岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「占領下 京都の物語 健康への歩み」

2005-10-28 14:11:39 | 戦争を語り継ぐ
2005年10月23日、国民体育大会の視察のために
岡山に訪れていた天皇・皇后は、3日間の岡山滞在の
一日を割いて、長島愛生園を訪れた。
長島愛生園は、ハンセン病の隔離病棟である。

天皇・皇后がなぜ、長島愛生園に特別の思いを持たれて
いるか。
手許に「生きがいについて」という1冊の本がある。
美智子皇后の人生の師といわれた神谷美恵子さんが、
長島愛生園に通い、書き上げた本である。
皇后と愛生園の絆は、恩師から導かれるように、長く深く
続いているのではないか。

天皇・皇后が岡山空港から帰路についた次の日。
旧植民地ハンセン病訴訟判決が下された。

「やさしさ」ということについて考えざるをえなかった。

     
時代は遡って、1870年。初めて日本の都である京都に
アメリカ人が入りこんだ。
チベットのラサに入った異邦人のような思いだったに
違いない。
このアメリカ人は、医者と、今だ禁教であったキリスト教の
宣教師だった。
明治期の医学、建築、文化、宗教等への彼らの影響は
計り知れない。

それからまた時が経ち、1945年9月。
アメリカの軍医が、征服者の一員として京都にやってきた。

※本日から毎日新聞京都版に
「占領下 京都の物語 健康への歩み」二至村菁さんが
連載される。

主人公は、
ジョン・D・グリスマン中尉25歳。
日本についての知識は皆無だった。
「日本の土を踏んだとき『冬のスポーツができる北日本の
軍政部へ』と志願したが、配属されたのは京都だった。
他の軍医たちがあまりにうらやましがるので、京都が世界的に
有名な古都だと知った」

今も健在であるグリスマンさんが戦後の京都に残したものは
なにか。
また、彼がハンセン病の隔離政策を批判していたこともわかって
きた。

京都以外の方は読むことができないが、あらすじ程度なら、
ネットに書くことも許されるだろう。
連載が楽しみだ。

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