食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『夢追人、狩猟の舞台裏』

2013年08月03日 18時12分04秒 | 趣味

ナイフ

狩猟にはナイフがつきものだ。どんなナイフを使っているのか自慢し合う。使って

みた感じでは日本の鋼に勝る切れ味はない。外国産のものは、切れはいいが刃

先がすぐに無くなってしまうのに対し、日本のものは持ちがいい。歯こぼれは日本

の鋼の方がし易く外国産はし難い。

ブランド品はゾーリンゲン、バックといったところで値段も1万円前後からキリまで揃

っている。私はゾーリンゲンを使用していたが、山の中で葛葉かずらを切る、枝打

ちしながら歩くのに使った。探検隊がジャングルの中を進む、あれと同じ姿だ。

Tさんは土佐のナタのような形の刃物を使い、いつも綺麗に手入れをし、刃こぼれ

一つないように研いでいた。その切れ味は抜群で『髭が剃れる』と自慢していた。

猟師たちはこうした刃物に自分で工夫した鞘を作ったりして、自慢材料の一つに

していた。また、解体には必需品で大小を使い分ける。

ナイフは今でも肉を切る時に使っている。回転式の刃物研ぎ機を買って刃物の

手入れに精を出す。でも何故か家の包丁は切れが悪いではないかと妻からクレ

ームがきそうだ。

 

固形燃料と下着

山の中で待ちにつくと凍えるような寒さとの戦いが始まる。それまでに山の中を歩

き回るので汗ダクになり下着はベッタリと濡れ体温が下がると、その寒いこと。こん

な時に固形燃料を炊いて暧をとる。いつもは鍋料理などに使われるものだが煙が

出ないこと、臭いが少ないこと、また直ぐに火がつくので重宝した。暖をとるのに

間はかかるが使い捨てカイロも便利だった。

シャツとパッチは吸湿性の良い特殊繊維で作られたものを着用していた。値段

は高く上下で1万円以上もしたが値段だけのことはあり汗が出てもサラッとした感

じで以前のように汗による冷え込みはなくなった。


『雑想考、社会保障』

2013年08月03日 17時22分04秒 | 日記

いい法律も悪法になることがあり、万民に平等で益になる法律はあり得ないとよく

言われる。社会保障制度も赤ちゃんから高齢のお年寄りまで幅広く、それを利用

している事情は数えきれないほどあり、ここからここまでと簡単に括れない。

私は年金暮らしの気軽な身分だが、今の暮らしに至るまでは私なりに大変な事情

と闘ったり、困難をほぼ自力(勿論、身内で)で乗り切ってきた。

私の父は還暦過ぎ頃から歩くことが困難になり、やがては半身不随になってしま

った為、同居する母が今で言う老老介護をしていた。その頃、母の父つまり私の

お爺さんは高齢ながら母の近くで一人暮らし。お爺さんは家事なんか疎いからお

婆ちゃんが亡くなってから大変だと思っていたら、大きな間違いで毎日の食事は

勿論の事、全てのことを一人でやりながら暮らしていた。

当時の事だから、何かあっても今のようにショートステーなどないし、お年寄りを

預ける施設は特老のみ、それも何年待ちの状態だから、緊急時に個人を助けて

くれる仕組みなど全くなかった。

しかも、特老のお世話になるためには議員の力を借りて横滑りでもしなければ、

まともには利用できる状況でもなかったのは事実だ。

だから、暫くと言え我が家でも孫の私がお爺さんを引き取り、面倒をみなければ

ならない状況になったこともある。もし、私が松江に居なかったら兄のいる遠くに

行って面倒を見て貰うなんてことになったかもしれない。社会保障制度の老人

介護にまつわることだけでも、お年寄りを抱えて問題があると日本は自己完結

が原則のような世の中だった。こうした時代を乗り越え、より充実した制度を目

指し介護保険が作られた。私は当初からこの制度の主旨に賛成しかねていた。

余りにも制度に頼りすぎる介護を目指しているから、子の親丸投げにつながり

かねないこと、適用範囲が広すぎて保険制度は破綻することに対する危惧から

だった。介護は大変だが誰も通る道だし、行く道だ。今の制度のように電動ベッ

ドでも何でも介護と名がつけば補助が出るようなことをしていては、本当に必要

な人のところへの配分は減ってしまう、当たり前のことだ。ここが最初に述べたい

い法律云々の話だ。生活保障制度は保険ではないから別の切口からの論にな

ろうが、人が法律の範囲で事情を勘案する限り、結果の良し悪しに目くじらを

立てられないのかもしれない。


リンク