岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

詩人・永瀬清子さんの生家へ行きました。その1

2024-04-21 20:07:49 | 永瀬清子

永瀬清子さん(以下清子さん)は現代詩の母と呼ばれていますね。wikiではこちら

生家はJR熊山駅から歩いて30~40分です。画像で紹介していきます。

熊山駅です。昔ながらの駅舎です

陸橋が文化財です。鉄道院と書いてあります。今のJRのことでしょうがこちらをどうぞ

明治40年代から大正時代までの呼称でその後は鉄道省になるのですね。

その短い期間にこの陸橋はできたことになります。

すると熊山駅は明治45年に出来たようように思われますが調べてみると違います。

熊山駅が創られたのは大正7年です。この陸橋の柱は他の駅から移設されたと思われます。

山陽本線自体は明治20年ごろに岡山まで開通しています。

鉄道の敷設が急激に進んだのは朝鮮半島や中国への兵士の輸送のためと言われます。

日清戦争がまじかに迫っている時期です。

これから向かう清子さんの生家は左の山のすそ野です。

第2次世界大戦後の一時期、生家に住んでいました。

駅を出ます。

久し振りに来ました。駅前がすっかり変わっていました。びっくりです。

吉井川の堤防が見えます。

堤防から駅舎を望みます。

雲に隠れていますが熊山が正面にあります。

右手の建物は岡山白陵中学高校です。

熊山橋です。吉井川に架かっています。清子さんはこの橋を渡って駅に来ていました。

吉井川です。岡山の三大河川です。上流には津山市があります。高瀬舟が往来していました。

清子さんが利用していた時代はこんなに幅が広くなかったはずです。

水辺には昔の石組みが見えています(不確か)

橋のたもとに清子さんの詩が刻まれています、

ここから田んぼの中を歩いていきます。

山裾を縫うように旧道が続きます。

公民館がありました。

駐車場の看板がありました。初めて見ました。ご無沙汰していました。

もう少しです。

着きました。道沿いに母屋です。その手前に蔵がありましたが傾き母屋を圧迫していていたので解体したと聞いています。

映像が残っています。

立派な井戸が残っています。もちろん利用できます。

正面から左手は廃屋のようになっていました。保存会の皆さんで建て直されました。

支援者や団体名が書かれています。

永瀬清子生家保存会が取り組んでいます。

目を見張ります。

その2に続きます

 

お読みいただきありがとうございました。



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