食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『恵みの雨』

2013年08月23日 17時28分37秒 | 日記

先週末の雨が降りこの周りは久々の雨と喜んでいたら、畑では野菜の根元に水は

回っていなかったし、1kmも離れていない場所では、パラパラ程度でワイパーを動

かす必要もなかったと聞いた。それから、またカラカラ天気に戻ってしまいサツマイ

モの葉が黄色くなってきた。慌てて水やりをして元気を取り戻そうとするが、天から降

る雨の効力と散水とでは雲泥の差がある。

先ほどから待ちに待った雨が降り出した。黒い雲に覆われ風を伴ってザ~と、やっ

てきた。折角、蒔いた蕎麦の実は鳩の夫婦に食べられ、日照りに痛めつけられながら、

少しだけ芽を出している。この雨で、一気に芽をと期待している。


『雑想考、何故はだしのゲン?』

2013年08月22日 18時03分26秒 | その他

私が若い頃、週刊漫画雑誌が全盛期で名前は少年マガジン、少年ジャンプなどと

子供対象のようにみえるのに、子供に限らずサラリーマンや学生の読者が多かった。

人気があるので当然のこと食堂や喫茶店には、これらの雑誌が置かれており、発刊

日には客の取り合いになるほどだった。その頃、少年や大人ですら興味を抱くだろ

うかという原爆を題材にした『はだしのゲン』の連載が始まった。掲載の経緯や人気

度合についてどのような評価だったのかよく覚えていないが、かなりリアリティーのあ

る漫画で、戦時中の日本兵の行状、被爆経験の実態は、これに近いものだったので

はないか思わせた。この頃、私は広島の安芸郡府中町に住んでいた。比治山のお

蔭で直接的な影響を免れたこの地域には、市内中心地から運ばれてきた被爆遺体

が学校の校庭で山のように積まれ、荼毘に臥され、町は異様な臭いに包まれたと、大

家さんから話を聞かされていた。私たちの年代ですら、戦争の実態についてはかなり

オブラートで包まれかけていたが、それでも日本兵は鬼のような行状を働いたとの話

もあった。ただ、こうした話は尾ひれに尾ひれがつき、100の善行より1の蛮行で評

が反転してしまうから、真実は分からないが戦争そのものが蛮行だから起こしては

いけないのだ。はだしのゲンは子供漫画ながら戦争の悲惨さ、とりわけ原爆がもたらす

人間破壊の実態を分かり易く教えている。つまり、分かり易くは具体的だから残酷な場

面であろうと、そのまま表現されるのだ。日本は過度にこうした事を隠したがる。戦争に

於ける残虐な行為や、実態についても同様だ。全てを包み隠さずとは言わないが具体

性のない教材の中で、いくら原爆は人類を滅ぼすほど残虐だと軽い教材で教えても身

につくはずはない。人が傷つくとはどんなことか、痛みとはどんなことか経験はできない

から、しっかりとした教育するための努力は何も為されず、子供たちが傷つくなどと詭弁

を使っている限り、真の意味を理解させることは出来ない。

松江市の教育委員会は、この漫画が子供に悪影響を与えるからの理由で図書館での

