食後、SFの有名な坂道を登ったり下りたりしながらレイの家を訪問。家に着くと何回か
送ってもらい写真で見た、遠出の旅に使うキャンピングカーが置かれていた。玄関で奥
さんのキャシーが手を大きく広げ私たちを迎えてくれた。彼女はチャキチャキのヤンキ
ーだから英語は完全なるアメリカ流、私には聞き取り難いから聞き耳を立てて分
からない時は質問しないと理解できないことが多い。いつも日本と交信しているアンテ
ナ・タワー、無線設備などを見せてもらった。老夫婦が二人で暮らす戸建ての家だが、
場所がSFの中心地近くだからTVで観る広い庭付きの家ではないが、日本よりも、ゆった
りとしているのは明らか。家の前は芝生が植えられているから道路を含めて通りの向こう
まではかなりの距離がある。私たちが一番心を痛めていたのは、彼らの一人息子スティ
ーブが半年くらい前に亡くなり、今も悲しみの中にいるということだ。
スティーブは私たちと同い年だった。プラス思考で野外活動好きなアクティブなガイで父
と同じ趣味アマチュア無線でも活躍していたが、メラノーマにかかり効果的な治癒もなく
短い人生の幕を閉じた。スティーブの墓参りに行きたいと言ったら、レイ夫妻が連れて行
ってくれることになっていた。思い出のアルバムや品物を見せてもらっている時でもキャ
シーは時折、涙を流していたから、
未だ心の中は癒されてはいなかったと思う。楽しい時はあっという間に過ぎ、私たちはピッ
クアップ・トレーラーに乗り、繁華街にあるホテルまで送り届けてもらった。荷物はホテルに
届けられており、それを確認してから、近くで食事をとろうとホテルを出た。行く当てはない
がレストランのありそうな場所を探すのに周辺リサーチをしていた。私たちはレイから『あの
通りから先はスラムだから絶対に行くな』と注意されていた場所のことは知っていたので、
避けようとしていると日本人らしい人が『あの通りから先は危ないですよ』と注意してくれる。
また別の場所でも米人から同様の注意を受けた。一般人が迷い込んでも相当危ない場所
のようで見ず知らずの人でも教えてくれる。
反対側に行くと繁華街があり念願の和食のレストランを見つけ出し、メニューを見ると鍋焼
きうどんがあり、二人とも即決。ところが、ここはアメリカ。鍋焼きうどんの量は日本の2倍まで
はないが超大盛りで、二人とも半分くらいしか食べられなくて残してしまった。
ところでホテルの部屋に戻るとレイが渡してくれたファミレスで残しテイクアウトしたサラダが
ある、しかし結局はゴミ箱行きとなった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます