毎日起きている事柄に、それが余りにも頻繁なので日に日に鈍感になってしまっている私。
いつしか人間存在否定の世界を黙認している私。
申し訳程度の異議は申し立てる。
でもそれは、自己保身のための免罪符に過ぎない。
辺見庸はそんな私の臓腑に思いボディーブローをかましてくれる。
*****
いまガザでおきていることは、「復讐の連鎖」「暴力の応酬」などではない。二〇〇発以上の核兵器を保有し、実質世界第四位の軍事力をもつイスラエルが、世界一の人口密集地、貧困都市・ガザ市に、砲撃、爆撃をくわえるということはどういうことなのか。これは、病弱な赤ちゃんに完全武装した大人がおそいかかるのとなにもかわらない、文字どおりのジェノサイドである。米国はそれを知っている。知っていながらとめたことはない。
*****
そう、本気になって、一度たりとも、知っておりながらそんな米国の、自称先進国の、そして日本政府と戦ったことがない。
*****
「≪殺すなかれ!≫……かつてはこの言葉が私を槍のように突き刺した。いまは……それは嘘のようにおもわれる。≪殺すなかれ≫、しかし周囲では誰もが殺しているのだ。……なんという冒涜的な見世物芝居だ」。そうおもう。ユーリイ・ニコラエヴィッチはそうおもった。もう戦争がはじまっている。
*****
そう、知らぬままに、気付かぬうちに、事態はここまで来てしまっている。
だれもがこんな事態になるとは思いもしなかったはずだ。
でも、私たちの心は、どこかで油断し、安穏を謳歌してしまっていたのだ。
今、私たちは重篤な低温火傷の患者だ。
深部組織まで浸食されているのだ。
*****
ニッポンとは、かつて、「イスラム国」だったのだ。のようなものだった。じつはもっと酷かったのだ。「シャー・リュエ・ジエン」。発音を聞くだけでドキドキする。顔が赤くなる。sha・lue・jian。殺・掠・姦。中国侵略日本軍は、日本では「皇軍」、中国では、べつに南京にかぎらず、「シャー・リュエ・ジエン」の「鬼」とみなされていた。
*****
この歴史的事実を自虐的歴史感に基づくものとして、神国日本の再生を唱える輩がいる。
彼らが誰と話し合わなければならないかは明らかだが、彼らがそんなことを吠え出したのが、話し合わなければならない人々がほとんどこの世からいなくなった時点であるということは興味深い。
彼らの品性と人としての器の小ささを本人たちは自覚しているのであろうか?
*****
きたるべきやがて到来するだろう未知の光景の手がかりを求めて、やがて到来するだろう未知の光景は、決して「希望」ではない。虐げられている者らが、さらに虐げられる光景である。虐げられている者らが、さらに虐げられても、だれも意に介さない、意に介さなくても済む光景である。それは、いっさいのことがらが、それぞれの「私」抜きに、すでに「他」によって決定されてしまっている状態でもある。
*****
そう、引き受けるべきは「私」なのだ。
懺悔、悔悟、懺悔。
*****
「グローバル・ヴィレッジ」のような幻想と倒錯がふくらめばふくらまるほど、ディスコミュニケーション(相互無理解)とコミュニケーション不全がすすみ、ひとびとが閉塞し孤独になっているのはなぜなのだろう 。世界は統合をもとめればもとめるほど細分化、断片化しており、等質化すればするほどバルカン化し、古典的アイデンティティをもとめてあがき、民族、部族と宗教の帰属意識をもとに、はてしない抗争をしているようにみえる。なぜなのか。いま、ゆいいつ活発なのは、自己増殖する価値の運動体=資本だけだある。
*****
人から(資本)から差し出される価値の誘惑。
対抗するにこれといった価値を持っていない私たち。
民族、部族、宗教への帰属意識のもうちょっと前まで遡らねばならないのかも。
まあ、徳さんには至難の業ではありまする。
カイロジジイのHPは
http://chirozizii.com/
そして、なんでもブログのランキングというものがあるそうで、以下をクリックするとブログの作者は喜ぶらしい。
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いつしか人間存在否定の世界を黙認している私。
申し訳程度の異議は申し立てる。
でもそれは、自己保身のための免罪符に過ぎない。
辺見庸はそんな私の臓腑に思いボディーブローをかましてくれる。
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いまガザでおきていることは、「復讐の連鎖」「暴力の応酬」などではない。二〇〇発以上の核兵器を保有し、実質世界第四位の軍事力をもつイスラエルが、世界一の人口密集地、貧困都市・ガザ市に、砲撃、爆撃をくわえるということはどういうことなのか。これは、病弱な赤ちゃんに完全武装した大人がおそいかかるのとなにもかわらない、文字どおりのジェノサイドである。米国はそれを知っている。知っていながらとめたことはない。