貸出しを制限してしまった。市の教育委員会にどんな権限があって子供たちの閲覧を

制限するのか、私には理解できない。一部報道によると市民から制限の要望があった

らしいが、市議会は否決しているのに松江市教育委員会は要望に従う格好になった。

市議会は形式上、市民の代表で市民の良識、意見を代表している。

教育委員会が何をしているのかよく分からないし、学校で事件があっても責任転嫁ば

かりしている組織の代名詞になっており、なくても困らない組織ではないのかと私などは

思う。教育委員会は自身の良識に従って市議会の決議を覆しての決定だから、マスコ

ミに取り上げられ騒ぎになっても、主張を曲げない覚悟はあるのだろう。仮にも、この騒

ぎが大きくなり色々な批判を受けるようになったら『閲覧禁止の解除』なんてことに、しな

いだろうな。

もし解除でもしたら、市議会の決定よりもマスコミ報道の方が重い、議会軽視そのものと

いうことになる。それほど松江市教育委員会の立場は尊いと言うのか。その前に、そん

な判断しかできない松江市教育委員会を解体してしまえ。そんないい加減な姿勢で教

育現場を管理される学校教育に何一つとして良いことはない。

いじめがあっても『いじめとは認識していない』と平気な顔で説明できる教育委員会も、

松江市の教育委員会も骨のない組織だから、私たちから見るとナマコと話をしているよ

うで噛み合わない。


『蒸す暑さと蝮』

2013年08月22日 18時01分37秒 | 日記

彼岸花の咲き具合を少しでもよくしてやろうと川土手の草刈りを始めて、熱中症にな

った為、休憩していた草刈りを再開。昨日のような日照りとは違い薄曇りないし曇りで

日射はないものの凪のような天候だから蒸し暑い。草刈りには違いないが場所によっ

ては背丈を超える低木のような大きなものが被さってくる。

葛の蔓や葦の蔓が草の上に絡まっていると茎を切っても上が他の草とつながってい

るから、払いのけられなくなり、刈り取りの効率を悪くする。これが一番の疲れの原因

になる。蜂の巣がないか注意しながら場所を移動して刈っていく。すぐ近くには殺虫

剤を置いておき、万が一の時はそれで応戦する作戦だ・・・・・昨年もそうだった。

準備はいいが本番には殺虫剤どころではなく刈り払い機を持って一目散で逃げるの

が精一杯で応戦どころではなかったが、それでも一応。

調子よくブンブンと刈っていたら、刈り払い機の真下に大きな蝮がノタリノタリと逃げよ

うとしているではないか。長さ40cm弱、丸々と太った大物だ。

今まで隠れていた場所ですら相当前からブンブン・ガラガラと騒々しく危険だと思わな

かったのか、お前は。蝮は自分が一番強いと思っているのか、逃げ足は遅く人と接触

する機会の多い蛇だ。他の蛇はこんな状況ならスタコラサッサと、いつまでも人の近く

にはいない。蝮は危険な蛇だがこちらが先に見つけてしまえばBingoだ。

刈り払い機でチョンチョンと細切れにして始末は完了。

安全な場所になった土手の草刈りを続行し、予定していた場所の作業を終えた。

 


『雑想考、集積回路昔話』

2013年08月21日 18時39分03秒 | その他

最近の電気製品のカバーを開けてみると、集積回路(IC)が搭載されて、全てはこれ

によりコントロールされている。私は古い人間だから集積回路などと言っているが、今

はマイコンと言うのが適切だろう。今までに何回か昔のコンピューターについて掲載

したことがあり、数億円もした電子計算機は今のPCの足元にも及ばない性能でしか

なかった。たかだか3~40年ほどの年月で向上した技術はハイクラスのビジネスでし

か使うことが出来なかった機能を家庭、個人更に携帯可能なものにしてしまった。コ

ンピューターが1+1を計算するには沢山の電気回路を組み合わせた論理回路により

行われる。回路の最少単位はトランジスター1個、ダイオード2個、抵抗1個を必要とし

回路として作ると2cm平方くらいのスペースになる。だからコンピューターを構成する

には規模により数万あるいは数十万個の回路を必要とした。

トランジスターが普及する前は真空管だったからコンピュータは電熱器のように熱を

発するものだった。小型のものでも1.8mX90cmX1.8mくらいの処理装置になりメモリー

は数KBしかなかった。そんな時代にアメリカのTI、モトローラなどがトランジスターで

構成されていた論理回路の集積化に成功し、これがベースとなりコンピュータの小型

化は急速に進んでいった。また集積回路には電気部品が組み込まれたハイブリッド

ICなるものになり、1つのICである動作を行えるものにまで進化し、以後はCPUを組み

込み全体の制御を可能にした。

こうした技術が普及するとコストも下げることが出来、利用される範囲も飛躍的に拡大

し、今日の電気製品に見られるような姿になった。

今ではこうした集積回路の頂点にあるのはインテルのPC用CPUで、各PCメーカーはイ

ンテルの下請け会社でもないのに、Intel insideなどと宣伝している。PCはIntelのCPU

代名詞と言っても過言ではなくなった。ICだのTTLだの時代には未だマイナーな会社

だったがPCの普及とともに巨大な企業に成長していった。

昔、コンピュータはガリバーと呼ばれたIBMが寡占状態だったが、PCの小型化と共にフ

レームコンピュータはCSSなどに取って代わられ、心臓部を寡占するIntelの独壇場にな

っている。日本企業もIntelのように自社技術を世界標準にできるよう頑張って欲しい。


『カブトムシの木、枯れる』

2013年08月21日 18時35分43秒 | 日記

近年、ミズナラの立ち枯れに関するニュースをチョコチョコ見る。大きく扱われるケー

スは集団で枯れ始めるというものだが、私の山でも立ち枯れはありニュースで報道さ

れているものと同一の症状かは分からない。よく似ているのは7月頃から段々元気が

なくなり先日、全体的に枯れてしまっていた。ブログに載せたカブトムシの写真、そ

の木だ。

最近はお客さんが少ないと思っていたが、木の上の方では徐々に枯れ始めていたか

ら樹液の出方も悪くなり、虫たちも寄り付かなくなったのが本当の理由のようだ。

20mくらいはある大きい木、普通なら晩秋に倒して春になってから椎茸菌を打ち込め

ば、立派な椎茸原木になるが、こんな枯れ方のものだと炭にもできないからストーブの

槇にしかならない。私は山の広葉樹、落葉樹を大切にしている。昔これらの木は15年

周期くらいで倒され、色々な用途に使われていた。倒したところから新しい芽が出て

くる。木を倒す場所をシフトしながら山を活用していたから、山の手入れもきれいにさ

れていたことになる。今は、ミズナラ、ブナなど珍重された木々も放置され、大きくなり

過ぎて使い道すらなくなるなんて勿体ないことも起きている。

                         右側の木と同じ木なのに枯れて哀れな姿に


『雑想考、自治体も核金汚染』

2013年08月20日 18時25分13秒 | その他

核燃料施設を立地する自治体には国の補助金や、電力会社の隠れ寄付、開き直り

寄付など莫大なお金が絡んでいる。震災により原発が停止して火力発電に頼らざる

を得なくなってから、化石燃料の値上がり、為替変動により原価を大きく押し上げてし

まっている。この点、事故さえなければ原発は経済原理に揺さぶられることなく安定的

な稼働を得る事ができるから効率性は高い。では、原発が稼働中と停止してコストが

高いと言われる火力発電を比較してみて、その感想は如何なものか。

原発は効率が良く他の電力と比べると圧倒的に安いと国も電力会社も言ってきた、

検証は不能だろうと思っていたら皮肉なことに比較可能になっている。

原発停止前より電気料金は高くなったが、電力会社は赤字経営に陥り、今の状態が

続けば電気料金はもっと上げざるを得ないだろう。例え、値上げは避けられないとし

ても、原発VS無原発で原発が圧倒的な結果でないことは確かではないか。(私の個

人的な感想かもしれないが)

