今日は久しぶりに教会に行き、復活の主日のミサに与りました。
神父さんがお説教で、「私たちキリスト教徒にとって、クリスマスよりももっと大切な日です」と言われました。
そういう日にふさわしく、教会の聖堂には溢れ返るほどのおおぜいの信徒が集まりました。
赤ちゃんからお年寄りまで、老若男女が集って、歌い、祈る。
めったにミサに与らないからかも知れませんが、そういう場があると言うことだけでありがたく感じました。
午後からは国立市まで出掛けて、古くからの教会の友人たちと会食をしました。
私はもう五年以上、教会で知り合った友人たちとほぼ毎月食事会をしています。
その集いは、私を文字通り助けてくれました。
特に三年前、自分が間違いを起こして勤めを休職したときなど、どれだけ支えになったか分かりません。
その友人の一人が、先日体調を崩して、今日の集まりには参加出来ませんでした。
今日は、彼の復帰を想い合う会でもありました。
そういう関わりを持てることは、私にとっても心強く、誇らしいことだと感じました。
神父さんがお説教で、「私たちキリスト教徒にとって、クリスマスよりももっと大切な日です」と言われました。
そういう日にふさわしく、教会の聖堂には溢れ返るほどのおおぜいの信徒が集まりました。
赤ちゃんからお年寄りまで、老若男女が集って、歌い、祈る。
めったにミサに与らないからかも知れませんが、そういう場があると言うことだけでありがたく感じました。
午後からは国立市まで出掛けて、古くからの教会の友人たちと会食をしました。
私はもう五年以上、教会で知り合った友人たちとほぼ毎月食事会をしています。
その集いは、私を文字通り助けてくれました。
特に三年前、自分が間違いを起こして勤めを休職したときなど、どれだけ支えになったか分かりません。
その友人の一人が、先日体調を崩して、今日の集まりには参加出来ませんでした。
今日は、彼の復帰を想い合う会でもありました。
そういう関わりを持てることは、私にとっても心強く、誇らしいことだと感じました。