カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

池澤夏樹 『双頭の船』 新潮社

2014-06-09 18:44:00 | 本日の抜粋

   *************

「俺にだって世間に言いたいことはいっぱいある」と相手は言い、その言葉に引き戻された。
「こんなことになったんだからみんな大変だ。だけど俺は人一倍大変なんだ。不満と愚痴を鼻先で突っ返される。足りないものをよこせと言うと生きているだけでもありがたいと思えって、相手は上から見てそういう顔をする。相手ってのは避難所を仕切る連中や行政やたまたま隣に寝た奴や道で会う誰かや、ともかくみんなだ。ありがたいさ、あれで波に呑まれなかったのは。まだ立派に生きているよ。だけど俺はもともとがたくさん不満を抱えて生きてきた。人並みに扱われたことがない。この身体を見下ろして、おまえは我慢しろとばかり言われてきた。おまえに偉そうな顔をされたくないって言う。誰だって不満を抱えている。こんな時はここにいる連中は一人のこらず不満でいっぱいの袋みたいなもんだ。何かあれば爆発する。最初はよかったんだ。あんな怖ろしいことから逃げられたんだし、それで興奮していたし、なんか別の力が身体の中から湧いて出たみたいだった。だけどそんなものあっという間になくなる。生きているだけでありがたいって言うが、もとの暮らしからの落差ってこともあるだろう。みんな前は避難所じゃなくて自分の家に住んでいたんだ。それを思い出すうちに今の辛さが効いてくる。世の中、上から下への差別の階段だよ。すぐ上の奴がすぐしたの奴に不満をぶつける。それが下へ下へとごっとんごっとん落ちてくる。いちばん上に奴の顔が見たいもんだ。だから俺は言われたことにはきっちり言い返すことにした。一段上から落とされたものは一段上へ投げ返す。それには体力が要る。だから甘えないんだ。歩くんだ」

 池澤夏樹 『双頭の船』より

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相変わらず、徳さんの抜粋の選び方は著者のメインテーマからは外れている。
との自覚は、ある。

抜粋部の発言をこの本の中でしているのは、唯一登場する身体障害者、荒垣だ。
3・11後、マスメディアでは、障害者の被災、避難状況も多少は報道されていたが、みなマニュアル下の優等生報道だった。
もって行きたい方向は、けなげな障害者像とそれを支えるボランティア健常者。
マスコミってのは美談好きだが、あまりに美談で包囲すると、事の本質がどんどん遠ざかる。

障害者だってただの糞ったれの俺たちの同属だ。
持ち上げる必要もないし、侮蔑する根拠なんてありもしない。
互いの経験が違うから、そこに学び合いがあるだけだ。

以上は、この小説には関係ない話、、、、。

この小説は良いぞ。

あらゆる希望を無くした中で、人はどう振舞わなければならないか?
出来れば、明るく、前向きに対応したい。
荒唐無稽なこのファンタジーの中に、ヒントがゴロゴロ存在している。

それはそうと、徳さんは、まだ、3・11震災による死者の画像を一枚しか見てない、、、。
泥の中でうつ伏せになって死んでいる男の画像だ。
マスコミの犠牲者にたいする配慮とも言える。
低開発国の死者の画像はさんざん見せられているのに、、、。

悲惨の規模を間違えなく伝える、伝えられた我々がその情報をもとに喧々諤々の議論をし、未来に備える、、、。
なんて風になってないのだ。

毎度の徳ジジイのぼやきでした。



本日のおまけ

「夕刊フジ」による著者へのインタビュー。


東日本大震災発生後、自ら軽トラを運転するなど、ボランティアとしても活動した池澤夏樹さん。そして震災後初の長篇となった本著は鎮魂のメルヘンでもある。泣くのはイヤだ、笑っちゃおう…希望の明かりがぽっと膨らむ読後、何ともすがすがしい。 (文・写真 竹縄昌) 

 ──震災から2年です

 「当時、仙台の叔母夫婦を救出に行って、すぐ後で新聞社の依頼で取材。その後は、ボランティアで避難所に物資を運んだりしました。顔見知りになった人が避難所から仮設住宅に移って、高台に家を建てたりね。しかし、津波の浸水域は今も建物の土台が四角く残っている。そこが、僕には広大なお墓にも見えて来てしまった」

 ──執筆の動機は

 「その年に震災について考え、書いたことをまとめて『春を恨んだりはしない』(中央公論新社)として出し、その後、一人で三沢から福島まで車で走って、そのレポートを『考える人』(新潮社)に書きました。まだ書ききれないものがある気がしたのです。それはジャーナリストではなく作家としての自分が、やらなければならないことでした。(ヒロシマをテーマにした)井伏鱒二の『黒い雨』や、福永武彦の『死の島』が書かれたのは原爆のずっと後だったから、急がなくていいという思いもありました」

 ──しかし、2年足らずで書いた

 「一昨年の暮れに文芸誌『新潮』に寓話みたいな形式の『ベアマン』を書きました。これは主人公が被災地に向かうところまで。その後、取材で訪れた瀬戸内海で小さなフェリーを見て、あれが東北までお手伝いにいったらどうなるだろうと。ボランティアの苦労話を書いただけではダメだ、遊撃的に動ける船を最初の主人公にしようと考えました」

 ──寓話は伏線となって絡まり、鎮魂のためのメルヘンとも感じました

 「つらさを、寓話と笑いに置き換え、その上で崩し、崩し、構築していきました。でも、やっぱり人が死んでいることに変わりはないのです。(若い人の)“中断の死”。何の準備もないまま亡くなるのは本人も無念だし、周囲もつらい。だけど、なんらかの形で受け入れなくてはならないわけです。僕も初めはなかなか人間の死が書けなかった。ですから最初はペットたち、そして亡くなった人たちを現実から“あちら側”にわたれるようにしました」

 ──パワフルで芝居がかった人物も

 「本を誰に読んで欲しかったかというと、井上ひさしさん。芝居がかった技法は彼に教わったかもしれません。震災のとき、あの人がいてくれてたら、(東北の人々も)心強かっただろうと思った。これから先は、この人なしでやっていかなければならない-」

 ──読者にメッセージを

 「《泣くのはイヤだ、笑っちゃおう》。苦しいときに苦しさの中に座り込んでしまうのはわかるんだけど、ちょっと自分の外に出て、苦労してやがるな、と客観的に自分を笑おう。そして、また踏み出す。その余裕があると楽なんです。そういう仕掛けとしてこの本を書いた気がします。まだまだ東北は大変ですから」



カイロジジイのHPは
http://www6.ocn.ne.jp/~tokuch/


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