今まで、電力会社は好き放題なことをしてきたではないか。都合の悪い話には匿名

の寄付金で黙らせたり、そのお金を作るのに電気料金の原価に入れ私たちに負担

させたりと。人様の企業経営のことで爺がとやかく言うものではないが、電力会社は赤

字経営といえ本当の赤字とは言えないリッチ企業であり、同じ赤字と騒いでいたシャ

ープが立ち直ろうと必死になっているのと全く違う。

匿名にしろ、迂回にしろ核関係で自治体に寄付されるお金は、自主財源の少ない自

治体には有り難いものに違いない。背に腹は代えられないとはよく言ったものだ。

青森県内の25自治体は国の補助金を貰えない代わりに電力会社が寄付をしていた

らしい。昨今の経営状況から寄付側も苦しくなり、25自治体への寄付が止まる見込み

になった。今まで、このお金を当てにして一般会計の穴埋めにしていた所もあると聞

く。こうしてみると自治体とは一体何を意味するのだろうか。憲法は人の平等に暮らす

ことを保証しているのに、自治体の平等は保証されていないから、電力会社や国は、

誰も引き受けない汚い核関連施設の立地を、札束をちらつかせて、貧しい自治体に

引き受けさせているのではないか。

人口の多い都会地も一つの自治体だ。会社の登記場所になっていたり、税金を納め

る人が多いから、原発を引き受け危ない橋を渡ることをしなくてもいい。自治体の経営

のために雇用や税収が入るから原発が必要という自治体に、多くの人が魅力を感じて

移住していくだろうか。過疎を一時的に食いとどめるだけで、明るい将来のある街づく

りに役立つのだろうか。

出来れば、私は原発のない所に住みたい。


『術後はフルーツ晩酌』

2013年08月19日 18時33分56秒 | 日記

昼間はスモーキング・ブギ、夜になればお待ちかねの晩酌と毎日、極楽のような生

活をしていたのと一転して、癌の術後は本人の堅い意志とは別の方向に向かって

しまい、酒要らず、たばこ要らずの超優等生に変身してしまったことはブログにも何

度か記載した。その反動かどうかは不明なれど甘党に変身してしまったことも同様。

今の楽しみは食後のデザートとしてフルーツゼリーまたは果物そのものだ。以前から

果物は好きな方だったが、積極的に食べるという風ではなかった。よく食べる方とし

てのミカンにしても、1個食べれば十分という程度のものだから、会食などのデザート

に出るフルーツは大体、妻が代食していた。

酒とたばこの長年の慣習が壊れてしまったら余り好きではなかった、ほんの一寸酸っ

ぱい柑橘類を好んで食べるようになり、以前は考えられない夏蜜柑でも食べてしまう。

冬から晩春にかけて蜜柑、タンゴール系、ポンカンなどの訳あり商品を数キロ単位で

購入し、食後に食べる習慣ができた。夏前に知ったグレープフルーツ系の『御荘ゴー

ルド』、味はグレープフルーツを少し軽くしたものだが、水分が多く、内皮も剥ぎやす

く実が綺麗に取れる、とても食べやすいものだ。

発生地は愛媛県、私がこれを知ったのは福島・宮城への旅の途中、福井県の道の駅

だった。その時、たしか・・・・産地は地元と書かれていたように記憶しているが・・・・少

し怪しい。道中に食べてしまったから帰り道、再びこの店で購入するほどお気に入

う。グレープフルーツは横割りにして砂糖をかけて果肉をスプーンで穿り出すようにし

て食べるが、御荘ゴールドは普通のミカンのように皮を剥いで食べる。

ならば、グレープフルーツの皮を剥いでミカンのようにして食べたらどうなるか・・・

今までそんな食べ方をしたことはない。

ものは試しにやってみた。結果から言う場グーだ。グレープフルーツを砂糖なしで食べ

るすっかり変身した自分の姿に驚きだ。こうして食べると果肉を100%食べることができる。

この食べ方にはまってしまい、ホワイト、ルビーどちらも好きなので、スーパーに出かけ

たら、値段チェックが始まる。量からして値段は安い方だと思う。

今日は今まで一番安価、南アフリカ産ホワイ4個入り158円、ルビー3個入り198円のお

買い上げ。桃、ぶどう、梨、西洋ナシ、ミカンと季節による途切れもなしでフルーツ三昧

に、失った晩酌も惜しくはなくなっている。『いいね』プチっ。


『雑想考、世界陸上』

2013年08月18日 17時29分44秒 | その他

世界陸上の各種決勝が行われた。残念ながら日本選手の出場場面はなかったが、

