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今自分がいる場所そのものが「来るべき社会の先駆的形態でなければならない」というのはマルクスボーイであったときに私に刷り込まれた信念である。(中略)
どれほど「ろくでもない世界」に住まいしようとも、その人の周囲だけは、それがわずかな空間、わずかな人々によって構成されているローカルな場であっても、そこだけは例外的に「気分のいい世界」であるような場を立ち上げることのできる人間だけが、「未来社会」の担い手になりうる。
私はそう思っている。(中略)
とりあえず私の息のかかるところはすべからく「未来社会の先駆的携帯」たらねばならぬ。そこは「競争」ではなく「共生」の原理が支配する場である。パイの拡大よりもパイのフェアな分配が優先的に配慮される場である。(一九世紀のある政治思想家の言葉を借りれば、「全員が飢え死にする日まで一人も飢え死にするもののいない社会」である)。私的利益と公共の福利が、同時的に、ほとんど「同じもの」として追及されるような場である。ひとりひとりの潜在可能性の開花を全員が相互に支援し合う場である。
そのような原理によって、未来社会は構築されねばならないと私は考えている。(中略)
近代社会の基礎理論を打ち立てた大思想家たちに私たちがつけくわえるべき知見が一つだけあるとすれば、それは「急いじゃいかん」(‘@佐分利信in『秋日和』)である。
内田 樹 『邪悪なものの鎮め方』より バシリコ株式会社
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なかなかこうはいかないのが現状なんじゃよ。
「急いじゃいかん」
たしかに人類の歴史には急いだことによって強制収容所と大量粛清という悲劇しか導き出せなかった理想主義の過去がある。
内田先生はこうも言っている。
『「公正で人間的な社会」を「永続的に、法律によって確実なものにする」ことは不可能である。それを試みる過程で100%の確率で「不公正で非人間的な政策」が採用されるからである。「公正で人間的な社会」はそのつど、個人的創意によって小石を積み上げるようにして構築される以外に実現される方法を知らない。(中略)
迂遠だけれど、それがもっとも確実な方法だと経験は私に教えている』と。
「急いじゃいかん」「迂遠にも耐えよ」
それを実行、実現している内田先生の毎日は実に楽しそうだ。
その毎日を楽しんでる内田先生に質問。
「公正で人間的な社会」を試みる過程で、なぜ「不公正で非人間的な政策」しか採用されないんでしょうか?
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何となく久しぶりです。
近いうちに内田先生の『若者よマルクスを読もう』を読んでみようと思っています。
当方、還暦をとうに過ぎてますが、、、。
内田先生の議論に今賛成するかどうかはともかく、こういう議論を通過していないヤツはつまらないのですよね。えらそうなことを言ってすいません。