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ところが、日本国憲法は第九条において、いかなるかたちであれ、国家間の紛争解決の手段としての戦争を放棄すると言うのである。さきほどの免疫機構の比喩で言えば、日本という国家は、その機構の最深部分で、自ら免疫機構を解除しようと思うと語っているのと同じである。このような思想をもつ憲法は、すくなくとも現代国家のなかで日本のものだけである。常識的に考えるかぎり、このような国家思想は尋常ではない。
ほかの国家はこのような免疫解除原理にもとづいていないわけだから、とうぜん現実政治の現場では多くの矛盾が発生することになる。そしてこれまで日本は、そうした矛盾が発生するたびごとに、トリッキーなやり方で、困難な事態をなんとか切り抜けてきた。
自らの存在の深部に、免疫抗体反応の発動を否定しようとしてきたものが、憲法九条以外に、この世にはすくなくともふたつある。ひとつは母体である。女性のからだは、自分の身体のうちに自分とは異なる生命体が発生したとき、異物にたいして敏感に反応するはずの免疫機構を部分的に解除して、その異物を数ヶ月にわたって、いつくしみ育てる。そうやって新しい生命の誕生が可能になるのである。
もうひとつは、神話である。神話はかつて人間と動物は兄弟同士であった、と語ることによって、おたがいのあいだに発生してしまったコミュニケーションの遮断と敵対関係をすくなくとも思考によってのりこえようとしてきた。(中略)のちに生まれた偉大な宗教思想は、数万年にわたって神話が育て上げてきた免疫否定的なこの思想を、大きな国家群が発生したのちの世界に、もう一度よみがえらせようとしたものである。
(中略)どこの国の憲法も、近代的な政治思想にもとづいて書かれたものであるから、とうぜんのことながら、そこには生命を生むものの原理も、世界の非対称性をのり越えようとする神話の思考なども、混入する余地を残していない。ところが、わが憲法のみが、その心臓部にほかのどの憲法にも見出されない、尋常ならざる原理をセットしているのだ。
大田 光 ・ 中沢新一 『憲法九条を世界遺産に』より 集英社新書
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この本は対談集なのに、引用は中沢新一のあとがきからだ。
大田光に失礼かな、とも思ったが、世界遺産にというタイトルは太田光発信のもののようだから、まあ、いいか。
憲法九条を考える時、言いかえれば、戦争と平和の問題を考える時、宮沢賢治が、それも多くの賢二ファンが見ない振りをしている、彼が田中智学の日蓮主義にのめり込んだ時期の思想と行動と苦悩が重要だという指摘から始まるこの対談は、意外な位置からの9条擁護討論である。
それにしても、日本のマスコミ、そして我々自身も、なんと継続審議が苦手なもの達だろう。
重要な問題には、常にコーナーがあってよい。
安部がこけたら、憲法論議はくすぶりながらも水面下。護憲派ももぐら叩きでお茶を濁してる。
中沢はトリッキーなやり方で困難な事態を切り抜けてきたと、今までの政府のやり方を承認気味だが、事態はなし崩し的に九条無化に向かっている。この場合、なし崩し的にというのが怖い。マスコミも崩された現時点での論議に終始しているかのようだ。
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