世界のトップアスリートが繰り出す最高のパフォーマンスに引き込まれた。男子槍投

げ、女子三段跳び、女子高跳びなどの競技を実況中継で観ることなどなかったし、

そうした競技が次々と行われるから興味を失うことなく見続けられる。また花形のひと

つであろう女子400mX4リレーでは常勝アメリカに挑んだロシアが劇的な勝利を、女

子高跳びでも完全ホームのロシア選手がアメリカの選手を抑えて優勝したし、男子

槍投げでは最終投てき者のロシアの若者が逆転で銅メダルを獲った。

実力伯仲の中で地元の歓声、声援は大きな後押しになっているのではないかと思わ

せる、ロシア勢の活躍が目立った。こうした中に、日本選手がいたら応援するのに力

が入って、眠気も覚めてしまうのではなかろうか。さて、本日のメインイベントは男子

200m決勝、ボルト選手だ。

多少の追い風を期待してのレースだったが、無風に近く世界新記録の夢を果たすこ

とはなかった。結果をみるとボルト選手の強さだけが際立ち、余りにも予想通りの出来

レースに見え、ボルト選手には悪いが面白くなかった。もう少し波乱があれば僅か19秒

少々の間のドラマを楽しむことができたし、VTRで見直しても楽しめたのに。

こうした競技に先立ち男子マラソンに日本選手が出場し、途中で挫折しながらも中本

選手が5位に入賞した。強豪揃いのアフリカ勢との一歩の差を詰めるには至らなかっ

たが、全く歯がたたないことではなく、マラソン日本の復活に精進して欲しい。

こうしたスポーツの祭典では国同士の諍いと別に選手同士の友情やお互いを敬う姿が

みられ、政治家どもを選手に見習えと叱り飛ばしてやりたい。


『暑気払い』

2013年08月18日 17時28分58秒 | 日記

今日も暑い一日、熱中症の影響は殆どなくなって、いつものような調子にみえるが、

軽作業の割には汗をかく量が多いように思う。未だ温度管理システムが完全に復活

していないのかもしれないので、日陰の草取りや蕎麦の水やり、刈り払い機の整備

などがメインの作業。それでも水分補給にはいつも以上に注意を払っている。

暑さに負けず頑張ろうと、夕方から炭焼きグループのBBQ会が予定されている。体

調不良なら欠席せざるを得ないと思っていたが、どうにか支障のない状態に戻って

きたので参加することにした。ここでも、ほどほどに美味しいビールや酒を頂くことに

しよう。


『雑想考、憲法改正議論』

2013年08月17日 17時04分42秒 | その他

 衆議院、参議院選挙ともに自民党の圧勝となり党是である『改憲』に積極的な阿部

総理は、水を得た魚のように一足飛びに進めたい考えのようだ。本来、憲法改正に

諸外国からとやかく言われる筋合いのものではないが、現政権の物事の進め方を見

ていると右へ右へと舵を切っているようにみえるから、誤解が誤解を呼ぶかもしれな

い怖さを感じざるを得ない。自衛隊は外国からみれば軍隊であるのは事実だが、英

語ではSelf Defense Armyと表されることが多く、日本人からみればSelf Defenseつまり

自衛がつくからArmyではあるが他国の軍隊とは違うと考える。これを国防軍に変えよ

うとも考えているらしい。名前が変わるだけでなく、小さな文言の追加・訂正で従来の

自衛隊とは全く違う組織になってしまう。憲法や法律の解釈は文言に記載されていな

いことは内閣法制局が時代、時代で解釈をしてきたから法の番人とも呼ばれている。

 今回の法制局長官人事に下心があるのかどうか知らないが、憲法解釈を変える立場

にある人事を内閣が意図的に行うなど、もっての他で国民の内閣チェックは怠っては

ならないものだと思う。私などは政治に対する期待など全くないから、せめて今の状態

より悪くしないで欲しいと願うだけだが、政治家どもが要らんことばかりしそうで、それも

叶いそうにもない。 

私がいつも政治家の資質について喚いているが、こんな政治家どもに憲法改正の発議

を過半数まで落とすなど、あってはならないと思う。今の政治家なら2/3でも不十分だと

言いたい。多くの国民は憲法9条を始めとする平和憲法を押し付けられた憲法などとは

解釈していないと思う。そんな私でも、集団的自衛権のように、憲法と現実の対応上に問

題があるのは確かなことであり、こうしたものの整合性をとる必要はあると思う。 

国民が無関心で元禄に浸ってしまうと、鬼の居ぬ間に・・・・となってしまうかも。

 


