伊達政宗一行の者達は鎧兜でこそないが、いずれもが戦支度。
弓槍は勿論、鉄砲を担いでいる者もいた。
派手な色彩の身拵えが祭りを思わせるが、緊張感を秘めていた。
政宗は見物人を意識して退くに退けなかった。
皆の期待が背中にヒタヒタと押し寄せて来るのだ。
足軽達では埒が明かないので、その後ろの上役に声を掛けた。
「あの岩から鬼斬りを抜けば、殿下もお喜びになられる」
しかし上役は聞こえぬふり。
伊達家は豊臣政権の一部からは嫌われていた。
「惣無事令を無視」「小田原攻め遅参」そして「葛西大崎一揆の扇動疑惑」と、
疑わしき事が多いからだ。
「惣無事令」とは豊臣政権が全国に発令した「私戦の禁止」であった。
これを政宗は無視し、豊臣膝下の蘆名氏・二階堂氏を攻め滅ぼし、
奥州にて二百万石近い領土を得たのだ。
さらに「小田原攻め」においては、武田信玄・上杉謙信も攻め倦んだ小田原城が、
百姓上がりの秀吉に攻め落とせるとは思えなかった。
為に、豊臣家からの参戦の催促に言質を与えず、密かに小田原北条氏と誼を通じ、
奥州を統一しようと図った。
奥州を統一し、小田原と連携して豊臣軍を撃退する心積もりであった。
政宗が目指したのは南北朝時代の北畠顕家。
奥州の騎馬軍団を率い、途中で立ちはだかる足利尊氏軍を撃破し、
九州まで追い落とした公家武将である。
その為に伊達家の騎馬軍団は調練されていた。
しかし、秀吉の圧倒的な動員力を聞くや、態度が一変。
ただちに小田原城攻めに駆けつけた。
が、時遅し。戦の持ち場は与えられなかった。
そして遅参を咎められ大半の領土を削られた。
今回の政宗の上洛は「葛西大崎一揆の扇動疑惑」が原因であった。
一揆軍への武器供与や、一揆軍に伊達家中の者がいる、とかの噂が流れ、
「葛西と大崎の両氏を背後から扇動しているのは伊達家」と見られた。
それが秀吉の耳に入り、一揆鎮圧後ただちに呼び出されたのだ。
家康等大名の見守る前で詰問されたが、それでも何とか乗り切った。
ただ、奥州にて戦い取った領土はさらに削られ、今や五十八万石。
そこで政宗は京に滞在を続け、秀吉の機嫌を取り結ぶのに躍起であった。
下手に帰国して再び疑われる愚を避けたのだ。
連日、京の町中を騒がせ、派手好みの秀吉の耳に届くようにと策動していた。
鬼斬りの刺さった岩は格好の見せ場であった。
大名や公家達もお忍びで見物に来ていたので、確実に秀吉の耳に届く。
そこで強引に群集を押し退け、最前列に出て、見張りの者達と交渉を始めたのだ。
皆が政宗に注目しているのが分かるだけに、いまさら退けない。
政宗を後押しするかのように、群集から見張りの者達に罵声が飛び交う。
それでも見張りの者達は所司代の権力を示す為に、頑として譲らない。
政宗を警戒して、休んでいた見張りの者達までが出てきた。
権力と数の力で退かせようというのだ。
政宗は背後の空気が変化するのを感じた。
振り返ると、群集が左右二つに割れ、騎乗の一隊に道を開けた。
先頭の二頭に乗っているのは見知った顔。
機を見るに敏な政宗は、駆け寄った。
「これは秀家殿、そして豪姫様」
前田利家が小田原の一件以来なにかと親しくしてくれるので、
その縁で宇喜多家にも出入りしていた。
二人とは歳が近いせいか話が合うのだ。
秀家が軽く会釈した。
「やはり政宗殿でしたか。声が遠くまで届いておりました」
豪姫が秀家を見た。
「ねえ、私の申した通りでしたでしょう」
「ほんとにお豪は耳が良い」
「耳だけですか」
と豪姫は秀家を軽く睨み、政宗に目を向けた。
「この度はとんだことでしたね」
領地削減の事だ。
「いいえ、身から出た錆びです」
「でも案ずる事はありませんよ。あれは公の裁き」
「・・・」
「私人としての殿下は、貴方を心配しています。身を滅ぼさねばよいが、と」
秀家が付け足した。
「そのうちに風向きも変わります」
いつも優しい二人に政宗は心から頭を下げた。
