食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『夢追人、DXCCは誰?』

2013年08月10日 18時16分19秒 | 趣味

数ある『賞』は人の努力とは無関係のものと、苦労の末やっと戴けるものに分類する

ことができます。前者の例としまして、長屋の八っあんや熊さんのような、この私も含

めた庶民を苦しめる税法をこさえたり、宍道湖のゴズみたいに人が呉れるものは節

操なく頂いてしまう偉い先生方がごく当然のような顔をして授与されるものもあります。

しかし、どう考えたって庶民と『賞』の接点は見出せないのであります。強いて言えば

町内の運動会の参加賞位。

でもアマチュァ無線というタコ部屋に足を突っ込んだおかげで庶民の私も分け隔て

なく賞の道が開けたのであります。

今まで、賞に飢えて悶々としていたのではありません。また小銭が貯まったから何か

少しでも栄誉なるものに触れたくなったのでもありません。

昭和64年1月5日、アメリカアマチュァ無線連盟から小包が送られてきました。それは

昨年の10月末に送ったDXCC (DX Century Club)アワードの申請結果が詰め込まれ

た、私にとっては貴重品でした。小包にはこちらから送ったカードと審査の結果、当ク

ラブ員への入会資格を与える旨が記載された通知書がありました。(DXCCとは外国

との交信数が100以上になったと認定されれば加入が許され、以後は25か国単位で

追加ができる)申請の結果は119カ国との交信を認めるとのこと。

2月にはそれを示す賞状が送られてきて、額に入れ飾っています。

昭和61年の夏から秋にかけてのあの時期が私にDXへの興味を深くさせたのです。

今更、繰り返して言うまでのことではありませんがOMから『DXをやっている人に悪い

人はいない、悪い人も私たちのようにいい人になれるから』と諭され、のめり込んでし

まい今ではドップリ首まで。『やれ!と言われて、その気になーあって』

早速、HFの局免許を申請し昭和62年3月にDXとの卜ンツーが始まりました。最初の

頃は7メガ帯でソ連のお相手ばかりしていましたがそれでも結構、楽しんでやってい

たと思います。春の本格的なDXシ—ズンになるとバンド中が活気を呈しこれが正に

DXと気をよくしFB、FBの連発。相手が住所はパリなんて打ってくると気分が大きくな

り煙草屋が1キロも先にあることをツイツイ忘れてXYLを捕まえては『マダム、ちょっと

コーシープリーズ』とすっかり国際感覚、豊かな気分を満喫していました。ですから

交信した国の数がいくつなんてことは別の次元だったことは確かです。始めたてで

すから当然のこと交信する国は次々と新しい国で、数は増え続けました。その年の

暮れには70ケ国との交信を成果にDXCCは翌年に夢を託すことになりました。

HFを始めた時、10ワットの無線機と4メーターのルーフタワーを屋根に設置

しそこに7/21メガの八木アンテナで運用していました。10月には100ワットにアップ

しましたが大半のQSOは50ワットで運用して、感じでは八木アンテナに10ワット、そ

れに根性があれば100ケ国は以外と早く交信出来ると思います。

ニューを追いかけ続けるDXレースは相手に勝つために設備の拡充を余儀なくさせ

ているのが現状です。

昭和62年7月、14.5mのクランクアップタワーを建て、今その上に14/21/28メガ5エ

レの八木アンテナを乗せています。

(中略)

DXCC申請後にもニューへの執念は衰えるどころか一段と激しさを増し168カ国と

の交信になり、これからはもっと力が入るのではと思っています。

無線に限らず多くの情報を集め活用する、また情報源を絶やさない者が先を歩け

るようになっています。無線クラブの中でも強力なネットが出来れば素晴らしいこと

だと思います。

DXCC取得までに多々、ご教授いただいたOMさんに感謝しつつ 73(Good bye)

 (平成1年3月)


『墓掃除』

2013年08月10日 18時04分24秒 | 日記

退職して割と気ままな暮らしをしているから、3連休、大型連休などと世間が賑やか

になっても、ピンとこない。もう直ぐ盆、大体の会社は直近の土曜日から盆休みにな

るところが多く帰省ラッシュもそれと共にやって来る。昔々は私もこの頃になると横

浜や広島から実家の米子まで帰省したものだ。当時の移動は今のように高速バス

などなく、新幹線は高額に加えて帰省時期の予約などとれる状況になく、よくて寝

台列車出雲号の座席、それも立ち席などというものもあり、最初から最後まで座るこ

とは出来ないのを承知で乗るから、根性なくしては帰省できない環境だった。

帰省を今の時代と比べることは、江戸時代と明治時代を比べるようなものかもしれ

ない。盆の帰省は先祖様の墓参りが大義名分なのに、時代が何を変えたのか知ら

ないが、帰省した人の数だけ墓参りが賑やかになっているようには見えない。

今日は墓掃除に出かけた。いつものことながら出かける時期、時間帯によるのかも

しれないが感ずるところ年々、出かける人の数が減っているようにみえる。駐車場

に車は止まっているから墓参り、掃除に来たと思われるのに墓の方には人影はな

く、私と妻ふたり、尤もこの寺は広いから奥の方にいたのかもしれない。掃除をし

ている間に若い家族が子供連れで墓参りに来られたものの、子供たちは墓参り

より水道の水で遊ぶのに忙しそうだった。

墓掃除で一番張り合いのないのは、墓石をいくら綺麗に掃除してもBefore、After

に何の変哲もないことだ。最新の墓石専用洗剤なんて殺し文句につられて、使っ

てみても効果を味わうことはないから、ささっと水をかけて終わっても分からない。

それでは先祖様に申し訳ないからと一生懸命に、汗だくで墓石や灯篭を磨き13日

スタートの盆に備えは万全だ。


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