カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

佐藤泰志 『海炭市叙景』小学館文庫

2016-03-12 12:29:25 | 本日の抜粋
この種類の小説を徳さんは初めて眼にした。

呆れたことに、徳さんが主人公なのだ!

いや、そうじゃない。
徳さんのような名もない、そしてなんの面白みもない、それでいて心の何処かで、今じゃない自分を夢見ている。
そんな、徳さんの金太郎飴が羅列されている。
だから、そこに何の面白みもないのだが、何処かでゾッとしている自分に出くわす。

海炭市とは函館市と見て間違いない。
1980年代、中央日本はバブル景気に浮かれていた。
バブルの繁栄は格差を利用することにある。
でも、恣意的に創られた格差は切り捨てゴメンで社会の一部の破壊を強要する。
この小説の中の何十人という登場人物は破壊された立場の人間群像である。

この小説が30年後に甦った。
映画化もされた。
この事の意味はでかい。
30年前にちゃんと今が予測されていたのだ。
30年後の俺たちがほとんど何も感じずに生きている事の不気味さを自戒せずにはおれない。

  *****
婆ちゃんは、豚の世話をしっかりやってくればそれでいい。
息子のいうとおりだ。本当は牛がほしかったのだ。でも、豚を手にいれた時はうれしくて、その夜は夫に何度も抱かれた。小娘のようにトキはその夜のことを思い出した。太って、顎が二重になり、両の脇腹もだぶついた猫が姿を見せた。猫はゆっくりと縁側を歩いてトキの膝に乗った。これから、うどんを作るのだ。とトキは猫を撫ぜていった。猫は交尾でもした後のよいにうっとりして眼をつむった。あたたかかった。いいオス猫でも見つけたのかもしれない。
 仔どもを産んでもいいぞ、まだまだ大丈夫だ、おれがめんどう見るぞ。
 トキは男言葉でいった。猫は静かに安心してトキに身をまかせきっていた。
  *****

これは、町の開発のために行政から土地の立ち退きを要求され、それを拒否しているばあさんの日常風景の描写。


人の心に平安あれ!
そろばんの世界では、ご破算で願いまして、という言葉がある。
今、日本は、そして世界もそのご破算こそが求められている。



 本日のおまけ

K's cinemaのブログから引用。
佐藤泰志と親しかった新聞記者との手紙のやり取りの一部。
彼の人となりがよく伝わってくる。


「・・・・・実は僕は函館に生まれ、20歳まで暮らした。両親は戦後からずっと真夜中の連絡船で青森へ行き、闇米を何俵も担ぎ朝の連絡船でトンボ返りし、朝市で売りさばいて生活の糧としてきた。北海道は寒冷地で米の品質が悪く、かつぎ屋という言葉が死語となってからも、この商売はすたれることがなく、30年近く連絡船を自ら生活の場としてきた。大学入学のために上京した僕は、時々両親の職業を尋ねられ、いささかの誇りを持って闇米のかつぎ屋だ、と応えたものだが、一体いつの話をしているのだとあきれたような顔をされるのが落ちで、自分でうんざりすることがしばしばあった。・・・・・・少年時の僕の愉しみといえば、函館湾の岸壁で小さな毛ガニをイカの足で釣ることで、随分熱中したものだ。2,3時間でバケツ一杯の収穫があったが、そんな時連絡船が湾に入って来るのを見掛けると、胸がある種の軋みを伴って弾んだものだ。まばゆいばかりの海面と、堂々たる姿を見せて近づく連絡船を、確実にその船に両親が乗っていること、海を隔てて彼らと僕は間違いなく一本の線でつながっていることを、たぶん少年のおぼつかない心でも確信し得る一瞬だったように思う。・・・・」




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