食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『雑想考、悪ふざけ投稿』

2013年08月28日 18時42分42秒 | その他

『今頃の若い者は・・・・』昔から、若者が羽目を外して、年寄りと若者の時代感覚の

違いなどで嘆く言葉である。その程度に差があるとすれば時代と共に変わっていく

生活環境や社会環境ではないかと思う。いつの世にも死んでも治らない馬鹿は存在

する。何かこうした事があると世間から批判を浴びようが、模倣犯のようにそれに続け

と真似をするものが現れる。今の時代はネットに投稿という手段があるから、悪ふざけ

を友達に自慢するような感覚で、世間にお披露目してしまうから分かるのであって、

昔ならこんな大きな問題にはなり得なかった。例え今と同じことをしたとしても伝聞の

世界だから、一部の人から馬鹿げたことを『若気のいたり』として済ませてきた。私もこ

うした行為を快く思っているのではないが、同じような行為は昔からあると思えば、取

り立てて今の若者ばかりが責め立てられるのは可愛そうな気がしないでもない。

ただ、時代は進化しているから、人間も進化しなければならない。だから昔の若者と

今の若者では違うはずだ。時代の進化は万人にネット、携帯などのツールを手に入

れることを可能にした。進化した人間なら進化した使い方をしなければならないのに、

進化したツールをこんな悪ふざけ投稿などで使うのは、猿に携帯を持たしたのと同

じことで、魔が差したとか、悪気はなかったとか程度の言い訳しかできないのである。

被害に遭った店の対応にも、こうした事を再発させる一つの要因になっていると思う。

被害者でとんでもない迷惑を被っているのに、こんな言い方されるのは、とてもお気

の毒なことだが、毅然とした態度で臨んで頂きたいのだ。未成年を相手に大人気な

いとか、冷たい対応などと逆に非難されるのを恐れるあまり、寛大の度を越した対応

で済ませてしまおうとするのは感心しない。

不始末は自分で始末をしなければならないのが社会人だ。未成年と言えど、バイト

で働きお金を稼いでいるから立派な社会人の一人であることを忘れ、都合が悪くな

ると未成年と逃げるのは卑怯だと思う。

暫くは後に続く馬鹿が現れるのでは・・・・


沢ガニ

2013年08月28日 18時22分51秒 | 日記

山小屋は廃田の跡地に建てている。元は稲作が行われていた田があったから、当然

それに必要な水も確保されていた。しかし田は放置された結果、沼田となりかつての

水路は枯葉や枝で詰まり、そこに上流から流れて来る土砂が溜まり、水路は低い所を

探し出し新しい路を作り蛇行を繰り返し、田の中も水の路となる。

それと別に田の真ん中には、れっきとした水路があるものの、長年の放置は上流で水

路の役目を失わせ、ただの溝になり下流では途中から少量の水が流れていた。

真ん中の水路は木の束を埋め込み水が流れるようにして上から土をかけて埋め尽し、

別の水路を掘り直し1本化し現在のようになった。

谷は水確保に十分とは思えない長さなのに年中、真夏のカンカン照りでも少量ながら

枯れることはなく流れている。だから、こんな過酷な田でも水稲栽培が可能だったの

だ。この谷のように厳しい条件の田は町内に数えきれないほどあり、昔はそれほど稲

作をしても十分な食料が確保できなかったのだから、今の米余り現象は嘘のように思

える。谷の長さが十分ではない証拠に、雨直後には水路に鉄砲水の襲来がある。それ

は凄いもので小さな水路を溢れて小屋の下に流れることもしばしばある。

水路に雨樋を使って流し台よろしく、手洗い、魚の簡易調理台を作っている。上流に

人家や人は来ないから、自然そのものの水が流れて来る。時々、上流で蛇が水遊び

をしているかもしれないし、鳥たちが水浴びをしているかもしれないから、洗い物に使

うことはあっても水を直接、口にすることはしていない。

外仕事をしている時、水場は常時使えるから、山小屋の中にある地下水道よりも便利

で重宝している。ここで水を溜め流していると上流から沢ガニが流されてくる。

昔は沢山の沢ガニが見られたものだが、人が山から離れてしまった為、山が荒れ更に

人の足が遠のき、沢ガニも珍しいものになりつつある。

沢山いた頃、ガニを獲り炒めて塩味で食べたと話を聞いたが、近年は珍味で紹介さ

れるのだろうか。(沢ガニの写真を撮ろうとしたらバッテリー切れのため断念)

 


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