「心配ばかりかけて、済まぬ」
「頭は上げてください。豪放磊落が売りでしょう」
「そうであった」
と政宗は苦笑い。二人に尋ねた。
「しかし夫婦で鬼斬り見物かね」
秀家は素直に頷いた。
「そうです。ですが、入れぬ様ですね」
豪姫も首を傾げた。
「困りましたわね」
この二人は権力の使い方に不器用なのだ。
そうと見た政宗はドンと胸を叩いた。
「某にお任せあれ」
踵を返して、見張りの者達の元に引き返した。
「宇喜多秀家様と豪姫様が鬼斬りを見たいと仰せじゃ。直ちに此処を開けい」
これには見張りの者達も所司代の権力を振り翳せない。
秀吉の猶子・宇喜多秀家と、同じく養女の豪姫が相手なのだ。
間の悪いことに、軽い仕事との考えから、機転の利く者を頭に据えていなかった。
もたつく見張りの者達を政宗が叱り付けた。
「なにをしておる」
そして周りの見物衆に紛れている大名達に呼びかけた。
「方々、秀家様と豪姫様の先払いと参りましょう」
竹矢来を囲む群衆から一斉に鬨の声が上がった。
「おー」
大名達はお忍びであるため供廻りは少なかったが、好奇心と売名から、
政宗の下に一隊に纏まった。
まるでお祭り前の喧騒。
政宗が叫んだ。
「方々、ここでの刃物沙汰は厳禁ぞ」
一同は「おー」と答え、素手で見張りの者達に突進した。
こうなれば見張りの者達も武士の端くれ。
理由はどうあれ退くわけにはいかない。素手で迎え撃った。
それを群集がヤンヤの喝采。
お祭りが始まった。拳が突き出され、脚が、身体が、宙を舞う。
そして血と汗と、怒号が飛び交った。
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もう書くので必死。
最近では、直前でないと手が動きません。
枯れてきたのではありません。
材料が有り過ぎて、纏め切れないのです。
なるべく簡素を心掛けてはいるのですが・・・。
それに時代考証も・・・。
油濃くなったら御免なさい。
弓槍は勿論、鉄砲を担いでいる者もいた。
派手な色彩の身拵えが祭りを思わせるが、緊張感を秘めていた。
政宗は見物人を意識して退くに退けなかった。
皆の期待が背中にヒタヒタと押し寄せて来るのだ。
足軽達では埒が明かないので、その後ろの上役に声を掛けた。
「あの岩から鬼斬りを抜けば、殿下もお喜びになられる」
しかし上役は聞こえぬふり。
伊達家は豊臣政権の一部からは嫌われていた。
「惣無事令を無視」「小田原攻め遅参」そして「葛西大崎一揆の扇動疑惑」と、
疑わしき事が多いからだ。
「惣無事令」とは豊臣政権が全国に発令した「私戦の禁止」であった。
これを政宗は無視し、豊臣膝下の蘆名氏・二階堂氏を攻め滅ぼし、
奥州にて二百万石近い領土を得たのだ。
さらに「小田原攻め」においては、武田信玄・上杉謙信も攻め倦んだ小田原城が、
百姓上がりの秀吉に攻め落とせるとは思えなかった。
為に、豊臣家からの参戦の催促に言質を与えず、密かに小田原北条氏と誼を通じ、
奥州を統一しようと図った。
奥州を統一し、小田原と連携して豊臣軍を撃退する心積もりであった。
政宗が目指したのは南北朝時代の北畠顕家。
奥州の騎馬軍団を率い、途中で立ちはだかる足利尊氏軍を撃破し、
九州まで追い落とした公家武将である。
その為に伊達家の騎馬軍団は調練されていた。
しかし、秀吉の圧倒的な動員力を聞くや、態度が一変。
ただちに小田原城攻めに駆けつけた。
が、時遅し。戦の持ち場は与えられなかった。
そして遅参を咎められ大半の領土を削られた。
今回の政宗の上洛は「葛西大崎一揆の扇動疑惑」が原因であった。
一揆軍への武器供与や、一揆軍に伊達家中の者がいる、とかの噂が流れ、
「葛西と大崎の両氏を背後から扇動しているのは伊達家」と見られた。
それが秀吉の耳に入り、一揆鎮圧後ただちに呼び出されたのだ。
家康等大名の見守る前で詰問されたが、それでも何とか乗り切った。