『不覚、熱中症』

2013年08月17日 17時02分33秒 | 日記

昨日、ブログをアップし5時過ぎから畑に散水するつもりでいた。久々の雨が降り大

地にお湿り程度の水を頂いたから、この上に散水すれば少しでも地中に染み込む。

畑に縁のない人は結構な雨が降ったから畑にはたっぷりの水が・・・・と思うかもしれ

ないが、実は水溜りができるほど降っても土の中はカラカラで葉陰など雨の当たらな

いところもある。だから、こんな雨の後に散水しておけば水は土中に染み込み、効果

は抜群になる。

さあ、水撒きに出かけるかと動き始めるが、立ちくらみのようになり横にならざるを得

なくなり、暫くそうしていたら天井がクルクルと回るように見える。反対を向いてみると

それが収まり、起き上がり座っているとまたクラクラがぶり返してくる。

結局、散水行きは諦めて休息をとることにしたが何故、こんなことになったのか思い

当たることは、暑い日中に草刈りをして大汗をかいた後のことだから熱中症になっ

と考えるのが妥当だ。水分補給は十分にしていたし、暑さが限界と感じたら日陰で

休んでいたから、自分では万全の予防をしてきたと自負していた。

午後2時頃から草刈りを開始、雨上がりで涼しい中、燃料タンク満タンの時間だから

凡そ30分程度のところで休憩。西瓜を1/8切れ、お茶300cc見当を摂り日陰で休憩、

シャツは絞るほど汗だからここで着替え。

クールダウン後、草刈りの再開。この頃は雨上がり後、特有のうだるような暑さの中の

作業だったから思っているより体調の変化はあったのかもしれない。

この回も燃料タンクの3/4くらい消化したところで暑いから作業を中止、水分補給お

よびクールダウン後、着替えて草刈りは終了した。こんな経過後、1時間ほどしてか

らのことだった。クラクラに加えて、吐き気というまでではないがムカムカしたような気

分になり、1時間から2時間と横になるが多少、よくなってように思えるほどしか回復し

ない。夕食は食べる気がしないからポカリを少し飲んだ後に、ほんの少々の果物を摂

るだけ。起き上がってみて調子が良さそうな時、一気に風呂に行き床に就いた。

 今朝の目覚めは快適ではなかったが、昨日の不調からは回復し普通に動くことは出

来るようになっていた。ただ、身体が拒絶しているのか、記憶が拒絶させているのか

炎天下の草刈りに駆り立てるものは何もない。体調をコントロールするシステムの異

常だから、クラクラがなくなったとか、立ちくらみが無くなったとしても、回復には時間

が要るのだと思うから、もう少し休養することにした。

十分に気をつけているつもりでも、周囲の環境と体調のバランスを考えれば、他人に

対して口にする『無理をせず』を自分に向けて言うべきなのだろう。


『雑想考、関心外終戦記念日』

2013年08月16日 16時34分00秒 | その他

昨日は68回目の終戦記念日だった。日本国民のとりわけ若い層になるに従い太

平洋戦争および、それにかかる日本軍の侵略行為について関心は薄く、中には

戦争自体を知らない者すらある。

被害を受けた中韓および東南アジア諸国では戦勝記念日、敗戦国の日本では

敗戦を記念するのはおかしいだろうから、終戦記念日となっている。政府も国民も

他国への迷惑を顧みながら未来に向けて進むべきなのに、どうも政治家は諸外

国との折り合いの付け方の知恵がないらしく、政治勢力が大きくなると平気で諸外

国との軋轢を生む。政治家の靖国神社への参拝、戦犯の合祀問題など根本的

なことは、もっと論議し日本自身が解決しておかないと、中韓との軋轢は未来永

劫に解消されず、事がある度に問題化しギクシャクし続けることは明白だ。

いつも比較されるのがナチスドイツとヨーロッパ諸国との関係だ。ドイツはナチス

