ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

サイレンス

2017-02-01 | 映画
今日は仕事はお休みでした。


新宿で、映画『サイレンス 沈黙』を鑑賞して来ました。
映画の日だったせいか、平日の昼間なのに、300人ほど入る館内はほぼ満席でした。
三時間近い作品ですが、最初から最後まで全く飽きずに観ていました。
観客も誰一人席を立ちませんでした。


でも、大感動した…と言う感じでもないのです。
夢を見ていたような不思議な感覚に、鑑賞後数時間経った今も包まれています。
そして、何故か二十代から三十代初めに掛けての自分のことが断片的に頭に浮かんできました。


原作を読んだのは二十代の後半だったように思います。
その頃私は、大学を卒業して入った印刷会社を辞めて、トラックターミナルで電話受付のアルバイトをしていました。
シナリオを書いては懸賞に応募していましたがうまく行かず、気持ちはいつもクサクサしていました。
休みになると、シナリオを書くために、新宿、神田、銀座などの喫茶店をハシゴしました。
でも、三年目くらいになるともうほとんど書けないようになり、文庫本や新書本を日がな一日読んでいました。
松本清張、吉村昭、司馬遼太郎などが多かったように思いますが、その中に遠藤周作の『沈黙』もありました。

この著名な作品を読んで、そのときの私がどういう感想を抱いたのか、ほとんど覚えていません。
ただ、バブル前夜ではしゃいでいる世の流れから全く外れていた私にとって、「弱き者の伴走者イエス」と言うイメージは、救いに繋がるものだったとは思います。

ほどなくバブル経済が終わり、いよいよ身の置き場がなくなる…と感じた私は、福祉の世界に向かうことになります。


全く映画の感想が出てきません。
でも、この作品は、私にとってはそう簡単に「感想」が纏められる類のものではない…と感じます。


塚本晋也が演じたモキチの無垢性は白眉でした。

それと、四百年前の日本を違和感なく描き切ったスコセッシ監督には、超一流のアメリカ文化人の懐の深さと凄みを感じました。