がしてからだ。

窓から覗いてみると沢山の清掃員と清掃車が忙しそうに動き回っていた。私たちの出

発も朝6時過ぎの予定だったから丁度いい目覚まし時計の役目を果たしてくれた。早

朝にここからLAに戻りラスベガスまで移動し、今回の目玉商品、グランドキャニオン観

光に向かう。


『炬燵の出動』

2013年10月19日 17時42分16秒 | 日記

四季の中で今が一番ややこしい時期だ。昼間、過ごし易くなった代わりに朝晩は快

適から小寒く暖房は欲しいが、やんわりとしたものでいい。温風ヒーターだと最低温

度でいい、かと言ってエアコンで部屋全体を暖める必要はない。

テーブルと椅子のスタイルは床に座る暮らしより寒さを感じ易いと、私は思っているか

ら炬燵の推進派、しかし妻は食事の準備で立ったり座ったりするのが、億劫だから椅

子派、話合いで円満合意になるにはもっと寒くならないと難しい。だから、ここで強権

行使してサッサと炬燵の準備をして、テーブルを片つけてしまった。流石に未だ火は

入れずにこたつ布団だけの炬燵だが、テーブル生活よりずっと温かいからご満悦だ。

暦では未だ10月の半ば過ぎだから、幾らなんでも炭入れは当分ないと思う。

折角、炬燵を出してムードが盛り上がって来た、そうだ鍋。こんな風になり今宵は二人

では少々寂しい気もするが牡蠣鍋でもして空元気を出そう。


『回想旅行記、ディズニーランドを楽しむⅡ』

2013年10月18日 18時07分49秒 | 旅行

昼食は園内のレストランをと思ったが、どこも満員の様相、屋台のもので済ませようと

ポークリブを頼んだ。すると店員が大きなものを2つ3つと入れているから

『Sorry I need one』というと笑いながら『これが1人前』と、その量の多さに驚かされる。

コーラは日本の2~3倍はあるカップ。兎に角、私たちのサイズではアメリカ食を食べ

切ることなど、絶対に無理だと思わされた。ポークリブとコーラは大量に残りゴミ箱行、

合掌。何やら子供たちが好きそうな熊の館があったから入ってみた。

世間では有名なテディーベアだと後で知る。子供たちが一緒になって歌ったり、何か

アクションを起こすと大喜びで歓声が上がり大盛り上がりだ。何も知らなくてもDLは楽

しめる所だ。園内の街角のような所ではオルガンを弾き語りしていたり、何やら占いの

ようなことをしているスタッフが見受けられた。通りを歩いていたらミッキーやミッフィー

など音楽隊付きの賑やかなパレードがやって来た。子供たちも大盛り上がりになるの

は必至でたちまち子供たちに囲まれてしまった。ここではミッキーたちと直接触れ合う

ことができるから、子供たちは握手を求めたり抱きついたりしていた。これに対しミッキ

ーは大袈裟な仕草で子供たちの相手をしながら行進していく。多分、日本ではこうし

た事にはならないのではないかと思われるが、自由の国は色々なことにフレキシブル

だ。DLのアトラクションを知らないで行ったから、全体のどれくらいを楽しんだのか分

からないが、カリブ海の海賊、サンダーマウンティンなどが印象に残っている。

園内で列に並んで待っている時などにアメリカの別の一面も見せてくれた。大人であ

ろうが子供であろうが、私たちの前を横切ろうとすると必ず『Excuse me』と断りの言葉を

口にする。多人種、多国籍の国だからかもしれないが、礼儀正しいとされる日本人が

失ってしまった事のように思えて仕方がなかった。

園内を歩いたり、モノレールに乗ったりして夕方まで遊び回り、クタクタになったから、

もう諦めて帰ろうということにした。帰りは再び歩きで酒を買える店を探したが、生憎の

日曜日で今日もおあずけになった。それにしても日本が異常なのだろうが、街中に自

販機の姿はないのが当たり前の景色だ。むしろ、この方がすっきりしていいと思う。

帰国して知ったことだがアメリカでは自販機などを設置すると盗難に遭うので、商売に

ならない。銀行のATMでさえ機械ごと盗難に遭うから、操作する所だけが外部と接し

は厚い壁で防護されている。ATMも自販機もアメリカでは『現ナマ』が詰まった箱である

ことを泥棒たちに教えている事になり、格好のターゲットにされる。自販機をATM並み

の防護をして稼ぐことは採算に合わないので、街中に自販機はない・・・これが正しいの

だろう。


『木工細工と薪準備』

2013年10月18日 18時05分22秒 | 日記

朝の畑は夜露で濡れていて仕事がし難い、少し寒さはあるが山小屋で木工細工を

するのに丁度いい季節がやってきた。結婚することになった義理なれど姪のために、

2尺ちょいの茶箪笥を作ってやろうと確保していた材料がある。

材料は楡材で幅約20cm、厚さ3.5cm、長さ2.1mの板を切り分けて、箪笥の縦ざんや

鏡板などの素材を作る。それを色々な加工を加え、組み立てて完成となるが、全て

が手作業だから時間はかかるし面倒なところが沢山ある。

失敗すると、場所によっては大幅に作り直しが生じる。いい加減な性格をしている私

でも、それを誤魔化してgoとはいかない事もある。夏場は鉋をかけたりペーパーで磨