との徹底的な決別を図り、戦争の後始末に周辺国からの理解を得てきたから、

今の時期に何かと非難、批判されることは聞かない。

日本には日本の論理があろう。ただ日本の独りよがりにならない形の解決策を

出すのが政府であり政治家のはずだが、今や烏合の衆に国運を任せる選択を

してしまったからには、おかしい動きに目を凝らす必要がありそうだ。

国民が猛暑だの、アベノミクスで景気が回復だのと目の前だけを見ている内に、

気づいたら中韓と取り返しのつかない状況になるやもしれない。

平成元禄の日本国民よ、少しでも自分たちの将来を心配した方がいいと思うが。


『草刈りと彼岸花』

2013年08月16日 16時32分32秒 | 日記

団地前の川土手は自生の彼岸花が咲く。しかし今のままだと草むらの下になり微か

に赤い色を見るに過ぎない。昨年は9月に入ってから川土手の草刈りをして、彼岸

花開花に備えようとしたが、その時期だと草が伸びすぎ背丈近くになるものも多く、

大変な労力を必要とした。少し早目に刈り取ると開花までに草が復活することもあり

思案のしどころだ。今年の猛暑、こんな中であの草と格闘するには相当の根性と闘

志がないと、すぐヘナチョコになりそうだ。かと言って頑張り過ぎると熱中症の罠には

まってしまうから、いい加減な落としどころを心得て向かうしかない。

心して、川を渡り向こう岸に着いた途端、恵みの雨が降り出し一旦リタイア、音色の

いい雨音を聞きながら雨が止むのを待つ。纏まった雨とは言い難い、しかし久しぶ

りだから有り難い雨には違いない。これだけ降っても野菜の葉の下には十分に行き

届くものではなく、お湿り程度でしかない。雨上がり直後は一旦冷やされるから草刈

りの再開も快適にスタートできる。やがて出て来て欲しくはない太陽さんが照りだす

と、湿度と共に一気に温度が上がり、汗が吹き出し、背中を流れ、顔を伝い、手の甲

にまで流れて来る。日陰に避難し水分補給、休憩、さあ再開と立ち上がろうとすると

クラクラがつくような調子だ。雨上がり後の蒸し暑さに痛めつけられながら、最終予定

の1/3くらいは刈ることができた。背丈は高いものでも私より低いから、昨年よりずっと

短く今の内に刈ってしまえば、彼岸花の咲くまでにもう一度草刈りをすることになって

も、楽な草刈りで済みそう。


『田舎の花火大会』

2013年08月15日 22時14分00秒 | 日記

14日の夜は八雲おいでな祭のメインイベント、花火大会が開かれた。我が家から通

常のルートで行けば5分ほどだが、交通規制がかかり15~20分くらいのところが会場。

暑いからと横着を決め込んで軽トラで出かけるが当然の事、駐車場は満杯だから、途

中の道路に駐車して会場に向かう。道路は3桁国道だが駐禁になっていないので路

側帯は両側とも格好の駐車場に様変わりしていた。

夕食を食べてのことだし、花火につきもののビールは余り向かないから、かき氷を食

べながら待つことにした。開始時間も分からずに出かけた見返りは、凡そ1時間ほどの

『お座りの刑』メインステージではバンドの伴奏で”きゃりーぱみゅぱみゅ”を真似た様

な姉ちゃんが賑やかな唄を歌ったりしていたが、私の趣味ではないし花火を見るには

今一の場所のため、静かで花火特等席に移動する。長らくお待ちの後、いよいよ花火

が始まった。

私たちの席と打ち上げ場所は直線で200mも離れていない。ドーンと上がると目線は上、

頭を持ち上げながら花火を追いかける。近いから音は腹に響く感じがするし火の粉が

落ちて来るような感じもする。派手な音のするもの、煙も花火の趣向のようなもの、年々

花火も工夫されているようだ。それにしても、見上げるような距離からの花火は田舎な

らではだと思う。打ち上げ場所の後方は山だから花火の種類に制限があり、海辺で行

