食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『夢追人、あふりか、アフリカ、Africa残酷物語Ⅰ』

2013年08月06日 17時42分43秒 | 趣味

DXを目指す人の登竜門、WACアワードは(世界六大陸との交信)、だれもが第一に

目標とするものだと雑誌で読んだ。当クラブのOMさんも多くの方が取得しておられ

ると聞き、最初は要領を得ず『フーン』という感じだった。

私の場合、交信し易い国と、し難い国の区別は距離の違いでみていたからDXの話

を聞くと成るほど、言われてみればそうだ、いくら近くでもそこの国にハムがいなけれ

ば交信はできない。しかし距離のことばかり考えていた昨年の4月頃は、思えばいつ

でも簡単に交信できる国でも距離が延びると、それに喜びを感じ、次はより遠くの国

と交信することに専念していた。今でも根底にあるのはより遠くで本質的には変わっ

ていない。かと言ってWACのことを忘れていた訳ではなく心密かに狙っていたが少し

ずつ事情が判ってくるとアフリカとの交信は至難の技だと思えて来た。そうこうする内

に胸の内は乙女の初恋のように痛みアフリカ、アフリカ・・・遂にはラッサ熱に冒されて

しまう始末。ではWACなのかアフリカなのか? 今、思い返しても定かではないがアフ

リカとの交信は一挙両得であることは間違いなさそうだ。この成功はWACの完成を意

味するといつても過言ではない。そう固く信じていたのに天がノービス(初心者)の私に

与えた試練はちょっと変わっており、南米との交信でWACが完成した。

アフリカへの関心が高まりピークを迎えた頃、時おりアフリカからの信号が入感するよ

うになった。しかしそこは修羅場である。スプリッ卜運用でもないのに数キロヘルツの

パイル(大混雑)で、とても相手にしてもらえそうにもない。大パイルの中を10ワットの送

信パワーでエッサッサ、いつも苦渋を味わい『こりや駄目だ』・・その悔しさをA局に聞

いてもらい、励まされ、慰めに気を取り戻して『がんばるぞ』と言いつつドンキホーテの

ようにパイルに突撃!、これは竹槍を担いだ百姓一揆の様子だ。

ケセラ.セラ、パイルの谷間に私のコールサインが落ちた。偶然のことであろうが兎に

角、アフリカに届いてしまった。相手のコールサインは3B1DB、これはハム仲間では立

派なアフリカ。その日の私は大変ご機嫌でしてXYL(妻)に『遂にアフリカと交信したで』

と珍しくご説明申し上げ、わざわざ地図まで持ち出して。

『ほらほら、ここだがん、モーリシャス島』じっと地図を覗きこむXYL

『うそー、島だがん』祝杯のほろ酔いが冷めるようなお言葉

『やっぱりな、言わん方がえかったかな』

(注:私たち夫婦は米子出身でして夫婦間の会話は米子弁で外では松江弁と音声多重

でやっています。お聞き苦しい点はご容赦下さい〕


『三枚舌、日本の核政策』

2013年08月06日 17時40分59秒 | 日記

今日は広島に原爆が落とされてから68年目の夏を迎える。若い時、広島で勤務した

ことがあり、夜勤明けの8月6日、眠い目をこすりながら平和公園の式典に出席したこ

とがある。朝8時過ぎで未だ涼しいはずの時間帯なのに、照り付ける強烈な日差しを

今でも忘れることができない。朝の厳かな式典、夜には本安川で亡くなられた方を偲

びつつ灯篭流しが執り行われ、広島は原爆慰霊の一色に染まる一日となる。いつも

のことながら、広島市長は世界に核廃絶を訴え『絶対悪』とまで言い切っている。式典

に出席した阿部総理は原爆反対の意見を述べているが、日本はNPT核拡散防止協

定に賛成しなかった、つまり反対した。世界唯一の原爆被害で核拡散防止のリーダー

だった日本が、アメリカの顔色を窺っているのか、核が拡散しないと困ることがあるか

らなのか知らないが、今のところ核拡散に賛成している。

原爆のような兵器には反対するが核の平和利用ならいい。平和的であっても、何か起

これば、とてつもない事になることもあるが概ね安全であるから日本の原発を買って欲

しいのが本音なのか。こうした状況下で広島市長、長崎市長が世界に真摯に核廃絶を

訴えるが、世界は日本政府の考えに賛同するのか、両市長の声に耳を傾けるのか、日

本の本当の声を、どのように受け取るのだろうか。

戦争、大量破壊兵器の使用、原爆投下、犠牲者の多くは戦争と関係のない非戦闘員

だ。原爆はそれの最たるもので赤子から年寄りまで見境なくに悲惨な結果をもたらす。

あれから68年経つというのに『被爆者援護法』による被爆者の救済は今でも、法の壁を

越えられず苦しみ続けている人がいる。法不整備による齟齬は政治家や官僚たちの

責任だ。全ての人にパーフェクトな法律はないにしても、せめて生きることに希望の持

てる助けになるよう少しずつでも改正して欲しい。これは東日本大震災の復旧につい

ても同じことが言える。

震災から68年後、誰かが私の意見と同じようなことを呟いていないことを祈る。


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