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そう、本気になって、一度たりとも、知っておりながらそんな米国の、自称先進国の、そして日本政府と戦ったことがない。
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「≪殺すなかれ!≫……かつてはこの言葉が私を槍のように突き刺した。いまは……それは嘘のようにおもわれる。≪殺すなかれ≫、しかし周囲では誰もが殺しているのだ。……なんという冒涜的な見世物芝居だ」。そうおもう。ユーリイ・ニコラエヴィッチはそうおもった。もう戦争がはじまっている。
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そう、知らぬままに、気付かぬうちに、事態はここまで来てしまっている。
だれもがこんな事態になるとは思いもしなかったはずだ。
でも、私たちの心は、どこかで油断し、安穏を謳歌してしまっていたのだ。
今、私たちは重篤な低温火傷の患者だ。
深部組織まで浸食されているのだ。
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ニッポンとは、かつて、「イスラム国」だったのだ。のようなものだった。じつはもっと酷かったのだ。「シャー・リュエ・ジエン」。発音を聞くだけでドキドキする。顔が赤くなる。sha・lue・jian。殺・掠・姦。中国侵略日本軍は、日本では「皇軍」、中国では、べつに南京にかぎらず、「シャー・リュエ・ジエン」の「鬼」とみなされていた。
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この歴史的事実を自虐的歴史感に基づくものとして、神国日本の再生を唱える輩がいる。
彼らが誰と話し合わなければならないかは明らかだが、彼らがそんなことを吠え出したのが、話し合わなければならない人々がほとんどこの世からいなくなった時点であるということは興味深い。
彼らの品性と人としての器の小ささを本人たちは自覚しているのであろうか?
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きたるべきやがて到来するだろう未知の光景の手がかりを求めて、やがて到来するだろう未知の光景は、決して「希望」ではない。虐げられている者らが、さらに虐げられる光景である。虐げられている者らが、さらに虐げられても、だれも意に介さない、意に介さなくても済む光景である。それは、いっさいのことがらが、それぞれの「私」抜きに、すでに「他」によって決定されてしまっている状態でもある。
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そう、引き受けるべきは「私」なのだ。
懺悔、悔悟、懺悔。
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「グローバル・ヴィレッジ」のような幻想と倒錯がふくらめばふくらまるほど、ディスコミュニケーション(相互無理解)とコミュニケーション不全がすすみ、ひとびとが閉塞し孤独になっているのはなぜなのだろう 。世界は統合をもとめればもとめるほど細分化、断片化しており、等質化すればするほどバルカン化し、古典的アイデンティティをもとめてあがき、民族、部族と宗教の帰属意識をもとに、はてしない抗争をしているようにみえる。なぜなのか。いま、ゆいいつ活発なのは、自己増殖する価値の運動体=資本だけだある。
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人から(資本)から差し出される価値の誘惑。
対抗するにこれといった価値を持っていない私たち。
民族、部族、宗教への帰属意識のもうちょっと前まで遡らねばならないのかも。
まあ、徳さんには至難の業ではありまする。
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そして、なんでもブログのランキングというものがあるそうで、以下をクリックするとブログの作者は喜ぶらしい。
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