岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

倉敷川と舟遊び

2009-09-13 09:29:02 | 岡山
大原邸の前を流れる倉敷川は、かっては物資輸送に使われていました。
遠く児島湾から瀬戸内海へと繋がっていました。
昭和中期、児島湾は締め切られ児島湖になり、この川の運河としての機能は終わりました。

往時は倉敷紡績の工場(今のアイビースクエア)からの物資輸送にも使われました。
倉敷紡績の工場地は江戸時代には、代官所がありました。
ここは天領の町でした。
天領であることが、倉敷の人々の誇りでもあり、この地域の精神的風土に影響して
いるように思われます。
こども心に、倉敷は他の町とは違うなと思っていました。

江戸時代に人々に蓄えられた富が、今の美観地区のような街づくりと産業や文化に
対する先進的な取り組みに繋がっています。

今も私たちは、その恩恵に浴しています。

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2 コメント

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大原家を学ぶこと (Maa-chan)
2009-09-13 13:40:56
 女房のふるさとですので,楽しみに写真を眺めていました。

 大原家の影響は,本当に大きなものなのだと,こうしてみると改めて思い知ります。

 大原家(大原孫三郎)は,石井十次の「スポンサー」でもありましたので,大原家をきちんと学ぶことが,もしかすると日本の福祉の歴史の原点や,「お金持ち」の社会貢献について学ぶことになるのかな,と思っています。
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Unknown (岩清水)
2009-09-13 19:19:40
戦前の社会事業は民間の慈善家、そして彼らを
サポートする富裕層という構図ですね。
国は責務と思っていませんからね。

明治から今までの社会福祉の歴史を見てみても
国を含め多くの人々にとって「惰民思想」は過去の
ものになっていません。
ゆえに原点を学ぶことは今も意味があると思っています。
一緒に学ぶことができればと思います。
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