いたりしていると、材料の上に汗が落ち拭いてもシミになり残ることがあるから、私は

原則として冬仕事にしている。手始めにノミを研いで、やる気を起こし静かに作業を始

める。

雨は降っていないのに室内での作業は何故か少し気が引ける。もう少し薪の準備をし

ておいた方が良さそうだから、午後から根返りして倒れた杉の木を始末することにした

。下の太い所は丸太椅子を作り残った部分は放置していたが、腐らせるより良質の薪

にはならないが使った方がいいから、こんな理由だ。杉は火力も火持ちも良くないか

ら薪として使うことはない。直径30cm、長さ5mの丸太を1mくらいに切り、一輪車で50m

位運び出しここでゆっくりと、始末をすることにした。木の皮を剥ぎ取り薪割りをすれば

いいようにするのに夕方までかかった。


『回想旅行記、ディズニーランドを楽しむⅠ』

2013年10月17日 17時24分47秒 | 旅行

アメリカの朝、ホテルのアメリカンブレックファーストを食べにレストランに降りる。昨晩、

ここで食事をしたが今朝はバイキング形式、アメリカはゴージャスだと感じさせる品揃え。

しかし、余りの品数、種類が多いから色々な果物や米人が好きなケーキ類、肉類など

臭いがミックスされ充満しているから、単品だといい匂いだろうが、異様な臭いが漂って

いた。また、私たちは米を見るとご飯と思ってしまう。ところが米がサラダ感覚で扱われて

いたり、酢を使った料理だったりしており、ご飯のつもりが拍子抜けとなったりする。

昨晩、ホテルに着いた時、ガイドさんからディズニーランド(DL)の一日券を渡されてい

た。今日は一日、DLで自由に遊び回ることになる。ホテルのすぐ傍にDL入口までのモ

ノレルがあったが、私たちはゆっくりと歩いて出かけた。いい歳をしてDLでキャーキャ

ーとぐことはなかろうと落ち着いた大人ぶっていた。DLの中はとても広いし面白いアト

ラクションが沢山あり、事前にどのコースで回るのか調査しておかないと、効率よく回れ

ない。

私たちは予備知識ゼロだったので入口で貰った、園内マップを頼りにアトラクション巡り

開始した。潜水艦もどきでも水中を動く物に乗ったことはないからイエロー・サブマリン

を皮切りに、スターウォーズ、サンダーマウンティンなど地図を見ながら回った。

どこの場所も長蛇の列はなかったが人気のスターウォーズは、20分ほどの待ちで済んだ

ものの、スプラッシュ・マウンティンは長蛇の列だった。

私たちは何が起こったのか分からなかったが最後尾に着き、30分以上もしてからの事だ

った。急に列がばらけて人波は入口の方に動き始めた。

何のことかも分からないまま付いて出ると係員が『Can you read English ?』と言うのが聞き

取れたから『Yes』と言うと小さな紙切れをくれて何か言った。分からなかったが読めばい

いから『Thanks』と答えてその場を離れ次のアトラクションに向かった。

あちこち回り、先ほど貰った紙が気になり電子辞書を引きながら訳してみると、故障の修

理を終え再稼働の場合に、スプラッシュ・マウンティン入場の優先券というような意味合い

であることが分かった。後刻、故障が治ったら再び長蛇の列が繋がっていた。私の翻訳が

正しければこの紙が物を言うはず、観客を誘導する係員に見せると、列の先頭に案内して

くれた。小さな船に乗り込み山の上の方に登ったと思ったら、下に向けて一直線のジェット

コースター状態、一番下で大きな水しぶきを上げた次の瞬間、トンネルに入った。なるほど、

これならスリル満点だから人気があるのも頷ける。DLの特徴はお客サービスの心憎いところ

で、それは随所にみられる。こうした精神は東京DLでも活かされており、エンターテイメント

に長けたアメリカの産物であろう。


『台風被害とマスコミ』

2013年10月17日 17時23分50秒 | 日記

台風26号は伊豆大島に未曾有の被害をもたらし、50人近くの死者行方不明者を出し、

今も捜索活動が続けられており、生存率が急激に下がる72時間との闘いになっている。

一刻も早く救出されることを祈るばかりだ。

こうした災害があるとマスコミは現地に『報道者の特権』のような顔をして大挙、押しかけ

ていく。そして、どの局も同じ内容ばかりではと、スクープまたは他社を先んじた内容探

しに走る。被災者の方への相変わらずの愚問にテレビを観ながら毒づく。また、こうした

被害が起こると直ぐに犯人捜しのようなことばかりに精を出している。テレビ局にそうした

資格があるのかよく考えてみろと言いたくなる。

再発させないために原因を探し出し対策をとることは必要なことは確かだが、報道の中

身によってはあたかも、自治体に責任があり被害を拡大させたかのようなものもある。こ

んなことに注ぐ力があるなら捜索活動の手伝いでもしろと言いたくなるし、今も闘ってい

る福島原発の責任追及に力を注ぎ続けろとも言いたくなる。

 

改めて、犠牲者の方々にお悔やみとお見舞いを申し上げます。


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