ただ、奥州にて戦い取った領土はさらに削られ、今や五十八万石。
そこで政宗は京に滞在を続け、秀吉の機嫌を取り結ぶのに躍起であった。
下手に帰国して再び疑われる愚を避けたのだ。
連日、京の町中を騒がせ、派手好みの秀吉の耳に届くようにと策動していた。
鬼斬りの刺さった岩は格好の見せ場であった。
大名や公家達もお忍びで見物に来ていたので、確実に秀吉の耳に届く。
そこで強引に群集を押し退け、最前列に出て、見張りの者達と交渉を始めたのだ。
皆が政宗に注目しているのが分かるだけに、いまさら退けない。
政宗を後押しするかのように、群集から見張りの者達に罵声が飛び交う。
それでも見張りの者達は所司代の権力を示す為に、頑として譲らない。
政宗を警戒して、休んでいた見張りの者達までが出てきた。
権力と数の力で退かせようというのだ。
政宗は背後の空気が変化するのを感じた。
振り返ると、群集が左右二つに割れ、騎乗の一隊に道を開けた。
先頭の二頭に乗っているのは見知った顔。
機を見るに敏な政宗は、駆け寄った。
「これは秀家殿、そして豪姫様」
前田利家が小田原の一件以来なにかと親しくしてくれるので、
その縁で宇喜多家にも出入りしていた。
二人とは歳が近いせいか話が合うのだ。
秀家が軽く会釈した。
「やはり政宗殿でしたか。声が遠くまで届いておりました」
豪姫が秀家を見た。
「ねえ、私の申した通りでしたでしょう」
「ほんとにお豪は耳が良い」
「耳だけですか」
と豪姫は秀家を軽く睨み、政宗に目を向けた。
「この度はとんだことでしたね」
領地削減の事だ。
「いいえ、身から出た錆びです」
「でも案ずる事はありませんよ。あれは公の裁き」
「・・・」
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秀家が付け足した。
「そのうちに風向きも変わります」
いつも優しい二人に政宗は心から頭を下げた。
「心配ばかりかけて、済まぬ」
「頭は上げてください。豪放磊落が売りでしょう」
「そうであった」
と政宗は苦笑い。二人に尋ねた。
「しかし夫婦で鬼斬り見物かね」
秀家は素直に頷いた。
「そうです。ですが、入れぬ様ですね」
豪姫も首を傾げた。
「困りましたわね」
この二人は権力の使い方に不器用なのだ。
そうと見た政宗はドンと胸を叩いた。
「某にお任せあれ」
踵を返して、見張りの者達の元に引き返した。
「宇喜多秀家様と豪姫様が鬼斬りを見たいと仰せじゃ。直ちに此処を開けい」
これには見張りの者達も所司代の権力を振り翳せない。
秀吉の猶子・宇喜多秀家と、同じく養女の豪姫が相手なのだ。
間の悪いことに、軽い仕事との考えから、機転の利く者を頭に据えていなかった。
もたつく見張りの者達を政宗が叱り付けた。
「なにをしておる」
そして周りの見物衆に紛れている大名達に呼びかけた。
「方々、秀家様と豪姫様の先払いと参りましょう」
竹矢来を囲む群衆から一斉に鬨の声が上がった。
「おー」
大名達はお忍びであるため供廻りは少なかったが、好奇心と売名から、
政宗の下に一隊に纏まった。
まるでお祭り前の喧騒。
政宗が叫んだ。
「方々、ここでの刃物沙汰は厳禁ぞ」
一同は「おー」と答え、素手で見張りの者達に突進した。
こうなれば見張りの者達も武士の端くれ。
理由はどうあれ退くわけにはいかない。素手で迎え撃った。
それを群集がヤンヤの喝采。
お祭りが始まった。拳が突き出され、脚が、身体が、宙を舞う。
そして血と汗と、怒号が飛び交った。
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最近では、直前でないと手が動きません。
枯れてきたのではありません。
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それに時代考証も・・・。
油濃くなったら御免なさい。