物質が豊富になり欲しくても手に入らない時代から、何でもあるから選ぶ時代に、い
つも腹を減らしていた時代から体にいいから食べなさいと強制される時代に、私たち
の子供の頃とまるで逆のことが当たり前の今。
腹が減っては戦にならない、ガキ大将に連れられて山に行き椎の実やモクの実など
の在りかや食べ方を教えてくれた。また、他所の家の塀越しに熟れているビワや柿な
どを取りにいったりし、家人に見つかり飛んで逃げたものだ。子供は子供なりの工夫
をしていたし、難局を切り抜けようと努力していた。小さい時から、自分で努力してい
けば何かが実りそれが実感できた。勿論、良い事ばかりではない、それは今の子供た
ちでも同じだと思う。
子供から青春時代に移り恋をした、失恋した友達同士で慰め合ったり、一人で悶々と
耐え新しい道を切り開く。こうしたことは当たり前のことである。なのに、今の時代は男
が女々しくなり、たかが女の子に振られたからと言って、立ち直れず仕返しを企てたり、
付きまとい、可愛さ余って憎さから殺意まで募らせる。自分の感情を制御する能力が
著しく劣ってきたのではないかと疑いたくなる。昔にも痴情事件はあった。だが、今の
ように女々しい男が、こんなにゾロゾロといなかった。
仕事にしても『やりたくない仕事はしたくない』との風潮を親も推奨するくらいだ。
『石の上にも3年』『嫌いな仕事でもやり通し好きになる』などと苦労を耐え忍び、自分
の道を確立していくような教えは、既に戯言扱いに等しい。
色々な面で苦や難を避けながら育てられてきたから、苦難に立ち向かう力量が身に
ついていないと思う。誰でも苦労はしたくないが悪い事ばかりではない。
自分を強くしてくれることもある。苦労から逃げるような生き方をしていると勝組と負け
組に分けられ、格差は益々大きくなっていくことだけは確実だ。恋に破れても、仕事
につまづいて再び自力で立ち上がる努力を続ければ、必ず道は開けると、まず自
分に言い聞かせて欲しい。と、現代の若者にみられる感想を述べてみたが、それで
は年寄りが若者の手本と言えるような行状ばかりかと言えば、ここにも大きな疑問符
が付く。日本流にいうと、いい歳をした者が・・・・こんな風だ。
分別はあろうと思われる年配でも、簡単に切れ常識論では割り切れない行動も、新
聞やテレビを賑わしているから結局、日本全体の常識度に変化が起きているのだと
思う。この年代の分野でも常識度合いの世界で2極分化が進むのではなかろうか。
私は端の方でもいいから常識派の方に入れて欲しい。