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「ああ、先生、今日は相談なんですけど」
荒川先生に、ゲンが最近やたら吠えるようになったっことを話した。
「そうですか、ついにゲンちゃんも」
おや、荒川先生の声は、なんだか楽しそうである。
「それは、おめでとう」
「お、お、おめでとうって、先生」
「ゲンちゃんはね、米原さん、今まで遠慮していたんですよ。前の飼い主に捨てられて、米原さんに拾われたけど、いつまた捨てられるかもしれない。ここは、あくまでも仮の宿だってね。だから、どんな人にも愛想よくして気い遣ってたんですよ、彼なりに」
「そんなもんですか」
「ええ、そんなもんなんです。やっと米原さんのところを終の棲家と見定めたんでしょう。それで、この家は自分が守って行かねばという自覚が芽生えたんですよ。そうに違いありません」
そうだったのか。ゲンは、私を飼い主と認めてくれたんだ。わが家の番犬として目覚めたんだ。
「どうしたんですか、米原さん、聞こえますか。お話をうかがった限り、無駄吠えではありませんから、心配いりません」
「あ、あ、ありがとうございます」
「ウーッウワオウワオーッ」
受話器を置くのと同時に聞こえてきたゲンの声は、たしかにマイルドなバリトンのような気がした。
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犬や猫を飼っている者としての、感情の高まりが伝わってくる一節だ。
それにしても、米原万里さんちのワンちゃんやネコちゃんはどうしてこうもドラマチックなんだろう。
(この本には続編もあるみたい、、、)
いくら、作家としての鋭い観察眼があったとしてもである。
もちろん、米原万里さんのワンちゃんネコちゃんへの感情移入が半端じゃないって事が背景にある。
米原家のワンちゃん、ネコちゃんのほとんどは棄てられていた者だったり、路上で瀕死状態であった者だったり、遠いロシアの地で貧しさのために手放さざるを得なかった人から買った者だったりと、まず、その出会いにドラマがある。
生き物の生きる独特の方法に介入しないというのもある。
異種としての人間の価値観でなるだけ介入しない。
ワンちゃんそれぞれに、ネコちゃんそれぞれに固有の個人史がある。
それに真正面から付き合っていったら、こうなっちゃった。
という、雰囲気である。
こんな事が人間社会に少しでも適用されれば、人間社会はバンバイザンなのだが、、、。
その米原万里さんの半端じゃない感情がどこから生まれてきたものかは謎、、、。
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