われる花火のようにバラエティーに富んだ構成は難しいのかもしれないが、打ち上げ

場所との距離が短くなることで、別の良さを引き出している。

町の伝統行事として受け継いできたことを若者が中心になり、更に先につなげようとし

ている。浄財の確保も大切な要素だ。お金持ちの年寄りはドンドン寄付に応じて欲し

いものだ。


『雑想考、Face Book いいね』

2013年08月15日 17時03分11秒 | 日記

 ネット上で第三者の評価、応援度合などを簡単に分かり易くするシステムとして

『いいね』『フォロワー』などがポピュラーになっている。『いいね』はFBが普及し始

めた頃は知り合いの記事や写真に『いいね』を入れる程度、FBが本来の目的とし

た利用方法だったのではと推察される。私はFBが法人でも当たり前のようになっ

てきた時点で、コマーシャルベースになって元来の姿から離れてしまうことを危惧

していた。何もFBだけでなくSNS全体に共通することで、大企業から個人まで同居

するために生じるメリットが追及されているから、むしろ分離させることは避けてきた

のかもしれない。

『いいね』に価値はあるか?。信用する人、私のように見る程度の人、『いいね』を参

考にしたため逆の結果になり被害者のように喚く人、この現象は口コミで起こってい

た事と酷似している。つまり、ネット上で他人が寄せる意見を鵜呑みにして文句を並

べる図式で、ネット利用と自己責任の原則を理解しないで、結果についてのみ苦情

を言っているに過ぎない。即ち、物事の判断を他人させておいて結果責任も他人に

背負えと言っていることと同じだ。

私は一言で終わる。物事を信じる時は自分で調べて、取捨選択の結果を自分で判

断せよ『いいね』『口コミ』を全面的に信用するような馬鹿なことはするな。『口コミ』投

稿ビジネス、グルになって不正投稿はマスコミにも取り上げられ、私は偉そうに『やっ

ぱり、前からおかしいと思っていた』と溜飲を下げていた。所が『いいね』にビジネスが

存在しており、お金さえ払えば『いいね』のカウントが買える。TVの報道によるとバン

グラデシュの『いいね製造工場』には数台のPCに従業員、パートの人が24時間交代

で『いいね』を入れ続けている。

FBの『いいね』は1日、1アカウントが1回しか入れられない。ここの従業員は不正行為

により1人で15000アカウントを取得し最高15000いいね/日の製造ができる。『いいね』

の多さは企業、有名人のイメージやステータスを示すのに有効だし、頼みもしない一

般人がやってくれるから、プラスに働く力は大きい。だから、不正行為をしてでも、その

数を増やせば関心の多い企業として認知され、その地位を守ることにも通じるというも

のだ。開店直後に『いいね』が一気に増え以後はメッセージ、『いいね』共に上がらな

いアカウントは不正な『いいね』取得が疑われると専門家が言っていた。不正取得は当

然、日本にも波及しており何処かの企業の『いいね』は水増しされたものなのか、本物

なのか区別はつかない。こうした社会的に見た不正行為、日本の法律上で取り締まろ

うにも該当する罪が見当たらないのだとか。さもありなん、この国の民事・刑事の法律は

明治時代の偉人たちが作っていたが、それをお守する政治家の質は段々と下がり、お

守すらできないのに、今の時代に合う新しい法律を作る能力などないのだから。法律

を作ることが仕事なのに法律も作れない政治家、一体こいつらは何者なんだ。私に言

わせれば『国家パラサイト』

そこまでこき下ろされて腹が立つなら、『いいね』取締法でも議員提案してみろ、実現さ

せたらFBで『いいね』をプチっちと押してあげよう。


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